表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/40

事件の屈折 六 トキハカシの向こう側へ

 打ちつける雨は刺さるようで、床に跳ねるしぶきが目に見えて白い。雹まじりのゲリラ豪雨だ。


 びしょ濡れになりつつ八花は叫んだ。

「ちょっと、ユツギ! どこ行った!」

 天気の急変に気を取られているうちに、いつの間にかクロミミ様も消えてるし。

 嬉々としてケンカを始める前に、この逃げ場のない状況を何とかしてほしかった!


 双葉を抱え込んで守っていると、チキキキ、とさえずり声が聞こえた。どこから飛んできたのか、この嵐の中に鳥が舞い降りたのだ。

 腰と翼に白い模様の入った、濃褐色の小さな鳥。羽毛を震わせて水滴を跳ね飛ばし、ふーやれやれ、という態度でひとの陰にもぐり込む。

 いいけど、ここで雨宿りするつもりなの?


「ナギちゃ」

 双葉が両手を伸ばし、ぎゅむっと小鳥をつかんだ。

「ふーちゃん、それ、ナギさんじゃないよ。小鳥さんだよ」

 そう教えてあげると、双葉は不思議そうに首を傾げ、「ナギちゃ」と小鳥をこちらに差し出した。

 小鳥よ。なぜお前も同じ角度で首を傾げる。


「八花さま、双葉姫。やあやあ、どうもご無事で何よりでございます」

 紅色の光が空から泳ぐようにして飛んできた。

「ヒノメ、いいところに! 悪いけど、ここから連れ出してくれない?」

「お安いご用でございますとも」


 ヒノメは少女の姿に変身すると、双葉ごと八花を抱え上げた。

「ええ、今回ばかりは肝を冷やしました。計画のうえであれば笑っていられるものを、こうも不測の事態が続いては、そういうわけにもいかず」

 そのまま助走もつけずに跳躍し、ひとっ飛びに屋上へ運び上げてくれた。奥のほうは崩れ落ちてるけど、この辺りはまだ無事みたいだ。

「おっと、今の話は、我が君には内密に願いますね?」

 うん。何の話やら分からんけど、おかげで助かった。


「ありがとう、ヒノメ」床に下ろされ、安堵のあまり座り込む。

 さっきまでの息苦しさも身体のだるさも、だいぶ楽になっていた。

 いつの間にか嵐も治まっていて――と思ったけれど、よく見れば平穏なのは周囲だけだった。ヒノメが作ったのか、目に見えない球状の膜のようなものが周りを囲んでいて、風や雨を防いでくれている。


 雹は雨へと変わっていたけれど、この豪雨のおかげで、火事の勢いは確実に弱まったはずだ。あちこちから湧き上がる大量の煙と水蒸気が、横殴りの風に流されていく。

 このまま降り続ければ鎮火するだろうし、飛び火の心配もなくなりそうだ。


「ふーちゃんも、大丈夫だった?」

「へいき」と双葉は、腕を身体の脇に揃え、くったりとその場に寝転んだ。

「や、やっぱりどっか痛い?」

「イモムシごっこ」

 まさか気に入ったの……?


「ふーちゃんは、きっと大物に――わっ」

 空から墜落してきた旋風が、膜を突き抜けて転がっていった。

 何かと思えば、半透明の毛並みの大きな犬、いや狼かも。

(ええい、こざかしい和迩どもめ!)

