事件の悪化 二 からかいたくなるアレ
昇降口そばの事務室で訪問を告げると、なぜか校長室へと案内された。
八花も通っていた小学校だ。双葉が入学してから何度となく訪れているけれど、この部屋に足を踏み入れるのは、かつての掃除当番のとき以来になる。
いきなり校長室に呼び出しとか、嫌な予感しかしない。
応接ソファで頭を抱えていると、見慣れた紺色の裾が目に入った。顔を上げると、やはりユツギだ。いつの間にか隣でふんぞり返っているのも見慣れたけれど、さすがに今日は表情が険しいようだ。
「双葉どのだがな、どうも誤って力を暴発させたようだ」
一尋から追加で受けた報告とやらによれば、双葉は昼休みの水やり当番だったらしい。この時期だと、たぶん授業の一環で育てている朝顔だろう。
他の当番たちと一緒にジョウロで水やりをしていると、校庭へ出ようとしていた男子たちが通りかかった。そのうちの一部の子が、何やら双葉に突っかかったらしい。
しかも、それが初めてではないようで、ユツギが監視をさせるようになってから二、三度はあったとか。
「どうやら悪餓鬼どもが調子づき、双葉どのも我慢の限界を超えて――」
ふいにノックの音が響き、ユツギが口をつぐむ。
扉が開いて、ジャージ姿の初老の男性が姿を見せた。担任の篠田だ。一年間だけ自分の担任だったこともある。
「おう、周防が来たのか」
気さくに片手を上げた篠田に、立ち上がって頭を下げた。
「お久しぶりです、篠田先生。父が不在なので、代わりに」
昔は『シノっち』と呼んでいたけれど、さすがにそうもいかない。
「すまん、待たせちまったか。まあ、座って楽にしてくれや」
手振りで促し、篠田も向かいのソファに腰を下ろした。
「帰りの会が長引いてよ。ついでに、タイミング悪く応接室も会議室も埋まってて、こんな堅苦しい部屋しか空いてないんだと。びっくりしたろ」
小脇に抱えていた薄いファイルを団扇のように使い、ハハハ、と笑う。
「それで、うちの双葉が倒れたそうですが」
少しだけ緊張を解き、おそるおそる尋ねる。
墓穴を掘らないよう、余計なことは口にしない。例の田んぼのあれと同じで、力をふるったところを目撃されたとは限らないのだし。
「まあなんと言うかな、まずは状況を説明すると、あいつは保健室だ。いっとき意識がなくってな、もう目は覚めてるんだが、念のために休ませてる」
いったん言葉を切り、首にかけたタオルで顔をぬぐう。昔と変わらず汗っかきらしい。
「それから、草平が腕に切り傷を負って、病院で手当を受けているところだ」
草平君。確か、双葉と同じ班の男の子だった気がする。
真冬の吹雪の中でも膝小僧をさらしてサッカーボールを追いかけているような、ちょっとどうかと思うくらいの腕白くんだ。
ちょうど居合わせた児童たちの話では、『水道のホースが蛇のように動き回り』、双葉を囲んでいた子どもたちを『吹き飛ばした』。そして、ホースから放たれた水のすさまじい勢いで、草平君の腕が『すっぱり切れた』そうだ。
ほとんどの子は絆創膏を貼るくらいですんだ。けれど草平君は、養護教諭とともに向かった病院で、なんと三針も縫ったという。
思ったより深刻な話で、ごくりと喉が鳴った。たぶん、いじめの中心にいたのが草平君なんだろうけれど、まかり間違えば、もっと大きな怪我を負わせていたかもしれない。
……何かこれ、もうごまかしようがないのでは?
「それで、双葉は目の前で草平の出血を見てしまい、貧血を起こしたようだ。問題の水道は、すでに使用中止にしてある。業者によれば、部品の劣化だろうという話だ。詳しい調査結果が出たら追って連絡するが、危ない目に遭わせて申し訳なかった」
篠田がテーブルに手をついて頭を下げる。
「わ、わ……先生、顔を上げてください。うちの双葉は何ともなかったですし」
慌てて腰を浮かせたものの、頭の中は疑問符だらけだ。
あれはあくまで水道の事故でした、で終わらせたいってこと?
でも、なんで?? どうしてシノっちが双葉をかばうわけ???
