(断章 参)
これはトキハカシの語る常世話。
ときは夕暮れ。人草の娘、周防八花が妹の救出に向かったのと同じころ。
ところはフフキの地を遥かに離れた海岸線。
そびえ立つ鋼鉄製の風車は、夕刻の風の凪いだこの時分、呆けたように止まっている。
その三枚羽根の一つ、天を斜めに差した先端には、ぽつんと腰を下ろした神人が一柱。
山の端にのぞく期限の月を、見まいとするように背を向けている。
先ほどまでは、只人には聞こえぬ龍笛を吹いていた。
今は風を失った風車と同様、斜陽の海原を虚ろに眺めるのみである。
また別の羽根には二匹の和迩。
ヒノメは長々と寝そべりながら、クナシは落ち着かなげに足を組み替えながら、ともに主の様子をうかがっている。
「我が君は、いつまでこちらに留まるおつもりなのだ?」
焦れて囁く同輩に、ヒノメは、のんびりと片目を開けた。
「どうした。人草ごときの矮小な仮姿では、背中が凝るか?」
「それはそうだが、今は我が君の話だ」
喉を鳴らしてヒノメが笑う。
「温かく見守ってさしあげようではないか。御心の整理がつくまでなあ」
和迩らの主は尊き同胞の死を嘆き、他の土地神の縄張りに踏み込んでまで、忘れ形見を保護すべく動いた。嫁だの取り引きだのの口約束を持ち出したのは、同胞と土地神との契約に介入するための口実にすぎない。
さりとて初めて目にした、いとけなき姫君は、建前を真実にしてしまおうかと迷うほどに愛らしかった。当人が望むのであれは、いずれ本当に嫁として迎えるのも、やぶさかではないと。
周防の娘に願い事を告げるよう迫ったのも、単なるその場の思いつき。
同胞の守護を失い、苦労の絶えぬだろう末期を哀れみ、かの姫の養育者にふさわしき幸を授けてやろうと、気まぐれに図ったまでのこと。
とはいえ、これらはフフキの地を支配する土地神に向けた、必要不可欠な茶番劇。
と同時に、神人自身に向けた、行動を正当化するための口実でもあった。
和迩らの矜持ある主は、勝手に出奔した輩とその縁者のために、何かしてやりたいなどとは口が裂けても言えないのである。
最初のうちは神人も、どちらに転ぼうが構わなかったのだ。
気丈な娘が妹を預けて三つの幸を受け取るか、妹を選んで二つの幸で満足するか――三つめで追い返されることは、長い年月のあいだに、あちらとこちらで結ばれた暗黙の了解。いわば様式美。
か弱い牙をむくのなら、せいぜい悔しがって消えてやろうと目論んでいた。
しかしながら。迂闊ながら。
和迩らにとっては頭の痛いことに、主は人草の娘とともに行動するうち、いつもの〝悪い病〟を発症してしまったのだ。
「……落胆なさる気持ちは、分からんでもない」
しみじみとクナシが呟いた。
「かの双葉姫、長じたのちには類い稀なる美姫におなりだろう。拒絶を突きつけられた我が君の御心痛、いかばかりかと思うにつけ――」
「違うわ阿呆が」ヒノメが嘆く。「おぬし、つくづく節穴よな。いや、このさい唐変木と呼ぶべきか」
「きさま、愚弄するか」
クナシが胸倉をつかんでヒノメを引き起こした。
「とんでもない。これでも儂は、おぬしの唐変木なところをことのほか気に入っておるのだ」
頭をなで回されたクナシが飛びすさり、鳥肌を立てて短刀を抜く。
「……はは……これで良かったのだ……八花は自信を回復し、姉妹の絆も深まった……めでたい話ではないか……」
かすかに聞こえた主の独白に、二匹の和迩は、どちらからともなく溜息をついた。
「おいたわしい……」
「クナシ、知っているか? 我が君のような者を、こちらではへたれというのだぞ」
神人が勾玉を食わずに逃げたのは、三つめの願い事を引き受けたが最後、二度と周防の娘に会うことが叶わなくなるからだ。
嫁取りを損ね続けて、いささか拗らせていた神人は、悪疫に罹患するがごとく惚れっぽい。山津波の跡地で、うちひしがれる娘に自身の幸せを得よと説いたとき、思いがけない心境を吐露され、あえなく落ちた。
にもかかわらず恋情を認めずにおり、別れを告げられてようやく受け入れた。
ヒノメとしては、うだうだ悩んでいるのは時間の無駄だ、とっとと当たって砕けてしまえと物申したい。
