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事件の悪化 十一 雷天弐号にお願い

「う、梅園さん、どこか身体の具合でも?」

 八花が聞いたとたん、微笑みをたたえた目元から大粒の涙が転がり落ちた。

 と思うが早いか、わあっと顔を覆って号泣する。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 嗚咽の合間に呟き、「私、もうおしまいかもしれません」と声をしぼり出して、またごめんなさいとくり返す。


 あわわ、忘れてた。ここにも迷惑を被ってる人いたよ!

 そういえば、現場でも上司の人からしつこく叱責を受けてたような。

「ひょっとして、会社を辞めさせられそうなんですか?」

 この情緒不安定な感じ、絶対にストレスだ。

 梅園さんは気が優しそうだし、不必要な罪悪感を背負ったうえに、いろいろ厳しいことを言われて参っちゃってるのかもしれない。


「あのっ、梅園さんに謝っていただくことは何もないです。父が土砂崩れに巻き込まれたのは――」


 あれ。

 そういえば、どうしてナギは現場に戻ったんだっけ。

 藤巻さんが何も言ってなかったってことは、移動方法も理由も、はっきりは分からないままってことだよね。

 自分の意思で行ったなら、自業自得って思ってたけど……?


「はーちゃ」

 くいくいと手を引かれ、我に返った。双葉がおびえたように首を振っている。

 顔を上げると、梅園が指の隙間からこっちを凝視していた。

 ……ひい、怖いよう。井戸とかテレビ画面とかから出てきそう。

 やつれた美人って、何でこんなに異様なんだろ。


「えっと、とにかくですね。私たちは父のことは、ほとんど諦めているんです。なので、梅園さんもあまりご自分を責めずにですね」

「八花さん、お願いがあります」


 梅園が窓越しに手を伸ばし、ガッと腕をつかんできた。

 辺りが夕暮れ色に染まる中、赤く充血した目ばかりが涙でギラギラと光っている。

「私を助けると思って、どうか本当のことを教えてください。あなたのお父さまは生きているのでしょう? どこかで身を隠しているのですよね?」


 そう思いたい気持ちは分かるけど、指が腕にくい込んでくるううう。

「す、すみません。痛いんで放してもらえますか」

 梅園は落胆したように目を落とした。

「……教えてはもらえないんですね」


 ばちん、と放電したような音が、思いがけないほど近くで鳴った。

 黒いリモコンみたいな機器が、いつの間にか二の腕に押しつけられている。


 焼けた針が打ち込まれたみたいだと感じた瞬間、大きく身体が痙攣し、手足に力が入らなくなった。ワゴン車にもたれるようにして、ずるずるとタイヤのわきに倒れ込む。


 これはなに。なにがおきてるの……。


 運転席のドアが開き、梅園が身体をまたいで降りてきた。

 わんわんと響く耳鳴りの中に、か細い声が忍び入る。

「ごめんなさい、あまり痛くないといいのですけど……」

 また放電の音がして、脇腹に痛みが突き刺さる。意思とは関係なしに身体が跳ねて、一瞬、頭の中が真っ白になった。


 鼻の奥にツンとした味を感じているうちに、梅園の足が視界から消えた。

 遠ざかるパンプスの足音と、もう一つの軽い足音。

 もみあう物音とともに三度めの放電が聞こえた。ほどなく後部座席のスライドドアが開き、難儀するような気配が続く。


 しばらくして戻ってきた梅園は、だいぶ息を切らしていた。

 ロールの絨毯を転がすような要領で路肩へと押しやられ、肩に掛けていたバッグまでむしり取られる。


「私の声が聞こえますか?」

 仰向けにされた顔の前で、華奢な指がひらひらと動いた。

「よかった、ちゃんと意識はあるみたいですね。あの、本当にごめんなさい。申し訳ありませんが、お父さまに伝言をお願いします。『小さなお嬢さんをお返ししますので、今夜、零時ちょうどに一人で〈風の止まり木〉へ、おいでいただけませんか』と。おおごとになってはいけませんから、警察には届けないでいただけると助かります……」