 狼は一転して跳ね起きると、旋風を巻き起こしながら夜空へと駆け戻る。


 呆気にとられたまま見送って、上空の異変に気が付いた。

「……何あれ」

 雨雲の中を、数え切れないほどの何かが動き回っている。稲光に浮かび上がるそれらは、小さな台風のような影と、鋭い流線型をした魚の影だ。

 渦と魚は入り乱れ、頻繁に衝突をくり返していた。そのたびに小さな雷鳴が轟き、地上に残響が転がっていく。


 ぽかんと眺めていると、夜空よりも黒くて巨大な魚が、ゆっくりと頭上を横切っていった。

 形こそ他の魚の影と似ているものの、サイズは比べものにならない。距離があるから正確には分からないけれど、ちょっとしたビルの一棟くらいあるよあれ……。


「我が君はへたれでございますが、たいそう腕は立つのです。多少のハンデがあろうと、山犬女などには決しておくれを取りませぬ」

 開きっ放しだった口をいったん閉じて、息をのんだ。

「あ、あのでっかいのって、ユツギなの?」


 見えない膜を突き破り、また旋風が飛び込んできた。

 ヒノメが一瞬のうちに回り込み、バスケットボールのキャッチの要領で捕まえる。

「いえいえ、図体のでかいあれは、クナシでして」

 よくよく見ると、襲ってきた旋風も半透明の狼だ。それも、なぜか頭だけ。

 がうがうと暴れる狼の頭を、ヒノメはそのまま押しつぶした。

「あちらこちらで小競り合いをくり広げておりますのは、一尋らと風狼どもでございます。いやはや、あれしきの数を制圧できぬとは、戻ったら鍛え直さねばなりますまいて」

 軽く手をはたき、何事もなかったような微笑みを浮かべている。


「じゃ、ユツギとクロミミ様はどこに?」

「どこと言われましても、そりゃあもう、そこら中に。八花さまが今、見て、聞いて、お感じになっているもの、そのすべての中に」

 天空へ両手をさし広げ、ヒノメが踊るようにくるりと回る。


 八花は辺りを見回した。災害用のサイレンが、悲鳴のように嵐の空に轟いている。

 膜を出てフェンスに寄り、風にあおられながら目を凝らした。


 ちぎれた梢が風にもまれて虚空へ飛んでゆく。遠く響いたきしみのような騒音は、どこかの防風林が倒れた震動だろうか。

 見渡す限りに水路はあふれ、田畑も道路も泥水に波立っている。このすさまじい水量で川の堤防は決壊し、洪水となって人々を襲うだろう。

 水に沈んだ土地は、きっと何年も元に戻らない――。


 ぞっと身震いしてヒノメを振り返った。

「このままじゃ恐ろしいことになるよ。神様たちのケンカを止められないの?」

「心配なさらなくとも、雨や風は、いずれ止みます」

 落ち着き払った返答が、今は何だか気に障った。濡れて張りついた髪を邪険に払う。

「いずれって、いつ?」

「二つの荒魂(あらみたま)が安息の中に鎮まり、和魂(にぎみたま)へと成り代わったときに」


 その面白がるような微笑みが深くなったとき、ああ、そうか、と思った。

 これは人の姿をした、人でないものだ。

 人でないものの目は、人に見えない景色を見る代わりに、人に見える景色を映さない。


「神人同士の争いというものは、たいてい決着がつきませぬ。相手を滅ぼそうとすれば、自らも滅びるほどの時間とエネルギーが要る。ですから、余剰のエネルギーを放出し、均衡を取り戻せばおのずと治まります」


「このまま被害が出るのを見てろってこと? 冗談じゃないよ!」

 フェンスに拳を打ちつけたとき、またしても旋風が墜落してきた。屋上に激突し、狼の姿にほどけてバウンドしてくる。

 ――ぶつかる!

 思わず身を縮めた瞬間、風の狼は真っ二つになって飛び散った。


(おい、危ないぞ。ヒノメの近くで大人しくしていろ)

 空気中の水分の一滴一滴が、あたかも自らの意思で寄り集まるようにして、黒々とした影法師をなしていく。

「いた、ユツギ! 今すぐクロミミ様との争いをやめて!」

(心配するな。いま力を奪い返した。これから面白くなるところだ)

