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事件の推移 十 きざし

 八花は向こうで見聞きしたことを簡単に伝えた。

「正直、まだ認めたくないんだ。でも現場を目の当たりにして、やっと覚悟が決まった。ナギさんは、もう帰ってこない。だから、死んでしまったと思うことにする」


 芽衣が被っていたバスタオルを外し、「そう」と呟いた。

「いいんじゃない? 悩んでると、身動き取れなくなっちゃうしね」


 うん、と頷き、抱えた膝に顔を伏せる。


 ナギのお茶碗を戸棚に片づけよう。

 脱ぎっ放しになっていた服も、クリーニングに出してきちんと収納する。

 だけど捨てるわけじゃない。吹っ切れたのでもない。

 目に入るたびに思い出して呆然とするくらいなら、現在と将来のために時間を使う。そのあいだ、ちょっとだけ記憶をしまっておくことを許してほしい。


「決断するの、つらかったね。八花はよく頑張ったよ」

 肩に回った手が、優しく抱き寄せた。


 十枝と二人きりの小さな暮らしの中に、唐突に加わった『旅の人』。

 いろいろ謎に思う部分もあったけど、なぜか問い質す気にはならなかった。

 たぶん、それで良かったのだと思う。足りないことだらけの家族で、何だかんだと暮らしてこれたのは、間違いなくナギの御利益だ。

 不運の星が巡ってきたわけではない。幸運の星が去ってしまって、それまで見逃されていたことが当たり前に起こるようになっただけ。


『幸せにするよ』


 母さんが死んでしまってから、口癖のように、そうくり返していたナギ。

 失って初めて、その手の大きさに気付いたように思う。


「……だめだ」洟をすすり、首を振る。「ごめ、一人で泣きそう」

 おかしそうに芽衣が笑った。

「何で謝るの。好きなだけ泣いたらいいのに」

「でも、ナギさんが死んだなんて、芽衣のほうこそ泣きたいでしょ?」

「あー……あれね、ほんとに誤解だから。その、打算っていうか、下心っていうか……」

 青々とした芝生をなでながら、芽衣があさってを見て口ごもる。


「――そうだ。謝りついでに、もう一つ告白しないといけないことがあって」

 浮いた涙をこすり、芽衣に向かって両手を合わせた。

「ごめん! あんなに釘を刺されたのに、一つめの願い事、頼んじゃった……」

「はあ? つい昨日の話でしょ、どういうことよ!」

 血相を変えた親友に、思わず首を縮めた。

「それが、自分でも、よく分かんないんだよ。だからごめんて」


 ひたすら小さくなって謝りながら、柚比良の訪問からの出来事を打ち明けた。

「後になってから、自分でも馬鹿なことしたなって気付いてさ。別にユツギなんかに頼らなくても、あの場をごまかす方法はいくらでもあったのに、って」

 最初は適当に言い訳して切り抜けるつもりだった。なのに、いつの間にか勾玉を握ってユツギの元へ駆けつけていた。

 急なピンチで焦っていたのは確かだけれど、本当に訳が分からない。


「怪しいわ。それ、絶対にユツギが何かしたのよ」

 芽衣が、ぶちぶちと芝生を引っこ抜いている。やめたげて。

「そうかなあ……だって、むしろ向こうは思いとどまるよう言ってたんだよ」

 そこを強引に受け入れさせたのはこっちなわけで。


「……ずいぶんユツギの肩を持つやないの」

 わあ。

 声が低いし、方言だし。芽衣さま、本気でお怒りです。

「いやいやいや。肩なんか、これっぽっちも持っとらんし!」

「ほんまやな? 絶対に油断したらあかんで。さっき顔を見て確信したわ。あいつ、八花に何かする気やよ。そんなんうちが許さへんけどな!」


 ほんとに芽衣ってユツギが嫌いなんだな。

 あんまり話題にするのやめとこ……。



    ※  ※  ※



 どうにか機嫌を直してもらい、双葉と三人で公園を出る。

 芽衣は川原ぞいを走って帰ると言うので、八花も久しぶりに土手の坂を登った。


 自転車通学だったころは立ちこぎも余裕だったのに、今は徒歩でも息が上がる。体力の低下が深刻だ。


 ぜいぜいと座り込んだかたわらで、芽衣は髪をポニーテールにくくり、リズミカルに準備運動を始めた。

「元気だなあ……」

「まあね。夏のイベントに向けて、もうちょっと身体を作っておこうと思って」

 事もなげに笑い、百八十度の開脚を披露してくれた。


 飛んでいった竹とんぼを追い、双葉が土手の道を走っていく。


「ナギ様の消息だけどさ、公にはしばらくグレーのままにしといたほうがいいわよ。普通に知り得ることじゃないし、死亡したことにしちゃうと、いろいろ不都合もあるだろうし」

