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事件の発端 八 天地の秤器

「我が君は、本当は神域をお出になったナギさまをそれはそれは心配なさっておいででした。しかしながら、居所を尋ねることも、連絡を取ることも叶いませんでした。そうして昨夜、我が君はナギさまの、そうですね、生命のシグナルとでも申しましょうか、それが絶えたことを察知なさいまして」


 ちなみにご逝去は事故によるものですと、ついで話のように打ち明けた。

 いずれヒトの側からも知らせが届くだろう、とも。


「ナギさまとの昔のお約束は、天邪鬼な我が君にとっては、ある種の口実のようなものでして。さっそく万難を排し、旧知であるお二人の忘れ形見をお迎えにいらした――とそのようなわけなのです。いかがですか、なかなか良い話でございましょう?」

「要らん舞台裏までしゃべるな」


 もういい、というように手首を振られ、ヒノメが後ろに下がった。テレビも役目を終えたようにスイッチが切れた。

 ユツギが八花に向き直る。「どうだ、納得したか?」

「納得というか、事情は理解できましたけど……」

 脳が容量オーバーするような話をいっぺんに聞かされて、頭がぐらぐらする。

「双葉を心配してくださるのはありがたいですけど、やっぱりお断りします」


 ここで自分が流されたら、きっと取り返しのつかないことになる。そんな予感に迫られて、川岸の岩にしがみつくような気分で、抱えたお盆を握りしめた。


「あたしはナギさんが死んだなんて信じていませんし、過去にナギさんがあなたと約束していたとしても、ナギさんとどんな仲であっても関係ない。双葉はナギさんの娘だけど、あたしの妹でもあるんです。はいどうぞ、なんて妹を引き渡す理由は、あたしにはありませんから」


「……ふうん。一筋縄ではいきそうもないですねえ」

 ヒノメが呟きながら、面白そうに主を見やる。

 ユツギは不機嫌そうに口を曲げて黙り込んでいたが、おもむろに腰を上げた。


「お前の言い分は、もっともだ。ここは一つ、古よりの定石にならおうではないか」


 その背後で大きな音がした。庭に続く障子とサッシ窓が、ひとりでに開いたのだ。

 ユツギが踵を返した。と、思ったら姿が消え、次の瞬間には庭の真ん中で振り返る。まるで、見えない壁の裏側に入り、移動してから表へ着地したかのようだ。

 ユツギが指で招くので、八花も縁側でサンダルをつっかけ、外に出た。


「自分には関係がないから双葉どのを引き渡さないと言ったな。ならば、おれはお前とも関係を持とうではないか」


 小さな木が数本ほど植わっているだけの庭。夜目にも分かる重い曇天に、おびただしいほどのカエルの鳴き声が反響している。

 生温かい大気に満ちた雨上がりの匂いで、八花は無性に不安になった。


「〝関係を持つ〟というのは、具体的には?」

 ユツギは首飾りの珠の一つを、むしるようにして取り外した。

「両手を出せ」

「いやいやいや。先に説明してくださいよ」


 そう要求しているそばから、「まどろっこしい」と自称神様は小さな満月のような珠を放って寄越した。

 とっさに受けとめようとした八花の手のひらで、縞模様のきらめく白い珠は、ぎっしりと花弁の詰まった蕾のようにはじけた。

 サイズは左右の手のひらで包めるくらい。手の上で浮かんだまま、くるくると自転を始めている。

 よく見ると、光を放ちながら回転している球体を芯に、何層もの細い帯状のリングが踊っていた。リングには細かく筋が入っており、何だか定規の目盛りみたいだ。


「だから説明!」

 さすがに声を荒らげると、ユツギがヒノメに向けて顎をしゃくった。


「そちらは天地の秤器に通ずる宝具でございまして、名を天分玉(てんぶんだま)と申します」

 ヒノメが心得たように解説する。

「天地の秤器とは、我々やヒトのコミュニティ、およびそれ以外をも含めた森羅万象――常世ではまだ的確に言い表せる概念が発見されておりませんので、今は宇宙そのものとお考えください。秤器とは計測器の一種、平たく言えば天秤でございます。天地の秤器が計り、導き出した宇宙の均衡の上にすべては生きている。ひるがえって我々の思考や行動も、宇宙の天秤の傾きに影響を及ぼします。そして、天分玉とは秤器にかける分銅です。ただいま八花さまの数値をお計りしております」