 金色の目玉がいつの間にか二つに増えており、ギラギラと好戦的な光を帯びている。暴れることが楽しくてたまらないらしい。


「違う、あんたたちのケンカに人間を巻き込むなって言ってんの! お願いだからやめて。このままじゃ、村が水没しちゃうよ!」


 再び姿を霧散させようとしていたユツギが、はっとしたように身じろいだ。

 深海の闇を切り取ったような影法師が、すうっと鮮やかな色彩に染まってゆく。そうして見慣れた人の姿に変わると、直刀を納めてこちらを見おろした。

 その顔がいつになく真剣で、何だかちょっと身構えてしまう。


「いいだろう。だが、その望みを叶える代わりに、お前は何をよこす?」

「……ケンカをやめてもらいたいなら、何か差し出せってこと?」

「そういうことだ。お前はおれの欲しいものをくれるのか?」


 その台詞を聞いたとたん、頭の中で何かが音を立ててぶち切れた。

「――こないな一大事に、何ふざけたこと抜かしとんのや、このしみったれが!」


「しみっ……」ユツギは呆然とした顔で絶句している。

「どいつもこいつも、贄、贄ってやかましいわ! 三つめの勾玉は、悪いけど無くしてしもた。そんなに人柱が欲しかったら、とっととぶち殺さんか、こんだらが!」


「ストップ、ストップ! どうどう。八花さま、落ち着いてくださーい!」

 ガッとヒノメに羽交い締めにされた。

「こら、放さんか。一発くらい殴ってやらな気がすまんわ!」

「お気持ちは分かります。今のは、どう考えても我が君が悪い」

「ゆつぎちゃ、わるい」

 横から双葉が同意する。

 さらに小鳥も、双葉の頭にのってチキキとさえずった。


「うるさい、お前が言うな。――えいくそ、邪魔だ!」

 ユツギが八つ当たりのように振り抜いた直刀で、襲いかかってきた風の狼が四散する。


「さ、我が君。いい加減に腹をくくって、きちんと打ち明けてはいかがです。また今回も、これまでのような後悔をなさりたいのですか?」

 八花さまも最後まで聞いてあげていただけませんかと、ヒノメが申し訳なさそうに羽交い締めを解く。


 何この流れ。

 ていうか、分かってないのってあたしだけみたいなんだけど、どうしてその小鳥まで知ってるふうなわけ?


「う……わ、分かった。言い方が悪かった。先ほどの話は忘れてくれ」

 ユツギは胸を押さえて深呼吸すると、心なしか赤い顔でこちらに向き直った。

「八花、その……おれと一緒に向こうへ行かないか」


 ――は?


 思いもよらない言葉に、ユツギの顔を見つめ返した。

「向こうって神域のことだよね。人間は重いからトキハカシを越えられないって言ってなかった?」

「その点はおれが何とかする。お前は覚悟を決めてくれさえすればいい」

「覚悟!?」


 前に生贄を嫁にしそこなったって言ってたし、母さんも帰してもらえたくらいだから、何か裏技みたいな方法があるんだろうとは思ってた。

 だけど、旅行みたいにちょっと行って戻ってくる、というわけにはいかない雰囲気だ。


 そりゃ、神様たちの衣装事情には興味あるし、神域で使われてる布地がどんなものか知りたい。使ってみたりもしたい。

 正直、向こうに行ける双葉をうらやんだこともあるよ。でも、行ったきり戻れないのはハードルが高すぎる。


「何でいきなりそんなこと言い出すの?」

 面食らって尋ねると、とたんにユツギの目が泳ぎだした。

「そ、それはだな……そう、家族だ。おれはお前と家族になりたい」

 家族? あたしと?? ますます意味が分からない。


「ほら、以前、一人で残されるのは嫌だと言っていたろう」

 さっきまでの口の重さはどこへやら、ユツギは次々とまくし立ててゆく。

「こちらで双葉どのを育てられるか不安だとも聞いた。だったら、お前も一緒に向こうへ行けばいいではないか」

 あたしも双葉と一緒に……?

「しかも、こんな騒ぎを起こした後だろう。居残ったところで、今までどおりに暮らせるとは思えん」

「そ、それは確かに」


 野次馬の中には写真や動画を撮っている人もいるだろう。暗いから平気だろうとは思うけど、ユツギやヒノメの姿が映っていたらごまかしようがない。

 あらゆる情報がネットで拡散しちゃうご時世だし、田舎の片隅でひっそり生きるのは難しいだろうなあというのは分かる。


「あ。でも待って。あんたまさか、まだ双葉のこと狙ってる? 家族っていうのが小姑になれって意味ならお断りだけど」

「違う、誤解だ! おれはもう双葉どのを嫁にする気はない」


 そうなの?

 ユツギが慌てふためく一方で、ヒノメと双葉と小鳥の三者は、うんうん頷いている。

 だからどうして小鳥が……いや、もう言うまい。


 ユツギが改めてこちらを見据え、何やら照れくさそうに咳払いした。

「おれはこの十日間、お前の家族というものに向ける情愛を目の当たりにしてきた。そのひたむきな献身に心打たれ、双葉どのを一人で守ってゆこうと決めたお前を支えてやりたいと思ったのだ。その権利を行使し、また情愛を享受しうる者を家族と呼ぶのであれば、おれはお前と家族になりたい」


 ええ……権利とか享受とか、ますます意味が分からない。

 そんなことより早く嵐をとめてほしいってのが本音だけど、イケメン姿で真摯に訴えてくるのには妙な破壊力があって、ついつい後ずさってしまった。


 つまり、ええと何だ。

 あたしの家族に対するこだわりに感動して、仲間に入りたいってこと?

