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事件の悪化 十 例大祭

 まんじりともせずに目覚まし時計を止めた、寝不足な土曜日の夜明け前。

 足を踏み入れた不吹神社の境内は、こんな時刻にもかかわらず、大勢の村の人たちで賑わっていた。


 あちこちに焚かれた篝火の周りには、いくつもの人だかり。染め抜きの紋を背負った法被姿の集団だ。

 打ち合わせをしたり、円陣を組んで気炎を上げたりと、どの組みも士気を鼓舞するのに余念がない。


 例大祭の一日めとなる今日、彼らは日の出とともに神社を出発し、クロミミ様をお迎えに向かう。交代で神輿を担ぎ、乙女山へと運ぶのだ。

 山頂の本社で神輿にクロミミ様をお遷ししたら、今度は担いで山下り。

 村においでになったのを一晩中おもてなしして、二日めの夕方に、また神輿で山までお送りする。

 以上が祭りの大まかな段取りだ。


 二日続けて重い神輿を山まで運び、帰ってくる。

 担ぎ手たちの労力は相当なものだけど、村で留守を預かる者たちにも、同じように戦場は用意されている。


 八花が宮ノ内家の勝手口をくぐると、二十畳はあろうかという土間作りの台所には、すれ違うことも難しいくらいの大人数がひしめいていた。まかない作りに駆り出された人たちだ。

「おはようございまーす」

 持参のエプロンをつけながら挨拶すると、「こっち頼んでええけ」と殺気立った声が飛んできた。

 世話役のおばちゃんに連行され、夜番の人の作業を引き継ぎする。

 渡されたのは給食室にありそうな大鍋二つ。昼食用に、おでんの仕込みだそうだ。


 ガス台の一つにはタケが陣取り、巨大な木ベラで餡子(あんこ)を炊いている。視線が合うと、ぎろり、とにらまれた。

 こわ。すみっこで小さくしてよっと。

 黙々と大根を切り、皮をむいては鍋に放り込む。


「ふあ……ほんと、この時期はつらいわ」

 ジャージ姿の芽衣が欠伸をしながら現れた。一日めの朝にしてすでにお疲れのご様子だ。

 村の人たちは当番をこなせば解放されるけど、神職さんが休めるのは、二日間の例大祭の、片付けまでが終わってからになる。


 芽衣は世話役さんに渡されたゆで卵のボウルを運んでくると、悪戯っぽく笑って声をひそめた。

「今日は塩、かけられなかったみたいだね」

「塩なら、家で自主的に浴びてきたよ」

 顔を合わせるのは分かってたからね。にらまれたけど、怒鳴られないだけいいや。


 なかなか薄皮がむけないらしく、芽衣のもとには、ぼそぼそとした白い物体が量産されつつある。

「うわ、これもダメだわ」

 小さくうめき、芽衣が崩壊した卵を口に放り込んだ。証拠隠滅とは大胆な。


「れ、ろうすんの? 例のタイムリミットって今夜なんれしょ」

 もごもごと聞かれ、手元の大根に目を落とした。

「ユツギなら、もう帰ったよ」

「んぐ」芽衣が胸を叩きながら口の中身をのみ込む。「な、何があったん?」

「心は決まったし、嫌なことは早くすませなあかんと思ってん」


 昨夜のやりとりを説明すると、芽衣は魂が抜けたようになって固まった。

「手え止まっとる。はよ戻ってこんか」

「あ、ええっと……双葉ちゃんはどないなった?」

「おかげさまで無事にしとるよ。心配してくれてあんがとな」

「――ちっ、あんの嘘つき野郎」

「え。ちょっと何なん」

 いま舌打ちしなかった?

「何でもない。こっちの話や」

 芽衣が笑って首を振り、がんがんとゆで卵を調理台に叩きつける。

 ちょ、力加減が強すぎない?


「何にしても、最後の願い事が果たされるのは百年後か。よう上手いこと言うたわ」

「……と、思うとったんやけど」

「何や問題あるんか?」

「んー……」

 何となく説明しづらくて、ざく、と大根のしっぽを切り落とした。


 勾玉が食われなかったということは、願い事としては果たされなかったということ。

 つまりユツギは、自らの意思で立ち去ったことになる。


 どうして? 何で? ぜんぜん意味が分からない。

 何か不都合なことでも起きたのか。

 それとも人間ごときに、してやられるのが嫌だったとか?


