事件の悪化 三 二つめの願い事
保健室には保健委員の児童たちがいた。
双葉の迎えだと告げると、カーテンで仕切られた一角に案内される。お礼を言ってカーテンをくぐると、ベットがこんもりと盛り上がっていた。三角座りで膝を抱え、頭まで布団を被っているらしい。
家では布団を並べて一緒に寝起きしている。といっても、八花が寝室に入るのは日付が変わるころだけれど、ふすまをそうっと開けると、たまに双葉が起きていることがあった。
常夜灯だけの暗い部屋の中で、目を開けたまま意識を失っているような、ちょっと不思議な様子で座り込んでいるのだ。
そんな夜と、たぶん同じ状態。
「ふーちゃん、迎えに来たよ」
布団の中をのぞくと、双葉は命を吹き込まれた人形みたいな動きで目を上げた。
「どこか痛いところとか、気持ち悪いとかは?」
「ない」
普段どおりの平板な声。無理に力を使って昏倒したとも、血を見て貧血を起こしたとも思えないけれど。
ベッドに腰掛け、こんもりとした布団に寄り添った。
「ごめんね」
呟くと、布団の塊が身じろぎした。
「こないだ竹とんぼを取りに田んぼへ入ったとき、いきなり怒鳴ったこと。ふーちゃんがあんなことできるって知らなくて、びっくりして大声が出ちゃった。でも、ふーちゃんだって、びっくりしたんだよね」
保健委員の子たちに聞こえないよう、ぎりぎりまで声を抑えた内緒話。カーテンの向こうでも、妖精のおしゃべりのような他愛ない会話が交わされている。
「ふーちゃんはその不思議な力のこと、いつから知ってたの?」
窓から風が吹き込み、白いカーテンがふわりと揺れた。
「ナギちゃが、いなくなったひ」
「それって――もしかしてオオカゼが吹いた日の、蕗畑にお迎えにいったときの話?」
布団の下で頷く気配があった。
自分がナギの幻に会ったのと前後して、双葉も同じようにメッセージを受け取ったようだ。
「そうだったんだ。ナギさん、何て言ってた?」
「ふたばは、ぼくとおなじちからが、つかえるって」
自分は死んだから帰れない、とも告げたそうだ。
「もう、しあわせにして、あげられない。はーちゃと、なかよくしなさいって、いってた」
「……そうだったんだ」
こっちには謝るばかりだったのに、双葉には帰らぬ身だって打ち明けたのか。
勝手に命をなくして叱られると思ったんだろうけど、都合の悪いことを黙っているほうが罪状が重くなる。
母さんにもよく怒られてたのに、死んでもその癖は直らなかったんだね……。
「ふたば、やくそく、やぶった。おうち、かえっても、いいの?」
もぞりと布団から頭が出た。けれど、視線がこちらを向かない。
「もちろんだよ。約束を守れなかったのは悲しいけど、わざと破ったわけじゃないでしょう?」
こくりと双葉が頷く。
「反省したなら、今回のことはもういいよ。これでおしまい」
そう言って頭をなでてやると、幼い眉がみるみるうちに歪んだ。
「でもみんな、ふたばが、ひととちがうことしたの、みてた……」
弱々しい声に胸が詰まった。
そうか。
無理やりさせた約束の意味を、ちゃんと理解しているんだ。
人間と同じようにしていないと、人間の中にいられないと分かっている。
「はーちゃと、いっしょに、いたいよ」
たどたどしい告白を聞いたとき、頭の中で低い旋律のように聞こえ続けていた潮騒が、泡のようにはじけて消え失せた。
代わりに広がったのは、ノイズのない穏やかな静けさ。すん、と小さくすすり上げる響きがたまらなく愛おしい。
「……うん。はーちゃんも同じ気持ちでいるよ」
腕を回し、小さな肩を布団ごと抱き込んだ。
あれこれと泣き言を並べて、こんな大切なものを手放そうとした自分が情けない。
奥歯を噛みしめたあと、双葉の顔をのぞき込んで笑ってみせた。
