事件の悪化 五 十枝
「お前から見て、十枝はどんな奴だった」
ふいの問いかけに顔を上げる。
気遣うような金色の瞳と目が合って、不思議だなあ、としみじみした。
初対面で窒息させようとしたうえに、無理やり取り引きを押しつけてきた神様。
断固として追い返すつもりだったのに、家に招いてお酒をふるまうほどに、ほだされるとは何事か。
我ながら態度の変わりっぷりが激しくて、呆れるやら笑えるやら。
「そうだなあ」と斜めを見上げた。
「すごい人だったよ。お酒にだらしなくて、賭け花札に強くて、大胆不敵で。あと、意外と可愛いものが好きなの」
「それのどこが、すごいのか分からん」
「母さんの若いときの写真とか、いっぱいあるよ。見る?」
押し入れを開けて、おせんべいの缶箱を取り出した。ちゃぶ台の上を少し片付け、放り込んであった写真をばさっと広げる。
最近は撮影しても滅多にプリントしないので、大部分がもう何年も昔のものだ。
「あった、これこれ。母さんの写真の中で、これがいちばん好き」
十代のころの十枝と、その遊び仲間たちで撮ったという一枚だ。
場所は夜の河川敷。楽しげに肩を組んだ少年少女たちの中央で、十枝はキャラクターもののタンクトップに漆黒のロングコートをまとい、横倒しのオートバイに片足を載せている。肩に担いだベコベコの金属バットは、今は亡き雷天壱号とのこと。
「ケンカを吹っかけてきた他所のチームを、メンバーみんなで撃退した記念なんだって」
ちなみに、隅っこには八花の父も映っている。人垣の後ろのほうで両手を振りあげている少年だ。が、ものの見事に仲間の腕が被って、とても残念なことになっていた。
どうやら写真運が悪いらしく、どれも半目だったり、よそ見をしていたりで、普通の写真が一枚もない。唯一まともだったから選んだという遺影も若干ピンボケだ。
「……お前の〝すごい〟の基準が分からんな」
あれこれの写真を眺めながらユツギがうなる。
「あたしは小心者だから、母さんの気っ風のいいところに憧れてるんだよ」
「小心者はおれを怒鳴りつけたりしないと思うが……」
ぶつぶつ言ってるけど、初日に取り引きを持ちかけられてキレた件かな?
あれは誰だって怒るとこだ。
「ユツギは母さんと面識があるんだったよね」
「まあ、一度だけな」
ナギが十枝を助けたとき、その場に一緒にいたという。
「一つの命が尽きるも続くも、天地の秤器が定める摂理だ。いっときの哀れみで気安く介入するなと止めたが、ナギの奴は忠告を聞かなくてな。思えば、そのときから嫌な予感はしていたのだ」
ふてくされたように語りながら、手酌で酒をそそぎ、一息にあおる。
ユツギの目はだいぶ据わってきていて、あまり良くない兆候だ。
さりげなく一升瓶を遠ざけようとしたら、じろりと睨まれた。
「十枝とともに神域を出ると告げられたときも、おれは止めた。行くなら縁を切るとまで言ったのだ。それでも、奴は聞かなんだ。神人が人草の身に堕ちるなど、もはや死に等しい。だから山津波なんぞで、くたばるはめになるのだ、あの馬鹿が」
さんざんにけなしているけれど、そこはかとなく情を感じさせるのが可笑しい。
「……何を笑っている」
「え。笑ってないけど」
何だかんだ言って、いい友だちだったんだな――とか思ってないです。
「とにかく、だ。天地の秤器の定めは、あらゆる現象に及んでいる。おれたち神人でさえ影響からは逃れられん。ナギはおれと十枝とを天秤にかけ、十枝を選んだ。その傾きはついに戻らず、奴はトキハカシを越えていったのだ」
……そうだったんだ。
変な言い方だけど、ユツギはナギにも、ふられたってことなのかな。
「でもナギさんは、ユツギのことも母さんと同じくらい大切だったと思うけど」
「……ふん。同情などいらん」
ユツギが鼻を鳴らし、とろんとし始めていた目元を覆う。
「お前たち人草には、天秤の傾きを見るすべがない。ゆえに真実に気付かず、無駄なあがきを続けられるのだ。その愚直さが、ときにおれはうらやましい」
再び一升瓶を取ろうとする手つきが危なっかしい。
そろそろ限界かな。
今度こそ瓶を遠ざけると、つかみそこねたユツギはバランスを崩し、ちゃぶ台に突っ伏した。
「……あの馬鹿が。あと少し持ちこたえていれば、おれも間に合ったものを……」
弱々しい呟きを最後に、すうっと寝息を立て始めた。
※ ※ ※
腕にしびれを感じて、八花は、ちゃぶ台から身を起こした。
枕にしていた腕をもみ、眠気にかすんだ目をこする。ユツギが沈没した後、一人で懐かしく写真を眺めていたけれど、いつの間にか寝落ちしていたらしい。
最後の記憶と違って、ユツギは畳に転がって眠り込んでいた。
途中で目を覚ましたようで、日本酒の瓶が空になっており、残っていたはずのおむすびもつまみも、すべて綺麗に平らげられていた。
なんだ、こっちも起こしてくれればよかったのに。
「ふわあ……もう十二時か」
欠伸をしたとたん、ぶるっと身震いが起きた。窓は閉めてあったけれど、この時間となると、さすがに肌寒い。
肩に掛かっていた布を首元まで引き上げ、はたと気付いた。
――あ。
あ゛あ゛、あ゛……!