 さっさとケリをつけたかったのに、おかげでモヤモヤが止まらないじゃないか。


「八花? どないしたんや」

 溜息をつき、包丁を握り直した。「ごめん、何でもない」

 頭を空っぽにすべく、ひたすら大根と格闘し続けた。



   ※  ※  ※



 おでんの仕込みが終わってからも、配膳やら洗い物やら、こまごまとした作業に駆り出された。途中、藤巻からの電話でしばらく席を外したけれど、後はずっと働きづめだ。


 やっと交代の人が来たのは、お昼を過ぎてから。

 まかない用の食事をもらって外に出ると、ごった返す境内の隅にスペースを見つけ、芽衣と並んで腰を下ろした。

「しみる……生き返るわ……」

「ほんと……」

 疲労のあまり、しばらくは虚ろな牛になったような気分で、おでんを咀嚼する。


 拝殿ちかくの天幕では、希望者に御神酒が振る舞われているようだ。参道周辺でも各種の屋台が営業を開始したころだろう。

 クロミミ様は愉快なことの大好きな神様だから、お迎えするほうも陽気に楽しく過ごす。それが何よりのおもてなしになるという。

 例大祭の二日間、村は文字どおりのお祭り騒ぎだ。


「そいうえば、警察から電話が来たんでしょ。何だったの?」

「ナギさんの捜索だけど、会議で打ち切りが決まるかもってさ」


 今後も成果が見込めないため、そうなる可能性が高いそうだ。ついては後日、改めて説明がしたいと言われた。

 非常に残念です、と悔しげな様子だったけれど、とうに割り切って今後のことばかり考えていたので、その気持ちが少々後ろめたい。


「ほらあ。やっぱり、あたしの言ったとおりだったでしょうが」

 気にすることないって、と芽衣がタケ婆ちゃん特製のヨモギ餅にかじりつく。

「そうなんだけど……。まあ、これで一区切りつくかな」


 境内に軽いどよめきが走った。朝方に出発した神輿が乙女山から帰ってきたらしい。

 クロミミ様をお迎えしようと、人々がいっせいに移動してゆく。


「そういえば、ナギ様のお葬式とか、どうするの?」

 芽衣のおでん皿には、さすがに飽きたのか、ゆで卵だけがつるんと残っている。

「失踪した人が死んだって認定されるまでに、ええと、長ければ七年だっけ? 何かするにしても、その後かなあ」


 ナギが死んだことは分かっているけれど、しばらくのあいだは、帰りを待っているふりくらいしておくべきだろう。

 いずれ死亡を認めてもらうための届け出が必要になる。藤巻と会うときには、その辺りも含めて話を聞いてくるつもりだ。


 それから『今後もし自分に何かあったら』と考えると、柚比良の家との繋がりは保っておいたほうがいい。

 このあいだ話をした限りでは、事情を打ち明ければ色々と協力してはもらえそうだ。こちらの生活に口を出してくるかもしれないけど、もしそうなっても、交渉の余地はありそうに思える。


 問題は――ユツギに頼んでしまった一つめの願い事だ。

『我が家に関わってこないように』と言ったけれど、こっちから関わろうとする分には大丈夫……と思いたい。

 できるかできないか、とりあえず試してみるしかないだろう。


「いろいろ保留にしてたことばっかりだから、少しずつ片付けていかないと」

 決意を新たにしていると、芽衣が目を伏せた。「忙しくなるね」

「うん。でも、そのほうが気も紛れるし。――そうだ、言っておかなきゃ」

 芽衣に向き直り、ごめん、と頭を下げた。

「あたし、双葉と村に残ることに決めた。東京には行けないや」


 行くなら双葉も連れて行くことになるけれど、人目の多い都会で秘密を守るのは困難だろう。

 田舎にも田舎なりの難しさはあるものの、慣れているぶん心得はあるし、親身になってくれる人も多い。

 物価という点でも、こっちなら当面はナギの遺してくれたお金で充分に生活していけるはずだ。


「ふうん、八花は、大切なことは一人で決断できちゃうんだ」

 すねるような呟き声に、ますます申し訳なくて手を合わせた。

「せっかく真剣に誘ってくれたのに、ほんとごめん。でも、芽衣が強くなるんじゃなくて幸せになれって言ってくれたから、決心できたんだよ。もう二人きりになっちゃったけど、やっぱり家族と一緒にいるときが、あたしはいちばん幸せだから」


 ありがとう、と改めて感謝を伝えた。

「……そ、そっか。あたしこそ、ごめん。せっかく前向きになってるのに、水を差すようなこと言っちゃった」

 芽衣は笑ってくれたけど、やっぱりどこかぎこちない。

「考えてみれば、離れてたって同じ地面の上だもの。電話も通じるし、メールだって届く。やろうと思えば、日帰りだってできる距離でしょ。今までのようには会えないからって、あたしたちの関係が変わるわけじゃない……わよね?」