「は?」小難しい説明の最後の一言がスルーできない。「数値って何の」

「八花さまにとっての、双葉姫の価値でございます。ご安心ください。取得した個人情報は厳重に保護され、本目的以外には使用されません」

 ヒノメが小首をかしげるようにして笑い、「これは冗談ですけど」と付け足した。

「冗談? 今の話の、どこからどこまでが冗談だって?」


 叫ぶあいだにも、天分玉とやらの回転は加速を続け、今や風圧まで感じるほどだ。うなるような音とともに、熱を帯び始めている。

 それにつれて光量も増して、もう目を開いていられなかった。身の危険を感じて放り出そうとしたけれど、またしても身体の自由がきかない。

 大人しくこの妙な物体の台座になっていろってことか。


「――ば、爆発……っ」


 しなかった。

 風や熱が急速に治まってゆくのが分かって、おそるおそる目を開く。

 手のひらの天分玉は消えていたが、代わりに三つの石が載っていた。短い尻尾を生やしたような形の、ビー玉サイズの赤、青、白。


「素晴らしい! 最高ランクの勾玉(まがたま)です」

 ぴょんと跳ね、ヒノメが拍手した。

「これらは贄の代用となるものでして、価値としては魂魄(こんぱく)一つぶん。つまり、これを我が君に奉じれば、八花さまのお命を生贄として捧げた場合と同一レベルの願い事と交換できます。地位や金銭や名誉など、あらゆるものがお望みのまま。しかも、三つもですからね! いやあ、情にお厚い方だとお見受けしておりましたが、さすが八花さま。わたくし、大変に感服いたしました」


 ヒノメのどこか空々しい賛辞を聞きつつ、八花は勾玉からユツギへ目を移した。


「……つまり、これって取り引きですよね。ナギさんが笛と双葉を交換したように、あたしにも、この石と双葉を交換しないか、っていう話?」

「そのとおり。利害関係というやつだ。双葉どのをもらい受ける代わりに、お前の願いを何でも三つ叶えてやろう。決して悪い取り引きではないはずだ」


 どうだと言わんばかりにユツギが胸をそらす。

 その満足げな顔を見た瞬間、八花の中で何かがキレた。


「ふざけんなま!」

 自分でも不思議なくらい腹が立ったし、悔しかった。

 思いきり怒声をぶつけ、拳を握りしめる。

「こないなもんと引き換えに家族を売ると思うたが? ひとを馬鹿にしくさるのもいい加減にせえ!」

 怒っていないと――泣いてしまいそうだった。


 授業が終わったら即帰宅してご飯を作り、生活力の乏しい似たもの父娘の脱ぎ散らかした衣類を拾い、家の中のこまごました仕事をこなしているうちに一日が終わる。

 家にいるあいだはほとんど自分が二の次で、趣味の衣装作りだって授業の合間か深夜にしか時間がとれない。

 同年代の他の子みたいにもっと自由が欲しいし、果てのない家事のくり返しに心がしんどくなるときもある。

 だけど、家事を一手に引き受けているのも、眠い目をこすりながら大学へ行くのも、自分が好きで決めたこと。

 そうやって割り切れるのは、二人が大切な家族だからだ。何度言っても脱いだままの靴下やシャツを、しょうがないなあ、で回収できるんだ。


 たぶん、ナギさんにも双葉にも、こっちに対して、しょうがないなあ、で終わりにしていることはたくさんあるんだろう。

 私たちはそれぞれ不器用で、いろいろ足りなくて、だからこそ補い合い、許し合って、家族という名の関係のもとで暮らしている。

 ちょっと変則的な自分たちのその形は、デリケートで複雑で、はっきりと説明するのは難しいけれど、たった八歳の双葉だって、何もできないという役割で、しんどいときの気持ちを〝今だけもう少し頑張ろう〟に変えてくれていた。


 決して見返りが欲しいわけじゃなかった。

 なのに、デリケートで複雑な自分たちの関係は、はたから見たら、お金や名誉なんていう明らかなものに変換できてしまうのか。


「双葉は絶対に渡さんけ、とっとと帰れま!」


 願い事のために命を生贄にとるような神様だ。

 怒らせればどんな反応を見せるかも知っているけれど、もう何も怖くない。


 ユツギに詰め寄り、その手に勾玉を突き返した。

 ――つもりだったが、勾玉は勢いよく庭に飛び散っていった。

 ユツギが瞬時に移動して避けたせいだった。


 少し離れたところにたたずむ神様は、何とも言えない当惑顔だ。

「おい、こいつはなぜ怒っているのだ?」

「我が君のおつむが残念だからでございますよう」

 ヒノメが、げんなりした様子で溜息をついた。

「人草の、特に女人は過分に感情的な生き物なのです。もっと気持ちに寄り添って丸め込まねばなりませんのに、手っ取り早く秤器に計ってしまおうだなんて、八花さまでなくとも機嫌を損ねるのは当たり前でございます」


 話しながら庭をうろついているのは、飛び散った勾玉を探しているらしい。

 でも、庭は暗いし、雑草も生えている。さすがに見つからないようで、「あな、もったいなや」と肩をすくめた。


「お前……分かっていたなら、なぜ止めないのだ、この二枚舌が」

「わあひどい。打ち合わせもなしに口裏を合わせて差しあげたのに、その言いよう」

 よよよ、とヒノメが泣き真似をする。漫才か!