とはいえ、妹を嫁にすると宣言しておきながら、姉に乗り換えるのはあまりにも恥知らずな振る舞いである。茶番劇の一環ではあったのだが、当の娘がそれを信じ込んでいるのだから、なお悪い。
そうでなくとも神人は、その高すぎる矜持が邪魔をして、女人の前で素直にものが言えたためしがなかった。良縁に恵まれぬのも当然なのだ。
「つける薬がないとは、このことだの。せいぜい醜態をさらすがよかろうて」
しかしまあ、とヒノメは目を細める。
「……天地の秤器が裁定を下すより早く、勾玉を差し戻すとは。無理やりではあったが、へたれの我が君にしては、珍しく上策であったのう」
かの娘と交わした取り引きは、まだ完了していない。
おそらく無意識のうちに、口実を一つ残したのだ。
「なあ、クナシよ。面白いものだと思わんか」
気持ちよさげに伸びをする同輩を、クナシは怪訝な顔で眺めやる。
「何がだ」
「呆れるほどの長い寿命を持ち、知識の階梯を登りつめた。そうして天地の秤器に触れることの叶った御身においてすら、いまだ他者を欲する情が止められぬ」
愛しき者の心を乞う。
古今にあまねし凡たる情が、誰の胸にも等しく千変万化の花を結ぶ。
「……よく分からんが、今宵は、つとに機嫌が良いではないか。趣味の悪い奴め」
「儂はこの道の先達として、出来の悪い後生を見守っておるのさ」
「ほう。先達を自称するだけあって、利いた風なことを言うではないか」
皮肉げに吐き捨てる同輩に、くくとヒノメが喉を鳴らす。
「言っておくが、儂とて臓腑が溶けるかと思うほどの逡巡を味わったのだぞ。おぬしのもとへ忍んでいった、かの夜にはなあ」
「どうせ腹でも減っていたのだろう。俺は一晩中、いつ食われるかと気が気でなかった」
寒気をもよおした同輩の頭を、またもヒノメがなで回す。
再び短刀を抜いたクナシに向けて、シッと鋭く指を立てた。
ヒノメは耳を澄ませるふうで、空の一点を見つめている。
同輩の聞きつけたものを、クナシもまた察知した。
「おい、あれは」
「うむ。どうやら御無事であったようだの」
ヒノメの口元に、珍しくも混じりけのない微笑みが浮かんでいる。
※ ※ ※
神人もまた、その思いがけない気配に気が付いた。
海鳥である。両手に包めるほどの大きさの、腰と翼に白い模様の入ったウミツバメ。
痩せ細った身体で懸命に羽ばたき、よろめきながら舞い降りた。
(はあ。やっと、たどり着いた)
息も絶え絶えな風情で、あぐらをかいた神人の膝に身を落ち着ける。
(やあ、久しぶり。変わりはなかった?)
神人は小さき来訪者をしげしげと眺め、溜息をついた。
「まあな。しかしお前のほうは、ずいぶんと哀れみを誘う姿に成り果てたではないか。***那岐*ともあろう者が」
(そうかな。わずかな素材で急ごしらえしたわりには、悪くない器だと思うのだけど。ほら、ちゃんと生き物の形をしているしね)
ウミツバメに身を落とした神人は、ふくふくと羽毛を膨らませた。
(それにしても、山津波なんかで死ぬなんて、人草って本当に儚いよね。茫然としているうちに元の器は持っていかれるし、おかげで僕自身もばらばらになっちゃうしで、もう散々だった)
しばらくは自我も失せた状態で虚空をさまよっていたが、わずかな魂の欠片に残った知識で、ようやく器を生成した。どうりで呼びかけにも応えぬはずである。
「この大馬鹿者が。いつまでも神人のつもりでいるからだ」
叱りつけた元同胞を、ウミツバメは嬉しげに見上げている。
(兄上の雷も久しぶりだ。わざわざ来てくれてありがとう)
「……おれは約束の形代を引き取りに来ただけだ。兄弟の縁も、もう切った」
(だとしても、お礼を言わせてもらうよ。本当に助かった)
ふん、と神人は鼻を鳴らし、手の中の龍笛をもてあそんだ。
「白々しい。八花におれを喚ばせただろうが」
フフキの土地に入った折り、神人は笛の音によって、いち早く忘れ形見の姉妹を発見できた。
人草が神器を携えているのには激昂したが、持ち主に教えられたのでなければ扱えるはずがない。出会いを仕組まれていたのは明白である。
(僕に何かあれば、兄上が来てくれると思ったから。あの子たちを助けてくれたんでしょう?)
