事件の屈折 二 潜入
廃校舎は昭和のころから使われているという四階建ての建築物だ。
普通の教室が入っている東棟と、理科室や視聴覚室などの特別室からなる西棟。
これらが一直線に並んで建っていて、一階と四階の渡り廊下で繋がっている。
もし工事用のシートで覆われていなかったら、一つの大きな校舎の真ん中に、どーんと穴が空いているように見えたはずだ。
これは単なるデザインではなくて、実は風ぬきの役割を果たしているんだそう。
オオカゼの威力を考慮に入れると、この辺りではあまり大きな建物は造れない。
防風林で守れるのは、せいぜい二階か三階くらいまでの構造物。でも、この校舎を設計した昭和の建築家先生は、オオカゼを科学的に分析し、それまで村ではありえなかった、こんな大きな校舎を完成させたのだ。
風は風ぬき穴の周りで流れを整え、渦を巻きながら吹き抜ける構造になっており――というような解説が、小難しい理論とともに、職員室前の展示パネルに書いてある。
その説明図を見ると、『風狼のたまり場』って表現も納得する感じなんだけど、ナギはそんなパネル読んでないと思うから、やっぱり風の流れが見えていたんだろうな。
窓から差し込んでくる月の光は、工事用シートで拡散され、薄い霧みたいになって辺りに充満している。
光と影の差をあまり感じないので、暗さに目が慣れてしまえば、外よりも物が見えやすいくらいだ。
八花が歩くたび、古い廊下は、ぎしぎしと音を立てた。
建築法の改正やら耐震工事やらで増改築をくり返したそうだけど、そもそも築五〇年を越える建物だ。よく言えば昭和レトロ、悪く言えばオンボロ。最初は床がきしむたびに肝を冷やしていたけれど、窓は風でガタガタ鳴るし、別にこっちが動かなくても家鳴りはするしで、あんまり神経質になっても意味がない。
放置されたままのロッカーや、教室から持ち出された机なんかを避けながら、一つ一つ部屋をのぞいてはサクサク歩く。
ほんの一年ちょっとのあいだに、どこも廃墟みたいにすすけてしまって、見知らぬ場所に入り込んでいるような錯覚があった。
床に埃や砂がたまり、いくつも足跡があるけれど、双葉のサイズのものは見当たらない。
人質をとって立てこもるなら、やっぱ最上階かな。
一階から順に回り、何事もなく三階も半ばを過ぎたころ――まるで気を抜いた隙を突くように、脇腹でいきなり光が瞬いた。
……びっくりした。
びっくりしたびっくりした、びっくりしたあ!
何だよスマホだよ! この暗さだと、パーカーのポケットに入れてても光が透けるのか!
あぶな、バットを取り落とすとこだったよ!
いちおう物陰に身を寄せると、若干ふるえている手で光がもれないよう覆い、こっそり画面を確認する。
『こっちにはいない、合流する』茨木からのメッセージだ。
ほんとに? もう全部、見て回ったの? それ早すぎない??
せっかく二手に分かれたのに、追いつかれたら意味がない。
スマホの画面を体側に向け、デニムの後ろポケットにぎゅうと突っ込んで捜索を再開する。
急いで三階を見て回り、四階へと上がりきったとき、すぐ目の前の廊下に思いがけないものを発見した。
きらきらと銀色に輝く直方体が二つ。新品の一斗缶だ。
周囲を警戒しながらラベルを確かめると、塗装に使うらしい何かの溶剤だった。
分かってみると〝なあんだ〟という感じだけど、いきなりだと未知との遭遇みがあるな。
でも、何でこんなとこに置いてあるんだろ。
首をかしげつつ一斗缶の脇を通り、目の前の教室をのぞく。
うん、ここにも誰もいない。
――が、隣へ向かおうとした矢先、視界の中で何やら動くものがあった。
だいたいどの部屋も、生徒の机やイスは掃除のときのように積まれて壁に寄せられ、真ん中に空間ができている。
そこに何かの塊が転がっていたのだけど、まるで大きすぎる芋虫みたいなそれが、まさに芋虫そのままに、もぞりとうごめいたのだ。
ひっ、と出かかる悲鳴をのみ込み、目を凝らす。ガムテープのようなもので何かをぐるぐる巻きにしてあるようだ。
隙間からはみ出しているオレンジ色の柄には、とてもとても見覚えがあった。
……まさか。
「ふーちゃん?」
小さく囁いてみると、きゅう、と茶色の芋虫が鳴き、くいっと頭をもたげる。
慌てて教室に飛び込んだ。「遅くなってごめん、助けに来たよ」
かろうじて鼻は外に出ているものの、全身がくまなくガムテープもどきで覆われている。こんなの、中身が人間だなんて分かるわけないっての。
せめて顔の周りだけでも何とかしてあげたかったけど、業務用の特殊なテープらしくて、ちょとやそっとじゃ歯が立ちそうもない。
うわ……しかも何重にも巻かれてる。
これ、髪の毛とかもう取れないよな。くっそう、なんて真似してくれたんだ。
ロープで縛る代わりだろうけど、小学生の女の子を相手に、ここまですることなくない!?
