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事件の発端 二 消息不明って?

「ええと……予定どおり、昨日からスケッチ取材ですが?」


 訝しむような返事になってしまった。

 別荘地のパンフレットに使うイメージ画を描き下ろしてほしいという依頼を受けて、ナギは現地の風景をスケッチしに行っている。

 閻魔堂経由で紹介された仕事だったから、オーナーも話は聞いているはずなのだが。


『実はね、あちらの担当の方がいらっしゃってるの。代わるわね』

 オーナーの気配が遠くなり、『もしもし』と若い女性の声が聞こえた。

『不躾なことで申し訳ございません。私、旗臣(はたおみ)建設の広報担当、梅園(うめぞの)まどかと申します。周防さまには弊社の依頼を引き受けていただき、誠にありがとうございました』


 梅園は社会人マニュアルの用例のような台詞をはきはきと告げた。

 旗臣建設。それなら確かに依頼主だ。

 普段、ナギの仕事には関知しないのだが、このぼんやりした人が泊まり仕事なんて大丈夫かなあと、いろいろ聞き出してあったのが幸いした。


『実は、その』

 一転して梅園が気弱そうに口ごもる。

『ごめんなさい、実はお父さまと、昨夜から連絡がとれないのです』


 ナギの番号に繋がらないので、今朝になって宿泊先の旅館を訪ねたそうだ。

 旅館の話では、やはり昨夜から部屋に戻っていないらしい。しかも荷物を残したまんまでだ。

 梅園はますます不審に思い、閻魔堂を訪れた。それで自宅に連絡がきたというわけだ。


『あの、緊急のご用事でお帰りになっていたりなどは……』


 梅園がうかがうように声を途切らせたが、こっちも驚いて何も言えない。


「……心当たりを探してみます」


 やっとの思いで返答し、身内が仕事をすっぽかしたことを謝罪した。

 梅園は仕事が云々よりも、不慮の事態を心配してくれているようだ。ちょうど別件で社内が混乱していたとかで、問い合わせが遅れてしまい心苦しいという。


 はぐれボタンを瓶に戻しながら、芽衣がちらちらと視線を向けてきた。会話の断片や雰囲気から、何か問題が起こったらしいと察したようだ。

 ともかく捕まえしだい連絡させると梅園に約束し、オーナーにも挨拶して通話を切ると、待ちかねたように声をかけられた。


「もしかして、ナギ様に何かあった?」

「ええと……いなくなったって」

「は? 何よそれ」芽衣の声がはね上がる。「事故? 誘拐? それとも失踪とか」

「どうだろう。まだ私にもさっぱりなんだ。ちょっとごめん」


 駄目もとでナギに電話をかけた。でも、やっぱり繋がらない。

 じっとしていられなくて、呼びだし音を数えながらぐるぐると歩き回った。

 軽く散歩に出たら迷子になって、とかありえる。すごくありえる。


 ふいに、どこか遠くから呼ばれた気がした。


「――え?」

 振り返る。

 と同時に、耳元の呼びだし音が鳴りやんだ。

 まばゆいほどの光の中に、所在なげなナギが立っていた。


   ※  ※  ※


「うわ、びっくりしたあ」


 動揺した自分が恥ずかしくなり、ちょっと笑って誤魔化した。

「今さ、梅園さんから電話があったよ。すぐ連絡してあげて」


 ナギは上背のある身体を縮こめ、長い両手の指を持てあますように結んでいる。

 叱られるときのいつものポーズ。

 なんだ、美人は情けない格好をしててもやっぱり美人だな。


 むきだしのコンクリートが日差しを反射している。辺り一面にあふれる、視神経がしびれるような白い光。

 そんな強烈な眩しさの中で、ナギの姿はカゲロウのように揺らめいている。

「宿泊先にも戻ってないって聞いたよ。何かあった?」

 目もとに手をかざした。

 ナギの表情がよく見えない。


 いつナギが来たのか。

 なぜ八花が屋上にいると分かったのか。

 そもそも父兄といえど無許可では立ち入れない校内に、どうやって入りこんだのか。

 そんな疑問がささいな話に思える。

 もっと重要な何かが間違っている、と虫の知らせ。


『ごめんね』


 しおれたような声は、なぜかスマホから聞こえてきた。

 ナギが結んだ指を解き、こちらへ右腕を差しむける。

 まるで手品みたいに、その手にはいつの間にか何かが握られている。

 リレーで使うバトンほどのサイズの、やや歪な白い棒のようなもの。


 あれ、と思った。これ、どこかで見た覚えある。


 何となく差し出した右手に、ナギがバトンみたいなそれを置く。

 見た目は陶器みたいなのに、肌触りは柔らかで、生き物みたいに温かい。


『吹いて』


 またスマホから声がした。

 でも、目の前のナギの口は閉ざされたまま。

 ナギとスマホを見比べ、何となくスマホに向かって聞き返した。


「『吹いて』って……えっと、どういうこと?」


 ナギは両手を口もとに添えて指を動かした。

 そのジェスチャーは何なんだ?


 困惑しているうちに、ナギがしょんぼり頭を下げた。


『ほんとにごめんね。双葉のこと、よろしく頼みます』


 ぷつ、と耳障りな音を最後に通話が途切れる。

 その瞬間、まるで段差を踏み誤って落ちたように、八花は現実に戻ってきた。


   ※  ※  ※


「――あ?」


 身体がガクッと揺れたとたん、我に返って周囲を見まわした。

 少し離れたところで心配そうにこっちをうかがっている芽衣と、ペットボトルを抱きかかえて動画撮影の準備を進めている桂太。

 屋上にいるのは自分たち三人だけだ。


「あのさ」動揺したまま声をかけた。「今ここにナギさん来……てないよね」

 芽衣は眉をひそめている。

「ナギ様? 来てないけど」

「だよね」


 愚かな質問をした気がして、スマホで後頭部をはたいた。

 もしかして白昼夢というやつか。

 だけど画面には通話終了の通知が出ていたし、左手には奇妙な棒を握りしめたままだ。


 棒をバッグに、スマホはパーカーのポケットに押し込んだ。

 白昼夢でないのなら、ナギは誰の目にも触れずにここへ来て、痕跡も残さず消え失せたことになる。

 いやいや、それこそ瞬間移動のマジックじゃあるまいし。


 ――双葉のこと、よろしく頼みます。


 ふいにナギの声が耳に蘇り、急いで荷物をまとめた。

「芽衣、ごめん。先に帰らせてもらっていいかな」

「う、うん。こっちは構わないけど、大丈夫?」


 分からない。でも、何かが起こったのは間違いなさそうだ。

 バッグとトランクをひっつかむと、スニーカーの靴底を鳴らして走りだした。

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