「ひとが真剣なっとるに、ほんま、腹立つわ」

 八花は拳を握り固めた。

「あんたらに叶えてもらいたい願い事なんか、ひとっつもないがね! こんだら、とっとと帰れ。帰れ帰れ! まだ居座るっちゅうなら――」


 足を踏み出した瞬間、翠色の閃光が鼻先を駆け上がる。

 かすかに前髪が揺れ、はら、と数本が落ちるのが見えた。


「下がれ女。我が君に害をなすのであれば、これ以上は捨て置かぬ」


 翠色の光が男の姿に変じ、ユツギとのあいだに立ちはだかる。

 ヒノメと同じ黒装束だが、こちらはごく普通の忍者の格好だ。服の上からも分かる引き締まった体躯を低く構え、何本もの短刀を両手の指に握っている。

 こちらをにらみつける目は光を吸い込むような漆黒。

 ユツギとは別の意味でヤバい奴だと本能が囁いた。


「この者はクナシと申しまして」

 ヒノメが申し訳なさそうに口を挟んだ。

「わたくしと同輩の八尋和迩でございます。普段は寡黙なくせに沸点が低く、我が君に仇なす者には欠片も容赦をせぬ乱暴者。そして、これらの小者も我が君に侍っております一尋(ひとひろ)和迩でして」

 言われて周りに気付き、思わず声を上げそうになる。

 いつの間にか、おびただしい数の白い星に囲まれていた。

「こやつら、わたくしやクナシと違って大した知能を持たず、それゆえ融通のきかぬ者ばかりでございます。お気を付けあそばせ」


 大勢で来るなんて卑怯だ!

 白い星たちの発する無言の圧力を感じつつ、クナシとにらみ合いつつ、ぐっと足を踏ん張った。

 十枝がよく言っていた。ケンカは先に目をそらしたほうが負けだ!


「よせ、無益な殺生をするな」

 ユツギの声に、小さな星たちが不承不承という様子で包囲を解く。

 クナシも視線を外して後ろに下がった。

 お前など、いつでも殺れる。光のない目は確実にそう語っていた。


「えいくそ、余計に話がややこしくなったではないか」

 いらだつユツギに、ヒノメが、はいっと手を挙げた。

「我が君。いったん仕切り直しいたしましょう」

「のんびりしている余裕はない。第一、おれは譲歩を示した。次はこいつが誠意を見せるべきだ」

「もう夜も更けてまいりました。こんな刻限に女所帯のお宅へ居座るなど、立派な殿方のする振る舞いではございませぬ」


 双葉姫に軽蔑されてしまうやも、との一言で、ユツギは見事に固まった。

「……止むをえんな」

 芝居がかった仕草で咳払いをし、八花に指を突きつけた。

「おれは必ず双葉どのをもらってゆく。貴様が願い事などないと言い張るのなら、おれが代わりに探してやろう。無理やりにでも叶えてみせる。覚悟しておけ」


 どこの悪魔か、と八花がツッコミを入れる前に、ユツギはその場で姿を消した。

 電気のスイッチを切ったような、あまりにも唐突な退場だ。


「では八花さま、我々も失礼いたします。またお伺いしますのでー」

 朗らかに告げ、ヒノメが紅の星に姿を変えた。同じく翠の星に変じたクナシや白い星たちとともに、音もなく夜空へ舞い上がる。


「もう来んでええ、二度と来んなま!」

 大声で言い返したが、たぶんまた来るだろう。あんなの、来ない道理がない。

 家に戻り、寝室をのぞいて双葉の無事を確認する。

 布団から出ていた腕を戻してあげると、幼いまぶたが薄く開いた。

「ふーちゃん、安心しいや。あんなふざけた奴らには絶対に渡さんさけ」

 双葉は寝ぼけた顔のまま頷き、とろんと目を閉じる。


 寝室を出ると玄関の靴箱を開き、あちこち凹んだ黒の金属バットを取り出した。

 バットに白マジックで書かれた銘は『雷天弐号(らいてんにごう)』。十枝の形見の一つだが、主に打つものはボールではない。

 茶の間に戻ってバットを仏壇に供え、ぱんっと両手を合わせた。


「母さん、どうか、うちらを守って!」

 遺影の十枝は、『ぶっとばしてやるがいね』と頼もしく笑っている。

「ついでにナギさんもよろしくお願いします。あと、きっちりお仕置きも」


 自分の娘を取り引きの材料にしたなんて、不用意にもほどがある。

 いつになっても駄目な大人だけれど、そんな簡単に死んでいい人じゃないし、死んだなんて信じられない。

 信じたくもなかった。

お読みいただきありがとうございます。

やっとあらすじを回収したところで、次話より二章が始まります。

続きが気になる、と思ってくださった方、後で変更もできますので、よろしければ↓の☆☆☆☆☆でお好きな数をぽちっと……!


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