 新たに込みあげた涙を拭い、また「ごめんなさい」と平謝りした。


 何だこれ。

 ひどい仕打ちをされているのは分かるのに、口からこぼれる言葉がそぐわなくて、思考がフリーズしてしまう。


 梅園がワゴン車に乗り込み、急加速で走り去る。

 再び頭の中が白く霞んでゆくのを感じながら、今さらのように思い至った。


 ……そっか。これって、誘拐だ……。



   ※  ※  ※



「……そうです。ここにいます。大きな外傷はないようですが」


 誰かの話し声が聞こえ、八花は意識を取り戻した。

 アスファルト硬い……。何でこんなとこで寝転んでるんだっけ。


「……はい、はい。たぶんその付近だと思います。よろしくお願いします」

 スマホを構えた人影が、しゃべりながら振り返る。ちょうど通話が終わったらしく、こちらの視線に気付いて屈み込んだ。

 土砂崩れ現場に行った日、駅で遭遇した茨木だった。


「お嬢ちゃん、気が付いたかい。気分が悪いとかは? あ、警察には通報しといたよ。いちおう市民の義務だからね」


 警察? 通報?

 身体を起こそうとしたとたん、筋肉痛みたいな痛みに手足が引きつった。「いだだ」と、ろれつの回らない口から悲鳴がこぼれ出す。

「無理に動かないほうがいい。梅園まどかにスタンガンを使われたようだから」

 え……ああ、リモコンみたいなあれ、スタンガンか!


 頭の中の霞が晴れてゆくにつれ、額と二の腕と脇腹が、ズキズキとうずき始めた。

 額は最初に倒れ込んだときにぶつけたもの。

 二の腕と脇腹はスタンガンを押しつけられた跡だ。服には小さな穴が空き、皮膚に火傷の水膨れができていた。


「あーあ、二カ所もやられたのか。女の子相手だってのに……いや、女同士だから容赦ないってこともあるか」

 怖い怖い、と茨木がおどけたように呟く。


 何なんですかあなた。

 ていうか梅園さんを知ってるの? 

 しかもスタンガン云々って、襲われたとこから見てたわけ?