「そうなんだよね……」

 柚比良家からの介入はなくなったけれど、人一人がこの世を去るというのはなかなかに大変なことだと、十枝のときに身をもって知った。ひとまずナギ名義の預金だけは移させてもらおう。


 一方で、宙ぶらりんにしておくのには良心の呵責を感じる。

 梅園や作業にあたる人たちへの葛藤を打ち明けると、芽衣は肩甲骨を回しながら、「そんなの関係ないって」とあっさり笑い飛ばした。

「土砂崩れを起こした会社が責任を取るのは当然だし、作業員たちだって充分に安全を確保した上での仕事なんだもの。むしろ、見込みがないって判断されたら、こっちが泣いて頼んだって打ち切りになるわよ。十枝おばさんのときのこと、忘れたの?」

「それは……」

 十枝の遭難事故を引き合いにされては黙るしかない。

 捜索の打ち切りが決まったとき、抜け殻のようになっていた八花の代わりに、大人たちに抗議してくれたのは芽衣だ。


 お尻を払って立ち上がり、「あ」と声を上げた。工事用のシートに囲われた建物が、田んぼに大きな影を投げかけている。

「あれって高校の校舎だよね。工事、やっと始まったんだ」

 母校は隣町の高校と合併し、自分たちの卒業と同時に消滅した。校舎は昭和の初めのころの有名な建築家先生の設計だったので、廃校後に文化財となり、その先生と縁のある他県へ移築されることが決定しているのだ。

 いつまでも解体が始まらないので、どうしたのかと思っていたけれど。


「ああ、あれね。半年くらい前に着工したらしいわよ。移築費用の負担の話であちこち揉めて、今はまた作業が中断しちゃったみたいだけど」

 宮ノ内家は地元の名士でもあるから、寄り合いなんかも多く開かれる。お茶くみに駆り出されることもある芽衣は、ご町内の問題には事情通だ。

「移築しちゃうのは寂しいなあ。あの校舎、けっこう好きだったのに」

「そう? 私は思い入れなんてないけど」

「あはは。出席日数ギリギリしか登校してなかったもんね」

「あそこで学びたいことなんか何もなかったもの」


 芽衣は軽く手をあげ、「じゃ、また週明けに学校で」と土手の道を走り出した。

 伸びやかなフォームの長身が、みるみるうちに遠ざかってゆく。

 双葉が竹とんぼを握って戻ってきた。

「めーちゃ、はやい」

「うん、すごいね。あたしたちも帰ろっか」

 竹とんぼを飛ばす双葉を追って、のんびり土手を下っていく。


 現在の姿からは想像もできないけれど、小学生のときの芽衣は、登校拒否の人見知りな少女だった。タケ譲りの大柄な身体を、これ以上は人目にさらすまいとするように背中を丸めていたものだ。

