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事件の屈折 三 告白

「一昨日の夜のことです。お宅に火をつけようとしたら、お父さまに邪魔をされて」


 あれ。耳がおかしくなったのかな。

 今とんでもない犯罪未遂をさらりと告白された気がするよ……?


「ちょっと待ってください。それは、どういう――」

「自宅が火事になって怪我人でも出れば、姿を現さないわけにいかないと思って!」


 呆れて二の句が継げない八花に、梅園は悲鳴を上げるように訴える。

「だって、いくら掘り返しても死体が見つからなかったんですよ? きつくロープで縛ったつもりだったけれど、私の力が足りなくて、結び目がゆるんでしまったのかもしれない。どうやってか小屋からも逃げだして、土砂崩れに巻きこまれたふりで身を隠してた。ずっと復讐するチャンスをうかがっていたに違いありません……」


 どうしよう、と途方に暮れたように呟き、またすすり泣く。

「……一昨日だってせっかくおびき出せたのに、まるで別人みたいに冷たい目をして、こちらの動揺を笑っていたんです。次に失敗したら、きっと私のほうが殺される……」


 止まらない涙と言葉が、毒霧となって辺りにまき散らされていくようだ。

 呼吸が苦しいように思えて、大きく息を吐き出した。


「父を現場に連れていったの、梅園さんだったんですか」

「だって、こんなこと誰にも相談できないじゃないですか!」

 梅園が激しく首を振ると、乱れた髪が涙で頬に張りついた。

「お前の責任で口止めしろって言われたって、どうしろっていうの!」


 スタンガンを突き出したまま、じりじりと梅園が近づいてくる。

 ばりっと放電の音が鳴り、暗がりに火花が白く瞬いた。


 一撃でもくらったら終わりだ。

 手のひらに汗を感じながら雷天弐号を握り直した。

 せーの、と口の中で号令をかけ、身をひるがえして走り出す。

 直後、梅園が小さく悲鳴を上げた。こちらを追いかけようとして、仕掛けておいた糸に足を引っかけたのだ。

 すぐさま八花は反転した。けれど、梅園はよろけただけで、すぐに体勢を整えてしまった。ロッカーを倒して下敷きにしたかったけど、そこまで強く引っ張られなかったようだ。


 まあ、そうそう上手くいくとも思ってなかったけどね!

 心の中で負け惜しみを叫びながら、後ろの戸口から『一ノB』へと逃げた。

 ――と、見せかけてドアのすぐ裏に身を寄せる。


 バッティングの心得、その二。

 前足の親指でタイミングを計り、インパクトの後もバットを振り抜くこと。


 追ってきた梅園が飛び込んでくるのを見計らい、バットを振り下ろす。

 急所へ振り抜くと前科がつきそうなので、いちおう狙いはスタンガンだ。

 ぎりぎりで手元にヒットさせ、スタンガンが落ちたところを思いきり蹴飛ばした。

 吹っ飛んでスイッチが壊れたらしく、窓際のあたりで、バチン、バチンと火花が散る。


「ひどい……何てことするんですか」

 梅園は右手を押さえて顔をゆがめている。

 武器を失ってひるむかと思いきや、血走った目をぎらつかせて飛びかかってきた。間合いに入り込まれ、たちまち、もみ合いだ。


 やばい。完全に読み違えた。


 中途半端に追い込んで、逆に闘争心に火をつけた。

 ここで負けたら人生が詰んだも同然。だから死に物ぐるいになるのは分かる。だけど、何そのありえない腕力!

 あっという間にバットをもぎ取られたよ、嘘でしょ!?


