事件の悪化 八 魔人を攻略する方法
まだ三〇代も半ばだったのに、まるで命のガソリンが尽きるみたいに、あっけなく十枝は死んでしまった。
憶測でしかないけれど、きっと双葉を産んだ影響だったんだろう。神様の子どもを身ごもり、無事に産み落とすために命を削ってしまった。
たぶん十枝は、すべて覚悟のうえだった。
萩本も予感していた節があった。立場上、賛成はしなかったろうけれど、結局は思いをくんで手を貸した。
もちろんナギだって、遠くない未来に訪れる死を知っていたはずだ。十枝が亡くなり、ナギ自身にも不測の事態が起これば、生まれてくる子どもを守れなくなる。
だから双葉が生まれたあの日、例の白い龍笛を見せて使い方を教えてくれたのだ。
ゆらめく炎の中で灰になりゆく、青い花柄のワンピース。
無心でこれを縫っていたとき、頭の中で整列していた作業工程の中に、異質なものが紛れ込んできた。
ミシン室の時の流れにたゆたっていた、自分ではない誰かの記憶。
あるいは、あの部屋の持っていた記憶。
ときは十枝の妊娠が発覚したころ。八花が眠り込んだあとの真夜中のこと。
連日のようにあの部屋では、十枝とナギの話し合いが行われる。
ナギは子どもを産むことに反対している。神域を出てまで求めた愛しい人を失いたくないからだ。
でも、十枝は頑として首を縦に振らない。
もちろん、神様の子どもを宿すという未知の体験が怖くないわけではない。けれど、十枝の人生において、ケンカの相手が誰であろうと背中を見せたことは一度としてなく、それは相手が運命でも同じだった。
話し合いはその夜も、十枝のこんな一言で終わる。
――大丈夫。死神なんて、うちがぶっとばしてやるがいね!
ワンピースと母子手帳が燃え尽きるまで、八花は白い煙が細く立ち昇るさまを見つめていた。
萩本の指摘は正しい。
双葉が一緒にいたいと告白してくれたときから、たぶんあの子を守っていこうと決めていた。
選択肢を並べて迷っていたのは、前へ進むことの困難さに怖じ気づいていたから。
萩本をたずねたのも、ただ背中を押してもらいたかっただけだと今なら分かる。
「安心してよ、もうひるんだりしないから」
勝負に勝ち、短いながらも命をつないだ十枝と、それに付き添ったナギ。
二人が守ったものを、自分も守るから。
焚き火を念入りに片付け、バッグからナギの龍笛を取り出した。
小さいわりに重い墓石を苦労してずらし、けれど直前で迷って、笛は納めずに石を戻した。
「……ごめん、母さん。やっぱり、この笛は入れられないや」
別のものを持ってくるよ。何か、ナギさんの骨の代わりになるものを。
悪いけど、それで勘弁してくれるかな。
※ ※ ※
墓地からの帰り道、八花は公民館に立ち寄った。
年季が入っているだけあって、図書室の蔵書数はかなりのもの。でも、あまり利用者は多くない。
うっかり幽霊とか目撃しそうなこの雰囲気、何とかならないものか……。
びくびくしながら薄暗い書架をうろつき、穴蔵のような行き止まりに双葉の姿を見つけた。あれこれ立ち読みしながら、借りてゆく本を物色しているところらしい。
ふーちゃん、と小声で呼びかけて近づくと、双葉は意外そうに目を瞬いた。
まあ、あたしが図書室に用とか珍しいよね。
「ちょっと調べ物をしようと思ってさ」
終わったら一緒に帰ろうと告げて、いったん別れる。
目指すは児童書のコーナーだ。
「確かこの辺りの棚に――あった。うわ、いま見るとボロボロだなあ……」
適当に何冊か選び、隣の閲覧スペースに運んで子ども用のイスに腰掛ける。
読書は苦手だ。でも、国語の授業の一環であったり、夏休みの読書感想文に必要だったりで、どうしても本を読まなければならないことはあった。
そんなときにお世話になったのが、これら世界各地の童話や神話をまとめた物語集。
話の筋が単純で分かりやすいし、一話ずつが短くてあきないからだ。
ざっと目次に目を通し、日に焼けたページをめくって内容を確認していった。
こうした物語を読んでいると、似たような話にいくつも遭遇する。
特殊な生まれの子どもが旅に出て、悪を退治して故郷に帰る話。
不幸な娘が高貴な身分の青年に見初められ、幸せになる話。
死の国をのぞいた者が、命からがら逃げ帰る話。
そして、大切なものと引き換えに、魔人に三つの願い事を叶えてもらう話。
自分が同じような体験をしているせいで、どうにもフィクションとは思えない。
これらは誰かの体験談を物語として伝えたもので、同じような出来事に遭遇した人は、実は世界各地に存在したのかもしれない。
人の一生はその人に唯一のものだけど、人間全体を俯瞰してみれば、どれもありふれたバリエーションの一つ。
いま自分に降りかかっている問題も、かつて誰かが通った道で、きっと解決のヒントは語り継がれた物語の中にある。
魔人と出会った人間の話は、大別すると二種類だ。
欲をかいた主人公がすべてを失うパターンと、主人公の詭弁にやりこめられた魔人が追い返されるパターン。
以前に読んだときもそうだったけれど、後者の話は釈然としない。
確かに魔人は邪悪だったかもしれない。でも、主人公に約束どおりの富をもたらした。
なのに骨折り損で追い返されるなんて、可哀想な役回りだと感じてしまう。
「……だけど、しょうがないんだろうなあ」
溜息をついてページをめくる。
だって、こればかりは譲るわけにいかないから。
あれこれ読み比べていると、双葉が本を抱えてやってきた。
「借りてくものは決まった? じゃ、帰ろっか」
こちらも物語集を片付け、双葉のぶんの貸し出し手続きをすませて図書室を出る。
「知り合いの人からビワをもらったよ。晩ご飯の後で食べようか」
「たべる」
双葉がしがみついてきたので、わしわしなでた。ああもう可愛い。
ユツギがクロミミ様と約束した退去の期限は、もう明日。
最初は何かと息巻いていたユツギだけれど、双葉にふられて気力がなえたのか、もう願い事を叶えさせようとはしてこない。
このまま三つめの願い事を言わなければ、大人しく向こうに帰ってくれるのかもしれない。
でも、取り引きを持ちかけてきたとき、ユツギは『古よりの定石にならって』と言った。
だったらこっちも定石どおりに、引導を渡してあげるべきなんだろう。




