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(断章 弐)

 これはトキハカシの語る常世話。


 人草の娘、周防八花が一尋和迩と会話をしていた同時刻。

 周防家を発ったフフキの巫女、宮ノ内芽衣は、さほど車を走らせぬまま路肩に停めた。先日、塩で禊をするはめになった公園の前である。


 日暮れとともに吹き始めた風が、なぶるように木々を揺らしている。木の葉のざわめきと野良猫のうなり声とが宵闇に響く中、宮ノ内は車を降り、園内に足を踏み入れた。

 付近に人影がないことを確かめ、持参したゴーグルと防塵マスクを装着する。

 それを待って、神人が忽然と姿を現した。


「つくづく、おれは不遇だ。せっかくの逢い引き相手が、けったいな格好の女ではな」

 憮然として掲げた指先には紙片が挟まれている。宮ノ内が周防家に立ち寄った際、密かに石礫にくるんで屋根へ投げ上げたものである。


「やめてよ、逢い引きだなんて気色の悪い」

 宮ノ内はマスクの具合を直しつつ、尖った声で答えた。

「でも、誰かに見られたら通報されるのは確かね。とっとと用件を済ませるわ」

「そう願いたいものだ」

 指先の紙片が、めらりと炎を上げて燃え落ちた。


「単刀直入に聞くわ。あんた、八花の二つめの願い事を叶えたそうだけど、本当に双葉ちゃんを連れていくつもりは、あるのよね?」

 不穏当な含みを感じ取り、神人は眉をひそめた。

「連れていかせたいのか? お前と八花は親友だと聞いたがな」

「ええ。あたしは八花の無二の親友で、一番の幼なじみで、誰よりもあの子のことを思ってる。そんなことより、ごまかさないで、ちゃんと質問に答えなさいよ」


 神人は大きく舌打ちをした。

「無論のこと。おれは双葉どのを説得し、連れ帰りたいと思っている。だが、八花の心情を考えれば後味が悪い。独り残されたあいつは心を病むだろう」


「それはそうよ。十枝おばさんが消息不明だった一カ月のあいだのことは、八花にはひどいトラウマになったもの」

 宮ノ内は肩をすくめている。

「八花は家族を失うのを恐れてる。真面目な良い子ちゃんでいるのも、何だかんだ言いつつ家事を一手に引き受けているのも、そうすることで家族という絆の中に居場所を保てると思っているからなの。自分を後回しにして誰かのために何かしていると、八花はとても安心するし、自信が持てるのよ。でも、本人にはその自覚がないみたい」

 面白いわよねと、どこか楽しげに続けた。


「八花には藁が必要よ。いつか陸にたどり着くまで、そばで支えてあげられる誰かが。でも、双葉ちゃんは藁としては重すぎる。八花を巻き添えにして沈みかねない」


 神人は苦虫をかみ潰したような顔だ。

「言い草は気に食わんが、その通りだろうな」

「でしょう? 一つ教えてあげる。八花が初めて縫った服は、あたしのためのものだったの。何の飾りっ気もない、ただの白いワンピースだった」


 もう十年ちかく前の話よ、と宮之内は夢見るように語った。


「子どものころ、私の父と母は待望の娘を溺愛していて、片っ端から可愛い服を買い与えたわ。お姫さまのドレスみたいで心が躍ったけど、私は昔からこんな身体つきだったわけ。どれも悲しいくらいに似合わなくて、自分はなんて醜いんだろうって、ずっと思い込んでた。でも、八花にそのワンピースを強引に着せられて――」

 はしゃいでバレリーナの真似をする少女のように、軽やかにステップを踏んで、ふわりと回る。

「おそるおそる鏡をのぞいたとき、なぜだか、すうっと背筋が伸びて、本当の私はこんなに綺麗なんだって気付いたの。いつも人目を怖がっていた私に、八花が勇気を与えてくれて、ヒロインに変身させてくれたのよ」


 思い出の中の白いワンピースの裾をつまみ、優雅な仕草で腰を折った。


「何が何だか分からないって顔してるわね。分からなくていいのよ。理解できなくていい。私の気持ちは誰にも汚させない。つまり何が言いたいかっていうと――八花の藁には、私がなるわ」


 挑むように顔を上げ、神人と対峙した。


「あんたが連れていってくれれば、双葉ちゃんは人目を忍ぶような生き方をしなくてすむ。八花だって、最初はショックかもしれないけど、心置きなく自分の人生を楽しめるわ。それで丸く収まって、みんなが幸せになれる」


 神人が不愉快げに眉をひそめ、おい、と咎める。


「家族を失ってつらいのなら、八花が新しい家族を作ればいいのよ。こんな田舎町だと常識が邪魔をするけど、都会でなら今どき受け入れられないこともないもの。ナギ様の後妻を狙うなんて迂遠な真似をしなくても――」