 そんな性格が一変したのは高学年に上がるころ。中学生になるとすぐに『メイ』の名でレイヤーデビューし、一人で東京へ遠征するまでになった。

 大学を卒業したら、身につけたスキルをもとにあちらで就職するという。

 理由は、村を出たいから。

 そして、コスプレイヤーとしての道を極めたいから、だそうだ。

 芽衣の両親も、引きこもりだった娘が外の世界に興味をもってくれたことが嬉しいらしく、その夢を手放しに応援している。

 つまり、卒業後の芽衣の東京行きは、ほぼ確実だ。


 村を出たいという気持ちは、実を言えばあまりピンとこない。

 もちろん、自分は自分で洋裁のスキルを上げたいし、都会の流行に触れれば刺激になるだろうことも分かっている。

 でも、だからといって、家族と離れてまでそうしたいとは思わない。もともと村の暮らしが好きだし、人の多すぎるところは苦手だ。

 大学を出たら、自宅から通勤できる職場に勤めたい。そのためには少しくらい条件や職種が合わなくてもしょうがないかな、と思う。


 もちろん、考え方は違っても、好きなことに全力で取り組む芽衣は好きだし、どこへでも飛び込んでゆく勇気を尊敬している。

 その一方で、離ればなれになってしまうのは、確かに寂しくて。

 でも、それは秋が来たとき、夏の終わりに気付いて感傷的になるのと同じことで――


 ぱしゃん。


 水音が響いて、物思いから覚めた。

 気付けば、隣を歩いていた双葉がいない。

「あれ、ふーちゃ……」

 振り返り、思わぬ光景に言葉を失う。


 双葉の姿は田んぼの真ん中にあった。

 とてて、と歩いてゆき、水没しかかっていた竹とんぼを拾いあげたところだ。


 問題は、陸上を進むのと変わらない様子で、水の上を歩いていたこと。


 ――嘘でしょう?


 指が震えた。

 衝撃に息が詰まり、血の気が引いていく。


「ふーちゃん、何やってんの!」

 震えを殺したくて拳を握ったら、思ったよりも大きな声が出た。

 動揺してる場合じゃない。素早く辺りを見回し、安堵する。

 良かった。誰もこれを見ていない。

「戻って」腕を振って手招きをした。「今のうちに戻ってきて、早く!」

 大声に驚いたのだろう。双葉は固まったままで、猫みたいに言うことをきかない。


「――ほう、これはこれは」

 感心したような声に隣を見れば、いつの間にかユツギが佇んでいた。

「やはり奴の娘だな。少し見本を示してやっただけで、もう水を自在にできるとは」


 動悸が激しくなるのを感じながら、ユツギをにらみ付ける。

 昨日、双葉がずぶ濡れで帰ってきたのは、まさか……。


「ユツギが妙なことを吹き込んだの?」

「妙なこと、とは心外だな。力は自在に使いこなせてこそ、正しく律することができるのだ」

「そんなの必要ないよ」


 言い捨てて田んぼに足を踏み入れた。

 水は足首までしかなかったけれど、泥が深くて柔らかい。ぼってりと足にまとわりつき、靴の中まで侵入してくる。

 重石を引きずって歩くような状態で、やっと双葉までたどりついた。


 水面に浮いたまま、双葉はこちらの足元を見つめている。黙って両腕に抱え上げ、また田んぼの中を引き返した。

 肩口に回された小さな手が、きゅ、と服を握る。


「はーちゃ、どろが」

「そうだよ。田んぼの中なんかに入ったら、泥だらけになるものなの。あたしも、双葉のお友だちも、みんなみんな、水の上なんか歩けないんだよ」


 アスファルトに上がり、双葉を降ろす。

 めったに表情を見せない顔が、今は泣きそうに崩れていた。


「双葉」と、あえて名前を呼んだ。

 なるべく感情がのらないように、淡々と。

「約束して。普通の子にできないことは、もう二度としないって」


 指切りを迫ると、双葉も小指を差し出した。

 ユツギが物言いたげに見ていたが、口を出してはこないようだ。もちろん、何を言わせるつもりもない。

 無言の約束を交わして家路に向かうと、双葉は大人しくついてきた。





 一緒に歩くときはいつも手を引いてゆくけれど、今日は怖くて手が繋げない。


 今ので思い知らされた。神様の血を引くこの子が人間として暮らしてゆくのは、きっと本当に難しいんだろう。

 いつかは覚悟を決めなきゃいけない。

 でも。


 ――お願いだから一人にしないで。

 ――追いかけられないところへ行ってしまわないで。


 繋いだ指を通して、浅ましい気持ちが伝わってしまうような気がしていた。




ご愛読ありがとうございます。

今回で二章が終わり、物語はちょうど折り返し。次話より三章『事件の悪化』が始まります。

落ち込んでいる主人公ですが、そろそろ前向きに進み始めますので、見守っていただけますよう。

『がんばれ八花!』のエール代わりに、よろしければ↓の☆☆☆☆☆をお好きな数だけ、ぽちっと……!


ではまた明後日の更新で!

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