神人は舌打ちを禁じ得ない。
「図々しい性格は、人草となっても変わらんな。勝手に、あてにしおってからに」
(そりゃあ頼らせてもらうよ。だって、死んだら何もしてあげられないもの)
ウミツバメは、るると身体を震わせた。
(実際、二人には言葉を伝えられたけど、それだってほんの少しだけだ。突然に消えることを謝るのに精一杯で、不安をぬぐってもあげられなかったよ)
旅立つ者は誰しも、他の誰かを置き去りにする。
それが死出の旅路であれば、なおさらの話。
(僕が神域を出奔したときも、兄上に迷惑をかけたのかな)
珍しく申し訳なさそうな様子の小さな姿を、むっつりと神人が眺めやる。
「勝手に飛び出していった大馬鹿者のために、このおれが大人しく迷惑を被ると思うのか?」
(はは。そう言ってくれるとありがたいね。……僕は十枝さんを追いかけて人間になったけど、今まで一度だって後悔したことはなかったよ)
懐かしむような告白に、「そうか」と神人は短く応じる。
(今日は兄上、何だか優しいね?)
「その情けない姿を見れば、怒鳴る気も失せる」
失礼いたしますと、脇から控えめな声がかかった。
「ご歓談中のところを申し訳ございませぬ。火急の報告が届きまして」
風車の羽根を伝って、ヒノメが神人たちのもとへ登ってきた。肩には星魚が留まっている。
(おや、君も久しぶり。まだ追い出されてなかったんだね)
「これは手厳しい」
ヒノメは首をすくめつつ、主に向き直って頭を垂れた。
「申し上げます。只今、周防家に残した一尋から連絡がございまして」
「おい、お前また勝手な真似を」
気色ばむ神人に、ヒノメが大げさな仕草で低頭する。
「いえいえ。話を聞いていただければ、良くやったと褒めていただけこそすれ、お叱りを受けるはずなどないと信じております」
(いいじゃない、聞いてあげれば?)
ウミツバメのとりなしに、「ならば言え」と神人は不承不承に続きを促した。
「ありがとうございます、では申し上げます。双葉姫が先ほど、かどわかされました」
端的な報告に、神人は計りかねた様子でいったん宙を見上げる。
「どういうことだ?」
「詳しくは、まだ何も。ただ、犯人は梅園なる人草の女だそうでございまして」
「おい待て、そいつは付け火を仕組んだ輩ではないか?」
(――もしかして)
ぽつんと落ちた呟き声に、神人がウミツバメを振り返る。嫌なものを見つけたような顔である。
「まさか、心当たりがあるなどと言わんだろうな」
(心当たりっていうか、僕を現場に監禁したの、梅園さんなんだよね)
取材で造成地を見学した際、一帯が地脈の空白であると気が付いた。
話の流れで施工の危険性について口を滑らせたところ、みるみるうちに梅園は蒼白になり、物陰で上司と相談を始めてしまったのだ。
その場では強く口止めされ、一度は旅館に返された。のちに梅園に呼び出され、車に押し込められて、気付けば作業小屋に閉じ込められていたのである。
(ひょっとして、放火や双葉の誘拐も、僕の失言と関係あるのかなあ)
わななく神人が、ウミツバメをつかんで怒鳴りつけた。
「なぜそういう重要な話を伝えておかないのだ、このたわけが!」
(慌てちゃって。ほら、何せ死ぬのは初めてだったから)
「我が君、我が君。そう力いっぱい握っては、潰れてしまいますが……」
(それにしても、妙だなあ)
ウミツバメは中身がはじけ飛びそうな姿で首を傾げている。
(僕の口を封じる形になって安堵しただろうに、どうして梅園さんは、今ごろになって双葉を誘拐したんだろう)
ウミツバメの疑問に、何事か察したヒノメの目が、ついと泳いだ。
この和迩には珍しい動揺ぶりだが、すぐさま態度をつくろったので、この場の誰も気付いていない。
新たな星魚が、風車のもとへ飛来した。ヒノメは短く報告を聞き、咳払いをして神人らに奏上する。
「続報でございます。八花さまが双葉姫の救出に向かわれたようです」
(八花ちゃん、行動力あるよなあ)
「感心している場合か。どうするのだ」
神人は、とがめる目つきでウミツバメを放り出す。
「そんなありさまで、どう始末をつけるのかと聞いているのだ。助けに行くのだろう?」
(僕が? 何で?)
