事件の発端 一 それから二年が経ちまして
午後の授業がそっくり休講となった、五月晴れのすがすがしい木曜日。
「いいよお、メイにゃん。いいよ、すごく可愛い。ちょっとスカートまくってみてー」
のっぺりとした町並みが広がる地方都市の郊外。ひとけのなくなった講義棟の屋上に、いかがわしい呼びかけ声とシャッター音が響きわたる。
「いいね、いいねー。胸元のボタン、あと二つ外しましょうかー」
壁際に座って撮影を見学している八花の視線の先、セクハラを完全スルーしテンポよくポーズをとってゆくのは、幼なじみの女子学生。
モデルばりの容姿とスタイルをもつ、造形科の宮之内芽衣。
彼女が着用しているのはフリルなキャンディ・カラーの制服だった。
もちろん実在の学校のものではない。この春から始まった深夜アニメ『魔法少女まじかる☆リリカ』の主人公リリカを模した撮影用衣装。いわゆるコスプレ。
リリカは彼女の〝当たり役〟だそうで、トレードマークのツインテールを地毛で結い、小道具のマジックワンドまで自作するという気合いの入れようだ。
やがて撮影が一段落すると、芽衣はノートパソコンのモニタで写真を確認し、うん、と満足そうに頷いた。
「さっすが、けーちゃん。人間性はお下劣だけど、おにゃのこを可愛く撮ることにかけては天才的だにゃん☆」
小首かしげのポーズと満面の笑顔に、人間性のお下劣な男子学生――映像科の佐々木桂太はデレデレと身をよじらせた。
「うん、まあ、そうですね。僕の感性は時代を先取りしてますんで」
桂太をスカウトした芽衣いわく、彼には三つの長所があるという。
お金持ちの息子で高価な機材を持っていること。
高機能な編集ソフトをプロ並みに扱えること。
そして計り知れない鈍感力だ。
芽衣はスポドリのペットボトルを開栓し、ひとくち飲んでから桂太に握らせた。
「けーちゃんにあげるっ。ご褒美にゃん☆」
「……メイにゃんと間接ちゅーだと……?」
「休憩するねっ。SNSに流す画像の加工と次の撮影準備、よろしくにゃーん」
動揺に打ち震える桂太をよそに、すちゃっと日傘を広げて踵を返した。
「はあーしんどっ。あいつまじキモいんだけど」
疲れ果てて戻ってきた芽衣のため、八花は隣にビニールシートを敷いた。
まったく同感なのだけど、どっちもどっちのコンビだなあ、とも思う。
「撮影お疲れさま。動いてみてどうだった?」
衣装に汚れやシワがつかぬよう、芽衣が注意深くシートに腰を下ろす。
「大丈夫、特に突っ張るようなところもなかったよ。このスカートのプリーツ、いつもと違う? 広がったときのラインがすごく綺麗に出てた」
「うん、当たり。ちょっと裁断を変えてみたんだ。上手くいって良かった」
へへっと照れ笑いしてハイタッチを交わした。
衣装は八花が制作したものだ。もちろん型紙なんか存在しないから、録画をコマ送りしつつ一から描き起こした。
二次元のデザインを立体にしただけでは、マネキンしか着られないような服になってしまう。それを生身の人間が着用しても自在に動き回れて、かつ原作の雰囲気そのままに調整するのは至難の業だ。
でも、同時に腕の見せ所でもある。
昨夜は睡眠時間を削っての仕上げ作業だったが、本物のリリカもかくやという姿を見せてもらって、苦労も眠気も昇華した。そのうえ細かすぎて伝わらないだろう工夫まで拾い上げてもらえたのだから、職人冥利に尽きるってものだ。
芽衣が申し訳なさそうに手を合わせた。
「あのね、来月の放映で、もう新コスが登場するの。また突貫作業になっちゃうけど、制作お願いできる?」
八花自身はオタクではないが、もともと裁縫が趣味だった。コスプレにハマった幼なじみに衣装作りを頼まれるようになったのは中学生のとき。
以来、五年のあいだに作った衣装は数え切れない。
「来月でしょ? 課題の提出にかぶらなければ間に合うと思うよ」
「やった、ありがと! 資料は帰りに渡すね。……それで、その……」
にわかに芽衣が言いよどみ、もじもじと日傘を回した。撮影用メイクでビスクドールみたいに整えられた横顔が、次第にふんわり色づいていく。
「……あのな、そろそろ夏のイベント準備せんとやろ。こまかいこと相談したいさけ、週末お泊まりに行ってええ?」
「んんっ……もちろん、ええがよ」
にまにましそうになるのをこらえ、八花も方言に切り替えた。
「でも今ナギさん家におらんよ? 昨日から週明けまで出張」
「は?」
「珍しいやろ。けっこう大きい仕事らしくてな、スケッチのための取材旅行なんやって」
ぽかんとしていた芽衣が、見る間に真っ赤になった。日焼けを嫌った白い肌は、そのぶん綺麗に染まりやすい。
我慢できなくなって笑ってしまった。
