事件の屈折 一 風の止まり木
夜道に車を走らせながら、茨木が教えてくれた。
旗臣建設が手がけていた例の別荘予定地は、地名を『サクラバ』といい、漢字では『桜場』と書くそうだ。
助手席でナビを務めながら、八花は首をかしげた。
「でも、あの辺りには桜なんて生えてなかったような」
「うん、いいところに気が付いた。これは近年になっての当て字のようなものでね。そもそもの由来としては、『サ』は谷を表す『狭』で、『クラ』は、えぐるという意味の『刳る』が、なまったもの。古くは『狭刳場』と記したんだ」
つまりは、ここは谷間の崩壊地ですよ、という古人の警告なのだそうだ。
「昔の人は、土地の特徴を覚え書きみたいにして地名につけることがよくあったんだよ。そうすれば後の代にも情報が伝わるからね」
何年か前の市町村合併にともない、現在の表記に変更されてしまったけれど、以前の地名を知る近隣の住民は、今もめったなことでは立ち入らないそうだ。
「よくお役所の許可が出ましたね。そんな危険地帯に別荘地を造っていいよ、なんて」
「いちおう地盤の補強工事が行われる予定だったし、計画書にも不備はなかったようだね。ま、旗臣建設は長年にわたって地元に貢献してきた実績があるし、あのへんはめぼしい産業もないからな」
ちょうど市街地と海が一望できるそうで、その見事な景観がセールスポイントの一つだったという。
そういえば梅園も、眺望は素晴らしいと言っていたっけ。
「町が潤うならと、あえて融通をつけたんだろう。どっかのお偉いさんがゴリ押ししたなんて噂もあるし」
土砂崩れが起こってすぐ、旗臣建設には行政の調査も入ったそうだ。
広報担当の梅園は各方面への対応に忙殺されていたが、昨日あたりからは特に憔悴した様子だったという。
不審に思った茨木は行動を見張っていて、おかげで誘拐の証拠写真が揃っているわけだけど、一市民としては未然に防いでいただきたかったよね……。
「ところで、ちょっと電話をかけたいので、スマホを貸してもらえませんか」
両手を合わせてお願いすると、「構わないが」と茨木が片手でポケットを探る。
「梅園まどか、あてにか? 俺の番号は知られているから、出るとは思えないが」
「いえ、友だちに。約束があったのを忘れてて」
ありがたく借り受け、番号を思い出しながら芽衣に電話をかけた。
見知らぬ相手からの着信で警戒したのか、『はい』と応じた声が、普段よりも低めだ。
「もしもし、八花だけど」と伝えると、驚き半分、安堵が半分といった調子で『今どこ?』と聞いてきた。交代要員の集合時間は、とっくに過ぎている。
「ごめん、急用ができた。今夜は参加できないかも」
『どうかしたの?』
「実は、双葉が誘拐されちゃって」
しばらく沈黙が続いた後、電話口のざわめきが遠くなった。人のいない場所に移動したらしい。
『もしかして、ユツギの奴が?』
「いやいやいや」
芽衣の中で、ユツギの評価がここまで低いとは。
「相手は人間。ナギさんの仕事相手で、梅園っていう女の人」
『その人が、どうして双葉ちゃんを?』
「そこが、あたしも分かんないんだよね。ナギさんに用があるらしいんだけど」
話しながら、手振りで曲がり角を示した。茨木が頷いてハンドルを切る。
「とりあえず、これから双葉を取り返しにいくつもり」
『あたしも一緒に行くわ。どこに向かったらいい?』
「芽衣には重要な役目があるでしょ」
クロミミ様をもてなす祭りの宴は、神楽がなくては始まらない。
「それに、今の梅園さんって何をする分からない感じで、ちょっと危ないんだ」
『そんなの、八花だって危険でしょうが!』
「そこはまあ、お守りもあるから」
膝の上の黒い金属バットを見下ろした。スタンガンくらいなら勝負になるだろう。
安いドラマじゃあるまいし、まさか飛び道具までは出てこない……と思いたい。
「じゃ、もう着くから切るね。いちおう警察には言ってあるらしいけど、朝になってもあたしからの連絡がなかったら、芽衣も電話して。で、うまいこと説明しといてくれると助かる。――あ、そのへんで車を停めてください」
『ちょっと待って! ねえ八花、お願いだから考え直して!』
「おじさんと世話役さんに、ドタキャンしてすみませんって伝えておいて」
強引に通話を切ってスマホを返すと、すかさず折り返しの電話がきた。
「途中でかかってくるとまずいな。ひとまず着信拒否にしておくか」
「そうですね」
頷きつつ、心の中で謝った。
ごめん、芽衣。後でいくらでも怒ってくれていいから。
記者のたしなみだという常備の懐中電灯を渡され、静かに車から降りた。
※ ※ ※
「それで、〈風の止まり木〉って、あの工事中の建物かい?」
隣を歩く茨木が、そっと小声で聞いてきた。進行方向には、足場とシートに覆われた大きな影がそびえている。
「そうです。あたしの母校だった高校で」
陽が落ちてから風が出て、葉擦れの音が騒がしいくらいだったけど、いちおう八花も声をひそめる。
「合併で廃校になって、校舎は他所へ移築されるはずなんですけど、まだ解体も始まっていないらしくて」
ナギの作品の中に、この校舎を題材にした風景画のシリーズがある。もちろんシートに覆われる前に描かれた絵だけど、そのタイトルが〈風の止まり木〉なのだ。
現在、閻魔堂ギャラリーで展示中の作品にも確か含まれていたはず。オーナーのもとを訪ねた梅園が、たまたま目にしたのかもしれない。
茨木がカメラを構え、遠景からの廃校舎を写真に収めた。
「それにしても、周防氏は面白いセンスをしてるな。あれを題材にした絵のタイトルが、どうして〈風の止まり木〉なんだ?」
うん、それね。あたしも気になってナギに聞いたよ。
「あそこは風狼のたまり場だから、止まり木なんだって言ってました。この辺りの土地神様は風の神様なんですけど、狼はその眷族だって話があるんですよ」
「ふうん、民間伝承か。個人的には興味あるが、あんまりウケそうなネタじゃないな」
茨木は勝手な文句をこぼすわりに、几帳面にメモを取っている。
記事にしていいとは言ってないからね?