「おい、そのへんで黙れ」と、さらに声を強くした。

「ずいぶん得意そうだが、身勝手な言い草だとは思わんのか」

「生きることは選択の連続よ。重要な分岐点でくだらない遠慮なんかして、後で悔やんだりしたくない。私は私の運命に介入する。誰にも邪魔はさせないわ。クロミミ様にも、あんたにもね」


 宮之内は神人に指を突きつけた。

「で、あんたはどうなの。私の妨害をするの?」


 園内に二基ある黄みがかった照明が、宮ノ内の足もとだけに二方向の影を作っている。その影がときおり揺れるのは、風に紛れて旋風(つむじかぜ)が集まったゆえである。

 旋風に脅えた野良猫が、躑躅(つつじ)の茂みをくぐって一目散に逃げ去った。


「……おれにお前を止める権利はないな」

 神人は横目で周囲の梢を見やり、大きく舌打ちをした。

「いろいろと気に食わんが、こちらの邪魔をせん限りは何も言うまい」

「じゃ、お互いの行動には不干渉ってことで。……信じていいのよね?」

「当たり前だ。嘘などつかん」

 ふん、と鼻を鳴らし、手首を振る。

「分かったなら、もう帰れ。陽が落ちたあとに、若い女が出歩くものではない」


 宮ノ内も辺りを見回し、頷いた。

「そんな感じね。面倒に巻き込まれないうちに、退散させてもらうわ」

 





「――ほほう。今の娘が、フフキの巫女でございますな」


 宮之内が公園を出てゆくと、神人のかたわらに小柄な影が現れた。

 作り笑顔の八尋和迩、ヒノメである。

「我が君を相手に一歩も引かぬ猛々しさ。扱いの難しそうな花でしたが、よろしかったのですか、不干渉などと協定を結んでしまって」


 風に目を細めるようにして、神人がヒノメを一瞥する。

「……何が言いたい」

「何くれと世話を焼くほどに、お気に召していらっしゃるのでしょう、八花様のこと」

「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てた。「哀れんでやったまでだ。手塩にかけて育てたものを連れ去るのだからな」

「ええ、ええ。存じておりますとも。我が君は昔から、かように哀れなほどの健気な娘御が、たいそうお好みでございますからねえ」

「だから、違うと言っているだろうが!」


 聞く耳を持たぬ己が眷属に、神人は声を荒らげて念を押す。思わず帯びた熱を溜息で逃がした。


「それで、何用だ。おれをからかうために出てきたのか?」

「めっそうもございません」

 片手に提げていた品を主人に示す。

「つい先ほど、周防家の敷地に侵入者がありましたので、ご報告を。先日より、たびたび留守を狙って家捜しをしておりました、例の人草にございます。今宵は、こちらを裏庭に持ち込み、うち捨ててゆきました」


 収集用の古紙を装った束である。油の臭気がまとわりつき、半面が焼け焦げている。

「付け火か」神人の金色の瞳に嫌悪がにじんだ。


「下種な真似をするものだ。風祭の土地だぞ、火が回れば手がつけられん」

「でしょうなあ。今夜も、とても良い風が吹いておりますし」

「それで、その不届き者はどうした」

「追い返しました」

 したり顔で簡潔に答えた眷族に、神人は疑いの目を向ける。

「いえいえ。ごく普通に対応いたしましたとも。軽く幻術を施し、二度と悪心を起こさぬよう灸を据えてやったのみでして」

 ヒノメが古紙の束を放り上げると、そのまま音もなく宙に消えた。


「私の姿は、その者が会いたくないと恐れている人物に見えたはず。しばらくは周防家に近寄ることもできぬでしょう」

「それが余計な真似だと思うがな。まあいい、件の人草については対処を考える。油断なく目を光らせておけ」

「お言葉でございますがねえ」

 ヒノメは口を尖らせている。

「知識豊富なうえに気も利く私が裏方に追いやられ、人草嫌いで乱暴者のクナシが姫様方に侍るなど……配置に問題がございませんか?」

「クナシの奴には、よく言い含めてある。お前が八花に何をしたか、おれが気付かんとでも思っているのか?」


 幼い頬に指をあて、ヒノメが無邪気そうに小首をかしげる。

「なれど我が君は、一つめの願いを聞き届けてさしあげたではないですか」

「自分の意志だと信じ込んでいる以上、あれが八花にとっての本心だ。拒否などできん」

「嘘でも真でも構わぬでしょう。こうして首尾よく事が運んでいるのです」


 絶対に盗るまいと決めた果実でも、一つだけ、と手を伸ばしたが最後、甘い味は舌の根に染み込んでしまう。

 そうなれば、しめたもの。次の実をもぐのに、ためらいがなくなっている。


 もしも一つめの願いを無理やりに言わせなければ、果たして人草の娘は、二つめを申し出たろうか。


「八花様は我欲の少ない現実的な方。手をこまねいていれば、勾玉はただの一つも使われずに期限を迎えるはめになりましょう。そうなれば、せっかくの我が君のお心遣いも水泡に帰してしまいます」