 ユツギは良い奴だし、混ざりたければ混ざればいいと思うよ。だって、元神様のナギは、あたしたちの家族だった。きっと同じようにできるだろう。


 でも、神様のユツギと向こうへ行けるかっていうのは、また別の問題だ。

 見た目がどうでも本性は影法師だし、もずくだし、あまりにも生態がかけ離れている。

 今だって、暴風雨を起こしておいて何とも思わない感性にショックを受けたばかりだ。ときおり垣間見せる残酷さとは、たぶんいつまでも相容れない。


 だいたい、神域がどんなところかも知らないし、生活様式や文化、常識なんかも大きく違うはず。向こうで自分がどんなふうに暮らしていくのかも、ぜんぜん想像つかないし。


「八花、返事は」

「いったん持ち帰って検討させていただけると……」

「次の機会はない。いま決めてくれ」

 ですよね。そんな気はしてた。


 威圧感をかもし出しながら、じりじりとユツギが詰め寄ってくる。

 さらに後ずさろうとしたとき、衝撃音とともにコンクリートの破片が飛び散った。巨大な爪で引っかくような何本もの亀裂が、地響きを立ててこっちに迫ってくるのだ。

 ユツギが爪痕に向かって直刀をなぎ払うと、激しい震動が起こり、すんでのところで亀裂が止まった。


(どうした海蛇! まさか、もう降参ではあるまいな!)

 黒い風がうなりをあげて寄り集まり、宙で化け物姿のクロミミ様になった。

 その額からは三つめの目が消えていて、今はユツギと同じ二つ目だ。


「こっちは取り込み中だ、後にしろ!」

 ユツギがいまいましげに舌打ちをする。

(ははは! まだ宴は終わらぬ。止まるでない、ほうれ、踊れ踊れ!)


 クロミミ様が歌うように告げると、その身を覆っていた黒い炎が渦を巻く。たちまち見上げるほどの竜巻となり、くねりながら襲いかかってきた。

 ユツギがすさまじい勢いで直刀を振り抜くと、風圧で黒い竜巻が四散する。けれど、見る間に再び寄り集まり、周囲のものを吸い上げながら、より大きな竜巻をなしていった。

 校舎の瓦礫や鉄パイプ、壊れたビニール傘に、折れた樹木の枝。近くを飛んでいた風狼までもが引き寄せられ、もがきながら黒い竜巻にのみ込まれていく。


「まったく、血の気の多い奴め」

 面倒くさそうに悪態ついてるけど、いや、さっきまで嬉しそうに暴れてたよね?

「おい、八花。どうするのだ。行くのか、行かんのか!」

「だから、急に決められるような話じゃないんだって」


 百合恵さんは『この人と一緒ならやっていける』と、何も知らない状態で決断したそうだけど、とてもそんな心境に至れる気がしない。

 心の向くままに決めたくても、都会から田舎へ引っ越すような話とは、やっぱりスケールが違いすぎて――


「はーちゃ。ほんとはいきたい、でしょ?」

 とことこと歩いていった双葉が、ユツギの隣で振り返る。

「ふーちゃん、何を言って……」

「だいじょうぶ。ね、いっしょ、いこ?」


 まるで散歩にでも誘うような軽やかな言葉。

 いつもの無表情がゆるんで笑顔になると、その向こう側に光が見えた気がした。あふれ返るような、色とりどりのまばゆい輝きだ。

 母さんが死んだときと、ナギが死んだとき。二度にわたって滅びてしまったあたしの世界。

 そのどこまでも続いていた灰色の荒野を蘇らせる、希望の光。


 自信なんか、まるでない。

 でも。たぶん大丈夫。

 双葉となら、きっと何でもできるし、どこへでも行ける。


「――分かった。一緒に行くよ」

 告げたとたんにユツギが破顔し、双葉を片腕に抱え上げた。

「よし、よく言った。来い!」


 光のほうから差し伸べられたもう片方の腕へ、あたしはまっすぐに駆け出した。





ご愛読ありがとうございます。

今回で第四章が終わり、次話で完結となります。

全体の後書きは、後日の活動報告にでも。


気に入っていただけましたら、↓の☆☆☆☆☆をお好きな数だけ、ぽちっとお願いしたく。ご意見ご感想もお待ちしております。


ではまた明後日の更新【事件の結末 エピローグ】にて!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