「それで、どこか入り込めるところはあるのかい? それとも門を乗り越えるのかな」
「大丈夫。こっちです」
グラウンドを囲むフェンスに近づき、物陰の破れ目から校庭に侵入した。
「ここ、昔から穴が空いてて、抜け出すのに便利だったんですよ」
木の影を伝いつつ、四角い塊にしか見えない校舎に近づいてゆく。
光が見つかるとまずいので、フェンスをくぐる前に懐中電灯は消しておいた。夜空には赤みの強い綺麗な満月が昇っており、それなりに見通しが利くのが幸いだ。
「……思い出した。何か引っかかると思ったら、こいつは旗臣の抱えてる不良案件だな」
茨木が建物の隅を指差した。遠目では分からなかったけれど、シートにプリントされているのは旗臣建設のロゴマークだ。
ああ、だからこの場所なのか。社用車が出入りしても怪しまれないもんな。
そのまま校舎の東側を回って前庭に出る。奥に建っていた体育館は、先に取り壊されたようで、ほぼ土台だけの状態だ。
山と積まれた廃材の向こうに、例のワゴン車が停まっていた。茨木は物陰から写真を撮ると、足音を忍ばせて近づいていく。
そっと中をのぞき、こちらに向かって首を振った。
「妹ちゃんは、校舎の中へ連れ込まれたようだな」
同じように車内を確かめ、茨木の言葉に頷いた。
「しらみつぶしに教室をのぞいていくしかないですね」
シートのせいで様子が分かりにくいけれど、少なくとも、明かりは見当たらない。
車の周囲をぐるっと回ると、草むらに盗られたバッグがうち捨てられていた。
辺りには中身が散乱しており、八花のスマホも転がっている。
スリープを解除してみると、最新の履歴は芽衣からの着信。その前には、やはり梅園が勝手に使ったらしく、ナギへの発信がずらりと続く。
……これ、とてもスクロールしきれないんだけど、何回リダイヤル連打したんだろ。
こわあ。
若干ひきつりながらマナーモードに切り替え、バイブも解除して、パーカーのポケットに突っ込んだ。
「ここらで意思統一をしておかないか。優先すべきは、妹ちゃんの発見と救出、でいいよな。梅園まどかはどうする。捕まえるかい?」
「そっちはオプションってことで。あたしとしては、双葉さえ無事なら、あの人には逃げられたってかまいません」
ずさんな誘拐だったし、精神的にもだいぶ参っているようだった。ここで無理に捕まえなくても、警察が動き出したら、どうせ逃げおおせないと思う。
「時間が惜しいので、ここからは二手に分かれませんか。というのも、この校舎はちょっと特殊な構造をしていて、捜索に手間がかかりそうなので」
簡単な説明をしながら、ぶちまけられた持ち物を拾い集める。
財布、手帳とペン、ミニサイズの鏡、リップクリーム、携帯用のソーイングセットに小さな布包み。
邪魔になるのでバッグごと置いていくけれど、スマホの他にも何か……うん、財布とリップクリームはいらないな。手帳についてるメモ帳とペンは使えるかも。
鏡と、ハサミや針の入ってるソーイングセットも、何かの役に立つかもしれないので持っていくか。
「いいかい、妹ちゃんを見つけたら必ず先に連絡するように。お嬢ちゃんは無茶しそうだからな」
最初は別々に回ることに難色を示した茨木も、詳細を聞くと渋々ながら納得してくれた。
「連絡した後、問題がなさそうなら速やかに救出。そうでなければ、合流を待ってから行動、ですよね。分かってますって」
大人しく、はいはいと頷いておいた。
「あたしは校舎の東棟を見ていきますので、茨木さんは西棟からお願いします」
最後まで置いていくか迷ったのは、小さな布包み。中を開くと、白い勾玉が月の光に柔らかく輝いた。
「それは何だい? 綺麗な石だね」
横からのぞいた茨木が、ぱしゃりと写真を撮る。
「これは――」
返答に詰まった。
願い事を叶えてくれる神様は、もういない。何の意味もない、ただの綺麗な石。
でも手放しがたくて、まだ持ち歩いてる。
「あたしにとっては、これもご利益のあるお守りです」
ポケットの奥にしまい込み、茨木とアドレスを交換した。
「ようし。じゃ、さっさと妹ちゃんを救出して、社長賞もののインタビューといこう」
茨木は転がっていた鉄パイプを拾い上げ、悪戯小僧みたいに笑う。
「……無事に助け出せたら、考えてみなくもないかもです」
すみませんねえ。
わざわざ二手に分かれるのは、そのほうが手っ取り早いのもあるけど、本当は茨木さんを双葉から遠ざけておきたいからです。
警察だってご遠慮ねがったのに、ゴシップ誌の記者なんて、とんでもないでしょ。
その場で茨木と別れ、急いで東棟へと向かう。
さっき校舎の脇を通ったとき、こっちの昇降口の扉が風に揺れてるのが見えた。たぶん、東棟で正解だと思う。
お。やっぱり開いてた。
扉の前でいったん足を止め、ポケットの勾玉を触って深呼吸。
「――うん、大丈夫」
雷天弐号を握り直し、廃校舎の中へと乗り込んだ。