「ほう? おれの望まんことを、さもおれのためであるかのように、さえずるのだな」


 神人が呟いたとたんに大気がはじけ、ヒノメの身体が地に叩きつけられた。


「お前の忠義は信じてやろう。だが、もし次に勝手な真似をすれば――」

「……すれば?」

 うずくまり、血を吐きながら問う一の臣下を、神人は冷厳に見下ろしている。

「即座に放逐されんことを、ありがたくは思わんようだな」

「いえいえ、肝に銘じました」

 笑みをのせた口元の血をぬぐい、その場にぬかずいた。

「ここまでの通力を持てたのも、我が君が取り立ててくださったお陰。わたくしとて、一介の端者に戻りたくはございません」


 分かればいい、と風になぶられる髪をかき上げて、神人が不機嫌そうな表情をいっそうのこと歪めた。

「――おい。貴様らも、そろそろ姿を現したらどうだ」


 一声とともに園内を閃光が駆け抜けた。三つの旋風が光に打たれたように緩み、ばらばらになって梢から落ちる。

 旋風には狼が潜んでいる。壮年の男が四つんばいになったほどもある風狼(かぜおおかみ)

 逆立つ毛並みは風の色に透け、なおかつ、この夜分である。人草の目には、渦巻く砂ぼこりが、かろうじて見えるのみであろう。


 おやおやあ、と腰を上げ、ヒノメが楽しげに手を打った。

「山犬どもでございますな。夜風に紛れて盗み聞きとは、主の品格が忍ばれますなあ」


 風狼たちは体勢を整え、神人とその眷族を囲んで低くうなる。どちらが不審な動きを見せても、瞬時に飛びかかる素振りである。


(**斎津伎**よ、我が姫****久呂弥美**のお尋ねである)

 風狼の一匹が、形式ばった口調で神人に告げた。

(一つ。我が姫は貴公と約定を交わし、庇護下にあった***那岐*の忘れ形見との交渉を許した。しかしながら、他の人草との関わりまでは認めておらぬ。貴公の約定違反である。即刻、我が姫のもとへ出向き、かしこみて申し開きせよ)


「なるほど、周防の娘と取り引きした件か」

 神人は三匹の風狼を睥睨した。

「断る。あんな辺鄙な山の頂くんだりまで飛んだうえに、山犬だらけのくそ寒い風穴に入るなど二度とご免だ。そもそも、件の取り引きは娘自身が引き受けたもの。天地の秤器が許したまっとうな契約だぞ」

 貴様らの土地に生じた人草だとしても、こちらに正当な権利がある。とやかく言われる筋合いはない、と主張する。

「帰って山犬女に伝えろ。期日の月の出までには、おれはこの地を離れてやる。それまで大人しく穴蔵に引っこんでいろ、とな」


 挑発まみれの言の葉に、刃のような突風が吹き寄せた。


(我が姫への暴言、見過ごせぬ)

(見過ごせぬ)(見過ごせぬ)

 口々に唱えながら、風狼が獲物の周囲を走りだす。


「ああ、構わんぞ。ちょうど、むしゃくしゃしていたところだ」

 しかしながら、神人が神気をにじませるより早く、ヒノメが留めるように腕を広げる。

「いいえ、御手を穢すまでもございませぬ。何より、他の土地神の領域で直に手をお下しになっては、後々に禍根を残すかと」

「向こうが喧嘩を売ってくるのだ。すでに禍根も何もなかろう」

「だとしても、どうぞ私めにご命令を」


 ヒノメは一転、上目遣いになって懇願した。

「わたくしだって、我が君に叱られて、むしゃくしゃしているんですよう」

 ひねくれ者の珍しく素直な物言いである。神人は、つい苦笑した。

「いいだろう。お前に任せる。が、二匹までで我慢しろ。残りの一匹には、先ほどの伝言を持ち帰ってもらわねばならん」


 御意、とヒノメが破顔すると、神人はその場で姿を消した。

 風狼たちが和迩をぐるりと取り囲む。


 ヒノメは軽く左右に首を鳴らし、紅い唇をぺろりと舐めた。

「二匹ばかりでは腹もふくれぬが、主の命とあらば、我慢するしかあるまいのう」

 いや――と思案顔で顎をなでる。

「要は、伝言をしゃべることさえできればよいのだ。となれば三匹めも、頭だけ残せば事足りるのではないか?」


 呟きの終わらぬうちに、風狼が飛びかかる。

 ヒノメの姿が一瞬にして歪み、そして消える。と同時に巨大な影が一帯を覆い、漆黒の津波のように旋風をのみ込んでいった。

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