「ごめん。はがしてあげたいけど、時間がかかりそう。もうちょっとだけ我慢してくれる?」
小声で話しかけながら、茨木あてに、たたたっとメッセージを打った。
『見つけた。四階に上がってすぐのとこ。梅園さんいないっぽい』
「よし、急いで逃げるよ」
双葉を抱えて教室を飛び出し、階段を降り始めたところで足を止めた。
下の階から、何やら物音が聞こえてくる。
家鳴りや風の音ではない、ごとん、ごとんという重い響きと、荒い息づかいのすすり泣き。
夜の廃校舎なだけにホラーな状況だけど、たぶん梅園だ。
――考えろ。
奥歯を噛みしめ、自分に言い聞かせた。
今すぐ頭をフル回転させろ。梅園はこっちへ上ってくる。
東棟の階段は、ここの一箇所だけ。このまま降りれば必ず途中で鉢合わせする。
意を決して、そうっと四階に戻った。
双葉が捕まっていた『一のA』の教室を素通りし、隣の『一のB』の教室へ忍び込む。
ここも机とイスが積み上げられ、乱雑に端へ追いやられている。その壁との隙間に双葉を押し込み、ぱっと見には分からないよう、注意深く机を寄せた。
「じっとして、声を立てないでね。大丈夫、絶対に助けるから」
バットを小脇に抱え、室内を見回しながらソーイングセットを取り出した。
選んだのは黒の木綿糸。引き出した糸を二重にして軽くこより、引っ張って強度を確かめる。うん、何とかいけそうだ。
いったん廊下に出て、転がっていた机の脚に糸の片方を、もう片方をロッカーの蝶番に結びつけた。
教室の前と後ろの出入り口の、ちょうど中間。廊下を横切る形で、低く糸を渡した格好だ。
ロッカーの下には、落ちていた教科書を無理やり折り曲げ、かませておく。
それから『一のB』の教室に戻り、同じような仕掛けをもう一つ作る。
ごとん、とひときわ大きな物音が響き、息をのむ気配が伝わってきた。
「――双葉ちゃん? やだ、どこに行っちゃったの?」
慌てふためいたような呟きが聞こえ、乱れた足音が駆け回る。
「やだやだ……どうしよう。どうしていつも、こんなことになるの?」
時間切れだ。
バットを握り直すと、『一のA』から遠い後ろ側の戸口をくぐり、そっと廊下に忍び出た。
※ ※ ※
『一のA』の前に置いてあった二つの一斗缶が、今は四つに増えていた。
これを運び込んでいたせいで、梅園はこちらと入れ違いになったのだろう。
あたふたと教室から飛び出してきたところへ、八花は「こんばんは」と声をかけた。
いきなり話しかけられて相当に驚いたらしく、振り返った手元から、白い火花がバチバチと散っていく。
電撃をくらったときのショックを思い出すと心臓がばくばくするし、手足が冷たくなるけど、大丈夫、暗いからバレてない!
スタンガンが何だ、気合い入れろ気合い!
「八花さん……あなたが双葉ちゃんを連れ出したんですか? ひどいです、返してください。お願いします」
「……それ、本気で言ってます?」
この人、やっぱりちょっと普通じゃないぞ。
冷たい水が足元から浸食してくるような心地がして、ぞぞおっと鳥肌が立った。
梅園は悲愴なくらいに苦しげで、もとが美人だからか、そんな表情もすごく似合っている。たぶん事情を知らない人が見たら、どっちが被害者か分からないだろうな。
雷天弐号を構えて牽制しつつ、一歩ぶん退く。
それにつられて、梅園が二歩ほど前に出た。スタンガンを両手でこちらに突き出したまま、蹴るようにしてパンプスを脱ぎ捨てる。
「お父さまと話をするのに、あの子が必要なんです。手荒な真似をしてしまい本当に申し訳なかったのですけど、他に方法がなくて……。お願いします、返してください」
梅園との距離を保つため、さらに後ろへ下がった。
「父は土砂崩れの日に行方不明になったままです。どうして生きて隠れてるなんて思い込んでるんですか?」
梅園は唇をわななかせ、はらはらと涙をこぼした。
「だって、脅迫されましたから。お前にこの罪の報いを受けさせる、と」
――はい?