「もちろんだよ!」

 あわてて芽衣の両手を取った。

「一緒には行けないけど、あたしの一番の親友は、ずっと芽衣だから!」


 芽衣が面食らったように瞬きをする。

 その白い頬がほんのり朱に染まったとき、シャッター音が立て続けに鳴った。


 地べたをローリングしながら迫ってきた人影が、すっくと立ち上がる。

「メイにゃん恥じらいの横顔ショット、いただきました!」

 頭に枯れ葉をくっつけた桂太が、トロフィーのようにカメラを掲げた。


「うわあ……校外でもブレないねえ」

 周りの一般人から怪しい目で見られてるのに、鈍感力が仕事しすぎ。

「はっはっは。メイにゃんの晴れ舞台があると聞いては黙っていられませんな! それで、巫女服はまだですか? ダンスのステージもあると小耳に挟みましたが」

「ダンスって神楽のこと? 芽衣の出番は夜になってからだよ」


 芽衣が、むっつりと桂太を小突いた。

「あんたね、声をかけるにしたって、空気くらい読んだらどうなの」

「あれれ? 今の、出てきちゃダメな場面でした?」

 それには答えず、芽衣は「ゆで卵、食べるにゃん」と皿を押しつけた。



   ※  ※  ※



 結論から言えば、柚比良には、こちらからなら連絡できた。


 電話口でナギが行方不明だと打ち明け、近いうちに話がしたいと伝える。

 ついでに大家さんにも電話して、引っ越しを了承すると告げた。ただし、新居の家賃が想定よりも高かったので、入居はひとまず保留にしてもらう。


 これでまた少し肩の荷が下りそうだ。ほっとしてシャワーを浴び、仮眠を取る。


 次の当番は、夜から明け方にかけて。夜中に一人で留守番させるのも不安なので、宮之内のおばさんに許可をもらい、双葉も連れていくことになっている。

 こっちは一晩中こき使われるけど、休憩時間には一緒に屋台を冷やかしたり、神楽を見物したりできるだろう。


 夕方ちかくに起き出し、出掛ける準備をする。

 気温的にはだいぶ涼しいけれど、お祭りと言えば堂々と浴衣を着られる数少ないチャンスだ。自分は働きやすい格好で行くしかないので、せめて双葉には着付けてあげた。

 仕上げに鏡の前で髪をまとめ、花飾りを挿す。


「ひゃあ、ふーちゃん見てごらんよ。やぱいよこれ、すっごく可愛い」

 我が妹ながら素材がいいので、着飾るのは無条件で楽しい。

 まあ、当の本人に何の感慨もなさそうなのが、非常に物足りなくはあるんだけど。


 夜風で冷えないよう、薄手の羽織を着せて外に出た。もうすぐ日が落ちるころで、辺りはすっかり夕暮れ色だ。


「さみしい?」

 玄関に鍵をかけていると、唐突に双葉が聞いてきた。

「ゆつぎちゃ、いなくなった。はーちゃ、さみしい?」


 いつも近くにユツギがいるのが当たり前だったから、すっかり姿を探す癖がついている。今も、ついつい周囲を見回してしまって、それを見られていたらしい。


「寂しいっていうか――」

 通り抜けた門の扉を閉めつつ、言葉を探す。

 強いて言うなら、防風林の中から外へ出たときの感じに近い。

 厚い木々の守りを抜けて、吹きさらしのあぜ道を歩いていくときの、寄る辺がないような感覚。

 こういう気持ちを〝寂しい〟と呼ぶのかもしれないけれど。


「ふーちゃんは、ユツギがいなくなって寂しい?」

「べつに」

「そ、そうなんだ……」

 ごめん、ユツギ。ちょっと笑った。


 手を繋いで神社へと歩きながら、改めて双葉の浴衣姿を眺めやる。

 オレンジ色の朝顔模様の浴衣は、十枝が作った八花のお下がりだ。この子なら、もっと落ち着いた色味が似合うだろう。


「今度、新しい浴衣を作ってあげようか?」

 何気なく言ったら、双葉が、ぴくんと顔を上げた。

 いつものように表情は変わらないけど、何だろ、ぱたぱたする尻尾の幻影が……?

「嬉しい?」

「うれしい」こくりと頷く。「はーちゃ、つくってくれるの、うれしい」

 ……そっか、嬉しいのか。へへっ。なら、もっと早く作ってあげればよかった。

「じゃあ、はーちゃん張り切っちゃうよ。どんな柄がいいかなあ」

 頭の中にあれこれ布地を広げ、さっそく検討を始める。


「はーちゃ、なにしたら、うれしい」

 ナギによく似た色素の薄い瞳で、じっと双葉が見上げてきた。

「はーちゃ、ふたばに、つくってくれる。ふたばと、いっしょ、してくれる。はーちゃ、なにうれしい」


 ユツギとは行かないって言ってくれただけで充分うれしいけど、そういう話じゃないよね。双葉にできることで、お願いしたいことなんてあるかな?

「うーん、あたしは特に何も……」


 双葉は大きな目をまたたかせ、こてんと首を傾げる。

「はーちゃ、ほんとは、なにしたい?」


 ふいに背後でクラクションが鳴り、徐行してきた車が横で停まった。

 旗臣建設の白いワゴン車。運転席のウィンドウが開いて、「こんばんは」と声をかけられた。

「今夜は、この辺りのお祭りですか? 他にも浴衣の人たちを見かけましたけど」


 にこやかな梅園の姿に、思わず立ちすくむ。

 別人のように頬がこけ、充血した目の下には黒々とした隈。何日ものあいだ一睡もしていないような、ひどい顔色をしていた。

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