 とっさに身をかわした瞬間、振り下ろされたバットが、うなりを上げて目の前をかすめる。

 あわてて梅園から距離を取ると、素早く周囲に視線を走らせ、後方へとジャンプする。


 再びバットで殴りかかってきた梅園が、ふいにバランスを崩して転倒した。仕掛けておいた二個めのトラップだ。

 ぐらりと揺れたロッカーに、八花は急いで体当たりした。今度こそ下敷きにさせて、どさくさに紛れてバットを取り返す。


 ひどい、ひどい……呪詛のように呟きながら、梅園がロッカーの下から這い出してきた。

 スタンガンを拾われないよう、あいだに入って牽制しつつ、荒い息を整える。

 ロッカーが倒れたときに切ったのか、梅園は頭から血を流している。なのに、傷を確かめる様子もない。たぶん、神経が高ぶりすぎて気付いてもいないんだろう。

 雷天弐号を取り返したのに、あんまり優位に立った気がしない。また奪い取られるかもしれないと思うと、うかつに仕掛けられない。


 ときおり火花が瞬き、辺りの暗がりを白く照らす。

 にらみ合って突破口を探していると、『ダンッ』という重々しい物音が、突如として辺りに響き渡った。

 思わず飛び上がりそうになる。廊下のほうからだ。


 奇妙な物音は、ダン、ダン、ダン、と続いている。こっちへ移動してくるようだ。

 音が近づくにつれて床が振動し、積まれた机やイスがガタガタと鳴り始める。


 やがて戸口から現れた物体に、いっとき状況を忘れた。

 梅園が持ち込んだ、きらきらの一斗缶。

 重量にして十数キロはあるだろう銀色の直方体が、まるで生きたサイコロのように、ひとりでに転がりながら進んでくるのだ。


「や、やだあ……何が起きてるの」

 おろおろと梅園が後ずさる。


 ちゃぷん、と可愛らしいような水音が聞こえ、息をのんだ。

 これ、まさか。

「待って! ふーちゃ……!」


 叫んだ瞬間、一斗缶が爆音を上げて破裂した。

 つんとした薬品臭が教室中に充満し、吹き出した液体が、水鉄砲の水さながらに飛んでいく。その先にいた梅園が直撃をまぬがれたのは、驚いて尻餅をついたおかげだ。


「梅園さん、逃げて!」

 叫んだのと前後して、ばちん、と小さな音が爆ぜ、窓際の壁が炎に包まれた。

 飛び散った溶剤にスタンガンの火花が引火したのだ。


 左腕を炎に巻かれ、梅園が絶叫を上げて転げ回る。溶剤のしぶきが掛かったらしく、炎が移ってしまったのだ。

 パーカーを脱いで駆け寄り、無我夢中になって火を叩く。やっとで消火できたときには、梅園は左腕を中心に火傷を負い、着衣も半身が焦げ落ちていた。


「梅園さん! 生きてる? 聞こえたら返事して!」

 大声で呼びかけると、梅園は苦しげにうめき、薄く目を開けた。

 意識があるのは幸いだけど、早く手当てをしないと命に関わるだろう。


「……助けて……くれたのね」

 かすれた声を絞り出し、梅園が儚く笑う。

 溜息をつきたかったけれど、深呼吸して、きっぱり告げた。

「助けたつもりは、ありませんから」


 直接は手を下していなくても、ナギは梅園に殺されたようなものだ。ナギは無念だったろうし、家に火をつけようとしたことも、双葉を誘拐したあげくにひどい仕打ちをしたことも、とうてい許せる話じゃない。

 こんな火傷を負った程度では足りないし、もっとむごい罰がふさわしい。

 でも。


「梅園さんには、きっちり司法の裁きを受けてもらいます。だから、生きていてくれないと困るんです」


 やられたらやり返す。でも、やり返しすぎたらいけない。

 ケンカにも仁義があるのだと、母さんはよく言っていた。

 色々とやんちゃな人だったけど、きっとだからこそ、公平性やルールには人一倍うるさかった。

 滑走路みたいな田舎道にも法定速度があるのと同じように、自分たちの社会にはルールがある。みんなと同じように通りたいなら、みんなのルールを守らなければならない。

 ときに不利益をこうむっても、母さんは自分たちの社会のルールを信用していた。

 ひいては、ルールを作った自分たち人間というものを信じていたと思う。


「あたしはあなたの被害者の身内で、どこまでやり返すのが公平なのか、正しい判断がつきません。だから、あなたの処遇は第三者に任せます」


 淡々と告げると、苦痛か嫌悪か、梅園が大きく顔をゆがめた。

「はっ、優等生なご回答ね。あんたみたいな子が一番きらいなのよ」

「言われなくたって、自分が良い子ちゃんだっていう自覚はあります。でも、あなただって似たようなものでしょう」

 ちっとも悪いなんて感じていないくせに、事あるごとに『ごめんなさい』と口にした。

「だって、ストレスで精神的にやられちゃったふりしてますよね? だましおおせるなんて思ったら大間違いですよ。世の中は必ずあなたの嘘を見抜きます」


 スマホを確かめると、茨木からは『すぐいく』と返信があったきりだ。早く来てくれないと、火が回る前に梅園を運び出せなくなる。

 焦りつつスマホをしまったとき、ガラス窓がはじけるように割れ、反射的に頭をかばった。

 炎は飛び散った溶剤にも移っており、床や壁はもちろん、カーテンを伝って天井までも焦がしている。

 割れた窓から吹き込む風が勢いよく炎をあおっていて、もう上着で叩いたくらいじゃ消火しきれそうにない。


「……そうだ、ふーちゃん!」

 教室の隅に駆け寄り、机を押しのけた。

「さっきは、ありがと。もう大丈夫だからね」

 腕に抱え上げると、芋虫は応えるように、きゅう、と鳴いた。


「梅園さん、急いで避難しましょう。苦しいでしょうけど、歩けま――」


 振り返って唖然とした。さっきまで倒れていた場所に、梅園がいない。

 はっとして教室を飛び出すと、なぜか廊下にも火が回っている。

 梅園の姿は明々と燃えさかる炎の向こう側だ。動けるのが不思議なほどの重体なのに、一斗缶を振り回して溶剤をぶちまけている。


 一斗缶……あ゛あ゛!

 あの人、もしかして火をつけるために持ち込んでたのか!

 もし時間どおりにナギが来てたら、絶対に焼き殺すつもりだったよね。やっぱ本気で急所に当てとくんだった!


 おーい、と茨木の声が聞こえた。

 ちょっとちょっと、ぜんぜん間に合ってないよ!

「茨木さん、こっち!」

 煙に咳き込みながら怒鳴ると、茨木が口元を覆いながら階段を上がってきた。炎の勢いに立ちすくんだようだったけど、梅園の行動に気付いて飛びかかる。


「梅園さんを病院に! それと、絶対に逃がさないで!」


 押さえ込まれた梅園と、炎ごしに目が合った。

 もう口先だけの謝罪も言い訳もない。すっかり涙の乾いた顔には、苦痛のゆがみさえ見えず、冷静な微笑みが薄く浮かんでいるだけだ。


「下から炎と煙が見えたんで、消防には通報した! お嬢ちゃんも早く来い、逃げられなくなるぞ!」

 茨木が大きく手を招く。

 首を振り、双葉を抱えて後退した。喉を焼くほどの熱風が吹き寄せてきて、これ以上は近づけない。

「もう無理! 反対側から外に出るので、先に行ってください!」


 炎の回った教室側から、立て続けに窓の割れる音がした。風が一気に流れ込み、炎と混ざって、ごうごうと鳴る。

 なおも茨木は手招きし、何か喚いているけど、聞き取れない。


 八花は再び首を振ってみせ、もう一つの脱出口――西棟に続く渡り廊下へと駆け出した。

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