 にらまれているのに気付いたようで、茨木はキザったらしい仕草で肩をすくめた。

「はいはい、怪しいよね。お前は何者で、なぜここで登場するんだって話だろ?」


 ジャケットから名刺を取り出し、起き上がれない八花に見えるように掲げた。

 氏名の横に記された肩書きは『ジャーナリスト』。

 聞いたことのない出版社だったけど、雑誌名には覚えがあった。病院や理髪店なんかに置いてあるような、表紙のごちゃごちゃしたゴシップ誌だったと思う。


「実は、旗臣建設の不正疑惑について調べている。他の取材と並行しながら、もう半年になるかな。ここ最近は、梅園まどかの行動を追っていてね」

 茨木は肩にかけていたカメラを示してみせた。桂太が使うような、本格的な一眼レフカメラだ。


 駅で接触してきたのも、梅園に対する調査の一環だったという。変に警戒されたくなかったので、あのときは素性を明かすわけにはいかなかったそうだ。

 いや、別の意味で警戒したよね、あれは……。


「言い訳になるけど、さっきは偶然に証拠写真を撮ったあと、誘拐を止めようとはしたわけ。あいにく車に追いつけなくて――」

「ああっ。そうだ、誘拐!」

 空には夕焼けの明るさが残っている。双葉がさらわれてから、そう大した時間は経っていない。

 慌てて立ち上がったら、めまいが起きた。膝をつきそうになるのを気合いで踏みとどまり、ポケットを探る。


「そういえば、梅園まどかは何か要求を告げたのかい?」

「父への伝言を頼まれました。娘を帰してほしければ、一人で〈風の止まり木〉に来い、だそうです」

「一昔前のバーみたいな名前だけど、関係者にしか分からない符丁かな。心当たりは?」

「まあ、だいたいは」

 ポケットに入っていたのは家の鍵だけだった。スマホは盗られたバッグの中らしい。


 茨木は面白そうにあごをつまんでいる。

「でも、周防氏は例の土砂崩れに巻き込まれたんだろう? 生きてたのかい?」


 その質問には答えず、ダッシュで自宅へ駆け戻る。

 固定電話から自分のスマホに繋げようとしたけれど、通話中。たぶん、梅園がナギと連絡をとろうとして、履歴の番号にでも電話をかけまくっているんだろう。

 受話器をガチャンと戻し、遺影に供えた雷天弐号を引っつかんで外に出る。


 門を飛び出したところで、追いかけてきた茨木とぶつかりそうになった。

「茨木さん、車で来てますか? 車ですよね?」

 周囲を見回すと、ご近所さんの生け垣に隠すようにしてビートルが停めてある。

「車を貸してください。急いでるんですけど、あたし今ちょっと交通手段がなくて」


「いやいやいや、待ってくれ。もしかして妹ちゃんを助けに行くつもりかい?」

 茨木は詰め寄る八花を両手で押しとどめた。

「女の子が馬鹿なことを考えるもんじゃないよ。大人しく警察に任せなさい、危ないから」

「大丈夫です。ほら、守り神もついてますし、なるべく穏便にすませますから」

 雷天弐号を掲げてみせ、ぶん、と素振りする。


 バッティングの心得、その一。

 足は肩幅に開き、上体はリラックス。グリップは手のひらの真ん中で握ること。

 うん。母さんの教えは身体にしみついてる。


「うわ、ちょ、それは守り神じゃない、金属バットだろ。たぶん君みたいな子が持ったら絶対ダメなやつだよ!」

 ご町内一の良い子ちゃんをつかまえて、なんたる言い草。

「警察が駆けつけるのを待って、何度も同じ説明をするような暇はないんです」


 誘拐なんて事件が起こったら、知らせるなって言われても警察のお世話になるべきだし、茨木が通報したのも当然だと思う。

 というか、八花だってそうする――双葉が普通の子どもであれば。


 恐れているのは、身の危険を感じたあの子が神様の力を暴発させてしまうことだ。

 犯人が分かっている以上、口封じに殺されるような心配はないだろうけど、梅園の精神状態は明らかにおかしかった。

 おおごとにしたくないと言っていたし、下手に刺激しないほうがいい。


 それに、もし警察を頼ったとして、救出に同行できれば双葉を安心させてやれるけど、現場の判断によっては、むしろ遠ざけられてしまう可能性がある。

 そうなったら、逆に大勢のひとを暴発に巻き込むかもしれない。

 運良く最悪の事態が避けられたとしても、力を使ったところを目撃されるのは、やっぱり困る。


「押し問答してる時間が惜しいんで、もういいです」

 仕方ない、ちょっと遠いけど自転車で行こう。


 子どもを狙ったとはいえ、人をさらうなんて大仕事だ。それを一人でやらかしたからには、梅園には協力者がいないのだろう。

 さっきは油断したけれど、一対一なら勝機はあるし、別にケンカを仕掛ける必要もない。指定の零時まではだいぶあるわけで、向こうの準備が整う前に、さっくり忍び込んで連れ帰る。

 それがいちばん手っ取り早いし、面倒がない。

 警察に駆け込むのは、その後だ。


 踵を返そうとすると、「まあ待ってくれ」と行く手をさえぎられた。

 茨木は目を細め、何やら思案に暮れる顔つきだ。

「なるほど。梅園まどかは、犯罪を犯してでも周防氏と会う必要があり、お嬢ちゃんには、警察に任せたくない事情があるわけだ」

 黙秘したけれど、それ自体が頷いたようなものか。


「お嬢ちゃんの決意が固いのは、よーく分かった。俺も一肌、脱ごうじゃないか」

「いえいえ、お気持ちだけで。あとは車のキーを渡してもらえれば充分です」

「そう言わずに」

 これ見よがしにキーリングを指で回しながら、茨木が車へと向かう。


「そろそろ警察が来ますよ。通報者として待機していたほうがいいのでは」

「誰もいなかったら、悪戯だと思って怒って帰るか、お小言の電話の一本くらい寄越してくるさ。説明なら、そのときにすればいい」

 市民の義務が聞いて呆れる。


 やむなく茨木とともに車に乗り込み、シートベルトを締めた。

 でもこれ、前に見たビートルと型が違わない?

 ……もしかして、お金持ちのお坊ちゃんか。正義のジャーナリストの皮を被った道楽お坊ちゃんだな。

 どうりで、ところどころ良識に欠けてると思った! 偏見だけど!


「若者が遠慮なんてするもんじゃないよ。困ったときはお互い様って言うだろう?」

 エンジンをかけながら、くしゃりと茨木が笑う。

「後で記事にするけど、いいよね」


 にっこり微笑み返した。「ダメです」




ご愛読ありがとうございます。

今回で三章が終わり、いよいよクライマックス。次話より四章『事件の屈折』……の前に断章が入ります。

はたして八花は双葉を救い出せるのか。

『こんなときにユツギは何やっとんじゃ!』の叱咤とともに、よろしければ↓の☆☆☆☆☆をお好きな数だけ、ぽちっとお願いしたく。


ではまた明後日の更新で!

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