「からかって堪忍な。照れとる芽衣が可愛いもんで、ついついなあ」
この幼なじみは、なんと義父に惚れているのだ。面と向かって「再婚する気はないんですか」と大真面目に尋ねたことすらある。
僕は十枝さんでないと無理、と言外にゴメンナサイされていたが、今も諦めてないのがバレバレだ。
正直、駄目な大人の見本みたいなアレのどこがいいのか分からない。顔か。やっぱり顔なのか。
だけど芽衣なら顔でもスペックでも選び放題なのに。
もったいない。
「ごっ、誤解せんといて! ナギ様のことは何とも――きゃっ」
芽衣が腕を広げた拍子に何かが跳ね、割れてコンクリートの床に飛び散った。
「あ。やば」
八花は転がった欠片を追いかけ、拾い上げた。
思ったとおりボタンだった。打ち所が悪かったのか見事に粉々だ。
芽衣に立ってもらって衣装をあらためると、スカートの三つある飾りボタンが一つちぎれていた。日傘の持ち手がおかしな具合に引っかったらしい。
「うわ、ごめん。うちが変に動いたせいやんな」
芽衣はおろおろとして、スカートをなでたり伸ばしたりしている。
「どないしよ。これ予備ないって言うてたボタンやろ。すぐ取り寄せるにしても……」
「今日の撮影て、あと何やの?」
「天気もええし、PV動画を撮っとこ思っとってん」
「そか。ならたぶん平気やよ」
八花は通学用の布バッグから小ぶりのトランクを引っ張り出した。リサイクルショップで発掘し、裁縫道具を持ち歩くのにちょうどいいと思って購入したものだ。
古びて固くなっている留め金を上げ、はぐれボタンの詰まったガラス瓶を取り出した。じゃらりと中身をビニールシートにあける。
「今だけ別のんで代用しよ。一つだけ違とると目立つし、三つとも替える」
なるべく似たものを揃いで選び出し、針に糸を通して「おまかせあれ」と芽衣の前に膝をついた。
母の十枝を見送ったのは、もう二年も前のこと。
当時は進学を諦めきっていたけれど、背中を押してくれたのは他でもない、駄目な大人であるところのナギだった。
書きかえた進路調査票を見られてしまい、泣きながら説教されたのだ。
『いつも僕たちのことを考えてくれるのは、八花ちゃんのいいところだよ。でも、たとえ家族のためにだって、自分のやりたいことを諦めたら絶対に駄目。大丈夫、お金なんて何とかなるから』
珍しくも親らしかったこの言葉どおり、本当に学費は何とかなった。
いったいどういう天の配剤なのか、翌日、ナギの絵に大口の買い手がついたのだ。
その後もお金が必要になるたび不思議と絵は売れて、八花はアルバイトもせずにすんでいる。芽衣の衣装作りが続けられるのだってナギのおかげだ。
感謝してもしきれないけれど、たまに釈然としない思いには駆られる。
ナギの使う絵の具は八花のお下がりだし、紙だって近所で売ってる普通のスケッチブックだ。それらを用いて鼻歌まじりに描かれた水彩画は、綺麗に額装されると小さなものでも数万の値段がつく。
預金通帳に残高が増えるたび、お金を稼ぐって何だろう、とATMの前で遠くを見つめる自分がいる。
最後の糸をちょんと始末して声を上げた。「はい、かんせーい」
元のボタンを外して付け替えるくらいなら、ものの数分とかからない。
わあ、と芽衣が嬉しそうにその場でくるりと回った。
「ほんま、八花はうちの魔法使いやわ。あんがとうな」
「どういたしまして」
その笑顔が何よりのご褒美だ。シンデレラにドレスを着せた魔女も、きっと何でもしてあげたい気持ちになったと思う。
「あれ、八花。スマホ、マナーモードのままになっとらん?」
「え? ああ、電話か」
バッグから振動音がする。糸切りばさみと針山をトランクに戻しつつ、片手を突っ込んでスマホを取り出した。どうやら自宅からの転送電話だ。
十枝の昔の顧客から問い合わせがくることはままあって、いまだに対応が欠かせない。
でも、今回は珍しくナギ関係の連絡だ。
『どうもー、閻魔堂です。今ちょっといいかしら。ナギ様のことなんだけれど』
ナギの絵を扱ってくれているギャラリー『閻魔堂』のオーナー。
店名にふさわしい閻魔顔のおじさまだが、中身は物腰やわらかなお姉さまだ。ナギがヒモだったころから絵を置いてくれている大恩人でもある。
ちなみに芽衣もそうだが、閻魔堂さんもナギをナギ様と呼ぶ。
というより、ナギと知り合いになる大抵の人間が、なぜだか同じように呼ぶ。
ひれ伏したくなるような高貴なオーラがにじみ出ていて、そう呼ばざるを得ないとか何とか。
やっぱり顔か。異世界の王子様とかなのか。
「お世話になってます。はい、父がどうかしましたか?」
先を促すと、閻魔堂さんの声が少し低くなった。
『あのね、つかぬことを聞くけれど……ナギ様って、お家にお戻りになってる?』