「ね、ふーちゃんは学校やお友だちのこと、好き?」
双葉は頭の中を検索するように黙ったあと、「それなりに」と答えた。
……それなりに、かあ。
何とも微妙な答えだけど、マイナスかプラスかで言えばプラスだろう。うん。そういうことにしておこう。
「そか、好きなんだね。だったら、一回くらいクラスの子に見られても平気だよ。大丈夫、もし変なこと言うやつがいたら、はーちゃんがぶっとばしてあげるからさ」
一人で蕗畑に座り込み、頭上に葉っぱを掲げていた小さな姿。
『おひさまにあたる。おおきくなる』
人間の子どもと同じようになりたいと、願っていたのかもしれない。
双葉の帰り支度が整うまで、八花は外で待つことにした。
保健室を出ると、ユツギが廊下に座り込んでいた。
だいぶ気をもんだような顔だけど、部屋の中までついてこなかったのは、ユツギなりに気を利かせてくれたのかもしれない。
「そんなに心配しなくても、叱れなかったよ。双葉があんまり可愛くってさ」
パーカーのポケットから勾玉の布包みを取り出した。ヒノメに押しつけられて以来、なぜだか肌身離さず持っていなくてはならない気がして、ずっと持ち歩いている。
残り二つのうちの一つを選び取った。
朝顔の植木鉢みたいな、鮮やかなコバルトブルー。
「あのさ――」
「よかろう」
食い気味に応じてユツギが腰を上げる。
やる気なのはありがたいけど、まだ何も言ってないよ?
「お前の言いそうなことは見当がつく。今回はおれも同意見だ」
それを早くよこせというように顎をしゃくった。
※ ※ ※
再び芽衣に運転してもらい、八花は双葉を連れて小学校を後にした。
いったん街に出るよう頼み、車を出してもらったお礼がてら、甘いものの摂取と早めの夕食をすませる。帰宅したときには、何だかんだで日が傾いていた。
ぐんにゃりと寝落ちした双葉を抱え下ろし、寝室に布団を敷いて寝かせる。
芽衣は荷物を運び込んでくれて、「また学校でね」と手を振った。
ミニバンのテールランプが夕暮れの道に消えるのを見送り、家の中へ引き返す。
キッチンで炊飯器を確認すると、今朝のうちに夕食のぶんまで炊いたご飯が残っていた。
さて、どう始末しよう。しゃもじについた米粒をつまんで食べる。
予備として、冷凍しちゃってもいいんだけど……。
茶の間を抜けて縁側へ出た。
「ユツギ、そこにいる?」
屋根の上に声をかけたが、返事がない。
ふと庭に目を落とし、ドン引きした。軒下に座り込んだクナシが、敷物に並べた短剣を一本ずつ布で磨き込んでいるのだ。
「人んちの庭で、そういう物騒なもの広げるの、やめない?」
文句をつけると、クナシが無言で片手を上げた。指に挟まれた短剣が、室内の明かりを反射し、ぎらりと輝く。いつでも来い、と言われた気がする。
身の危険を感じてしゃもじを構えると、白い星たちが慌てて宙を泳いできた。一尋和迩とかいうユツギの手下たちだ。
うちの一匹が目の前までやってきて、その光の軌跡で、うねうねとした模様を描き始める。
「『る』……『す』? ああ、ユツギは留守なのか。それにしても器用だねえ」
思わず感心すると、白い星は、あわあわと自転した。照れた……のか?
「いないなら、いいや。また後にする。ありがとね」
白い星たちに礼を言い、そそくさとキッチンに戻る。
ユツギは留守中の警備員として、クナシと一尋たちを残していったらしい。
残りご飯をボウルに空けながら、どっちが危険なんだか、と溜息をついた。
ヒノメは一尋和迩をクナシと同じ乱暴者と言っていたけど、刃物を出さないぶん、あの子たちのほうが可愛げがある。
――と、そこまで考え、首をかしげた。
そういえば、ここのところヒノメを見かけないような……?