「――あ」
そっか。
ぼすんとソファに腰を下ろし、膝頭をつかむ。そうしていないと、安堵のあまり、ゆるいプリンのように崩れてしまいそうだ。
下手に事情を知っていたせいで、馬鹿馬鹿しい勘違いをしてしまった。
シノっちは、かばったわけじゃなくて、双葉がやったと気付いていないんだ。
そ、そりゃあそうか。普通は水を操ったと考えるより、整備不良だよね!
大人の常識的見解、ばんざい!
「どうかしたか?」
怪訝そうに聞かれ、表情を引き締めた。
「な、何でもないです。……あっと、ちょうどいいので聞きたいんですけど、双葉がいじめられているって話は本当ですか?」
篠田は意外そうに目を見開いた。
「あいつがそう言ったのか?」
「いえ、ちょっと小耳に挟みまして……」
親戚が勝手に素行調査しました、とは口にしづらい。
篠田は頭上の書類を確かめるように斜めを見やり、きっぱりと首を振った。
「そういった事実は把握していないし、俺も、いじめがあるとは思っていない」
「でも、男の子たちによくからかわれてるなんて話も聞いていて」
大人だけが知らない、なんて話は、いくらでも転がっている。
「そりゃあお前、アレだよ、アレ」
一転して含みのある笑顔になり、篠田が声をひそめる。
「お前もこのくらいの年のころに、アレの被害に遭ったろう。いや、なかったか?」
「何のことです?」
「気になる子ほど、からかいたくなる病気だよ。あの見た目だろ、ちょっかい出すやつが多くてなあ」
「ああ、それ……」
ぐうとうめき、今度こそプリンになってソファに崩れた。
さんざん気をもませておいて、何なのこのオチ。
柚比良さんも一尋たちも、報告は正確に頼みますよ! ほんとにもう!
ひとしきり笑った篠田が、穏やかに表情を改めた。
「お前、双葉の『変わったところ』を気にしてるだろう」
ふいに告げられ、どきっとした。姿勢を正し、目を落とす。
「そりゃあ……実質的に親代わりみたいなものですし」
「お節介な話かもしれないが、もっと鷹揚に構えていたほうがいい。周りが迷っていると、子どもはさらに迷う。すべてが自分のせいだと思い込んで、かえっておかしなことになっちまう。双葉のように、頭のいいやつは特にだ」
団扇代わりのファイルで、へちょんと頭をはたかれた。
「お前も不安だろうが、ちゃんと見守っていてやることだ。最近のあいつはピリピリしていたが、どうだ、気付いていたか?」
ファイルを頭に載っけたままで首を振る。
篠田は双葉の秘密を知らない。
だから一般論のはずなのに、やけに鋭いところを突いてくる。
シノっちが双葉の担任でよかった、と思った。
※ ※ ※
篠田と別れて保健室へ向かう途中、窓の外に見つけたものがある。
中庭に置かれた木の台に、整然と並んだプラスチック製の青い鉢。まだ本葉が出たばかりだけれど、双葉たちが育てているという例の朝顔だ。
自分が小学生だったころとまったく同じ光景で、思わず苦笑してしまう。
窓を開け、そばの水道に目を凝らした。蛇口が針金で固められており、大きな張り紙が貼られている。
ホースが見当たらないのも先生方の配慮だろう。
「――双葉どのを、あまり叱ってやるなよ」
声のした方向に視線を向けた。
珍しくユツギは屋根の上ではなかった。窓のすぐ下だ。壁にもたれて、ふてくされたように座り込んでいた。
「双葉どのは、おれと一緒に来てはくれないそうだ。八花と離れたくないと言われた」
ふいに告げられた言葉が、迷った伝書鳩みたいに頭の中を巡る。
……あたしと離れたくない?
「ちょっ……ユツギ、いつそんな重要な話をしたわけ? 勝手に双葉に近づくなって、あたし何度も言ってるよね?」
「おいこら。せっかく教えてやったのに、何なのだ、お前の言い草は」
ユツギがキレた。
うん、ごめん。プライドの高いユツギが負けたようなことを打ち明けるなんて、そりゃあ断腸の思いだったよね。
でも、今のはすごく不意打ちだった。
窓枠に肘をつき、両手で顔を覆う。
「ありがと。だいぶ元気でた」
「……ならいい」
双葉の考えていることを知りたい。
今度こそ、ちゃんと話をしよう。
何度か深呼吸してから保健室へ向かい、扉をノックした。