ウミツバメは目を真ん丸にして、神人の膝で濃褐色の翼を広げた。
(そうだよ、このありさまだよ? 僕が行ったって、何の助けにもならないけど?)
「おい、それでも親か。お前の娘が危険にさらされているのだぞ!」
(心配はしてる。でも、不安ではないかな)
ウミツバメはくちばしを動かし、乱れた羽の毛づくろいを始めた。
(八花ちゃんは、のらくらと生きてきた僕なんかより、よっぽどしっかりした子だよ。十枝さん譲りの度胸も、分別もある。人草の間で起こる揉め事ていどなら、うまい具合に丸く収めてくれるよ)
だって僕、十枝さんがいなくなってからも、何もしてこなかったからね!
不甲斐ない台詞を堂々と告げ、ウミツバメは芥子粒のような目で神人を見上げる。
(だから僕は、任せてしまっても大丈夫だと思ってる。でも、兄上は?)
呆れ返っていた神人は、ふいの問いかけに、戸惑ったようにあごを引いた。
「……八花なら、うまくやるのだろう? ならば、おれが首を突っ込む道理はない」
かの娘は神人の力をあてにしない。
どこまでも自らの足で歩もうとする姿は、ときに放っておけなくなる。けれど手を差し伸べても、それには及ばないと笑ってよこすのだろう。
そうして一人で無茶をして、きっとやり遂げてしまうのだ。
(ふうん、八花ちゃんね。僕もお勧めだけど、相変わらず兄上は頭が固いんだなあ)
神人の性格をよく知るゆえに、やれやれといった風情で尾羽を振る。
(行きたいなら、行けばいいんだよ。道理や口実を理由にしないで、たまには素直な気持ちを見つめてみると、兄上もまた違った境地に至ると思うんだけどね)
「……お前は感情に素直になりすぎだ」
(そうだね。だから僕は、トキハカシを越えることができたんだと思う)
言い返そうとしたものの、何も言えずに口を閉ざす。そんな神人を、ウミツバメは翼の手入れを続けながら、ちらちらと盗み見た。
(僕の十枝さんの、自慢の娘たちだよ。二人ともいい子だったでしょう。手助けしてあげたら、きっと感謝されるよ?)
またもや、あてにされている。
あからさまな態度に、神人は大きく舌打ちをした。
「惚気か親馬鹿か、せめてどっちか片方にしろ」
ウミツバメを膝から払い落とし、立ち上がる。
「助太刀に向かわれますので?」
ヒノメが膝を進めた。荒事の気配に、いつの間にかクナシも控えている。ともに期待にうずく様子である。
思いがけぬ出来事を好機と見たか、神人も晴れ晴れとした顔だ。
「こんな親の尻拭いをさせられるのでは、八花が不憫だ。見過ごしては寝覚めが悪い」
御意、と喜び勇み、両者は星魚に変じて空へ飛ぶ。一尋和迩たちも集い、次々に発った。
(がんばれーみんなー、気を付けてねー)
「お前もだ、さっさと来い!」
ウミツバメを引っつかみ、神人もまた姿を消した。
後には、背の高い風車だけが残された。羽根の上での騒動にも我関せずと、太平な海原を眺めているのであった。