これって! ユツギの羽衣ー!
もっと近くで観察したいなあと指をくわえて見ていた! あれが! この手に!
一瞬にしてテンションがはね上がり、心の中で雄叫びを上げる。
他人の秘密に触れるような、小さな罪悪感と大きな興奮。たぶんいま鏡を見たら真っ赤になってると思う。
落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせ、震える手で羽衣を広げる。
うわあ、何これ。さらさらって衣擦れの音まで綺麗だし、心の琴線に触れまくる。
オーガンジーよりも薄くて柔らかくて、まるで宙に浮きそうなくらいに軽い。向こう側が透けるほどなのに、まとうとしっかり暖かいとか、すごくないか。
ふわ。ハーブみたいな爽やかな香りまでするんですけど……?
そういえば、この不思議な虹色の光沢は、糸のせい? それとも織りかな。
ユツギを起こさないよう、そうっと裁縫トランクを手元に引き寄せ、ルーペを取り出す。
うん、ぜんぜん分からん。ていうか、こんなの見たことない。
六倍でも繊維が判別できないとか、そもそも織物ではないのかも。
神様の身体は力の凝縮されたものだって聞いたけど、まさか衣装もか。
空気より比重が軽そうなのも、薄いのにしっかり暖かいのも、ユツギの力の一部ってこと? ひょっとして自在に性能が付加できんの?
何それすごくない?
ユツギだけじゃなくて、他の神様も同じことできるのかな。
神様のいる神域って、あたし的にパラダイスなのでは?
やばい。
想像するだけで鼻血が出そう……!!
鼻と口を押さえてぷるぷるしながら、寝こけているユツギを盗み見た。
こんな素晴らしいものを気前よく貸してくれるとか、なんて良い奴なんだ。
これで幼女趣味さえなければ……!
せっかくなので、すはすはと気がすむまで頬ずりしてから、散らばったままの写真を片付ける。
人間には詳しい情報を与えられないらしいけど、酔っ払ってきわどいところまで話してくれちゃった気がする。
どうせなら神様の服装事情を聞き出してしまえばよかった。
神域に行ける双葉が今だけうらやましい。神様ってわりとたくさんいるみたいだし、どこかでひょっこり会えないものか。
ううむと悩みながら缶のふたを閉めようとして、一番上にあった写真に目が留まった。
大きなお腹でミシンを操っている十枝の姿。
小学生のときに撮ってあげたものだから、ここにある写真の中ではけっこう新しい。
かすかな違和感を覚え、手に取ってみる。
いったい何が気になるんだろう。
「――あ。そうか」
これは夏の写真だ。日付は入っていないけれど、夏休みの自由研究につける写真を撮影していて、確かそのついでに撮ったはず。十枝の格好も夏っぽいし、間違いない。
でも、双葉が生まれたのは春先だ。
これが前年の写真だとしても、もう臨月みたいにお腹が目立ってるのはおかしい……よね?
すうっと背筋が冷たくなり、慌てて写真箱をひっくり返す。
勘違いを証明する写真がないかと思っていたら、逆さにした箱の底敷きが外れ、何かが一緒に転げ出た。
見覚えのある表紙の冊子。
ぺらりと中を確かめる。うん、やっぱり双葉の母子手帳だ。
でも、何で? どうして写真箱なんかに紛れてたんだ?
それも、まるで隠すみたいにして。
首をひねりながらタンスを開ける。
予防接種や検診の記録なども載っている、大人になってからも必要な母子手帳。紛失したら大変だ。
病院の診察券入れと救急箱の隣が、いつもの指定席。
「――え」
指定席には、まったく同じ冊子が収まっていた。
呆然として手に取り、両方を見比べる。
中身をあらためると、記されている数値や検診のコメントなどは、ほぼ同じ。けれど、よくよく照らし合わせれば、日付だけが違っていた。
新しく見つかった手帳は、もともとあったほうと比べて、十カ月ちかくも早い。
「どういうこと……?」




