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事件の推移 九 眷属仕様

 待合ベンチに腰掛け、スポーツドリンクで、ちまちま水分を補給する。

 やっと気分が落ち着いたころ、男がのんびりと駅舎から戻ってきた。


「はい、これ。袖口のところ、綺麗になったから」

「……すみません。何から何まで、本当にすみません」


 差し出されたパーカーを受け取り、八花はひたすら小さくなった。

 公衆の面前で嘔吐したのも大失態だったけれど、初対面のひとに汚した服を洗ってきてもらったなんて死ねる。恥ずか死ねる。

 おまけに飲み物までおごってもらうとか、ほんとにもう。


「そんなにかしこまるもんじゃないよ。困ったときは、お互いさまってこと」

 男は気さくに笑い、隣に腰を下ろした。

「俺は茨木(いばらき)。お嬢ちゃんは?」


 お嬢ちゃん呼びとか。

 レトロだなあと戸惑いつつ、「周防です」と名乗る。


 実際、まだ二十代だろう茨木には、そういう趣味がありそうだ。

 ジャケットやボトムは三十年くらい前に流行した型。たぶん古着だろうけれど、体型に合わせて仕立て直してあるようだし、ベルトや腕時計の雰囲気とも合って、時代遅れという印象はまったくない。

 全体的にくたびれた感じがするのは、よれよれのシャツと無精ひげのせい。

 かと思えば、子どもみたいに黒目がきらきらしていて、好奇心は旺盛そうだ。


「だいぶ顔色が悪いね。まだ若いのに、何があったんだい?」

 そう言われても、説明のしようがないのでして。

「いろいろあったんです」

 大真面目に答えると、茨木は、くしゃっと相好を崩した。

「いろいろかあ。お嬢ちゃんも大変だ」


 待合室にはユツギもいた。

 一列向こうのベンチにふんぞり返り、不機嫌オーラを出して茨木をにらんでいた。

 横から割り込まれたのが気に食わないらしいけれど、認識阻害のせいで見えなかったろうから、その待遇には甘んじてほしい。


 アナウンスが流れ、ホームに折り返し電車が入線してきた。

 これを乗り逃すと、次は一時間後だ。湿っているパーカーを抱えて立ち上がった。

「茨木さん、何から何まで、ありがとうございました。私はこれで」


 頭を下げると、茨木の足元が目に入った。

 ひどい裾の泥はね。品のいい革靴も泥だらけだ。


 どういたしましてと茨木も腰を上げた。

「一人で帰れる? 家まで送っていこうか」

 車のキーリングを指に通し、ちゃりちゃりと回している。


 一瞬、返答ができなかった。

『そこまでしてもらっては申し訳ない』という恐縮の気持ち。

『初対面の男の車に乗るってどうなの』という警戒心。

『だけど、せっかく親切で言ってくれているのに』という後ろめたさ。


 こちらの葛藤を見透かしたようで、茨木はまた、くしゃっと笑った。

「うそうそ、冗談。じゃ、お嬢ちゃん気をつけて」

 キーリングを鳴らしながら、ロータリーのほうへと歩いていく。


 しつこく誘われなくて助かったけど……何か変だったな。

 狐につままれたような気分で待合室を出る。

 券売機の前で改めて切符を買おうとしたら、ポーチの中に財布がない。

 焦ってあちこち探すと、無事にパーカーのポケットから見つかった。そういえば吐きそうになって、とっさに突っ込んだような。

 あーよかった、と小銭を出そうとしたとき、財布の中の違和感に気が付いた。


 スリットに収まった運転免許証。

 写真があまりに気に入らなかったので、いちいち目にしなくてすむよう、普段は裏返しにして差し込んである。

 それがなぜだか表になっているのだ。


 免許証には、氏名と住所が載っている。


 はっとして、振り返った。

 ロータリーの隅に停まっている、ちょっと古い型のビートル。

 そのボンネットに頬杖をついて、茨木がこちらを眺めていた。


 おっと、バレちゃったか――そう呟くのが聞こえるようだった。

 茨木は肩をすくめると、ひらひらと手を振りながら運転席に乗り込んだ。





 財布ごと預けるなんて、確かにこっちの不注意だ。

 でも、本当に親切心で声をかけてきたのなら、個人情報なんか見たりしない。


 あの泥だらけの足元。もしかして、茨木も土砂崩れ現場に行っていた?

 向こうでこちらを見かけていて、それで気になったとか?

 偶然の遭遇? そんなこと、ありえる?


 電車のドアが開くなり車内に飛び込み、芽衣あてにメッセージを打った。

『今どこ?』

 ほどなく既読になり、ピロリンとスマホが鳴る。

『双葉ちゃんと境内で遊んでる。お昼はキュウリサンドにした。もう現場の確認とやらは終わったの?』

『終わったよ』と返す。

 実はちょっと気味の悪いことがあって、と途中まで打ち込んだけれど、おつかれさま、の可愛らしい動物スタンプが送られてきたのを見て、たたたっと消した。

『帰りの電車に乗った。一時間くらいで家に着くはず』

『じゃあ、そのころ双葉ちゃんを送ってくよ』

 さんきゅ! とスタンプを送信してスマホをしまった。


 うん。まあ、何だ。ちょっと和んで冷静になった。

 茨木さんは恥ずかしい後始末をしてくれた恩人だ。

 泥は別の場所でついたのかもしれないし、免許証はパーカーを洗うときにうっかりぶちまけたとかで、こっそり戻したのかもしれない。何の確証もないのに、ひとを変質者みたいに思うのは良くない。

 そもそも、あれだよ。名前や住所を見られたから何だって話よ。

 美人の双葉や芽衣なら、ともかくなあ。


 ……とは思うものの、駅からの帰り道、気になって何度も後ろを振り返ってしまった。

 ユツギが怪訝そうにしていたけど、何でもないです。





 家の門のところで、ちょうど反対側からきた芽衣と双葉の姿が見えた。

 車で来るのかと思ったら、お散歩がてら歩いてきたらしい。


「ただいまー、ふーちゃーん」

 両手を広げて駆け寄り、腕に抱え上げる。子どもらしい高めの体温が気持ちいい。

 普段はこういうスキンシップをしないせいか、双葉の目が真ん丸だ。驚かせてごめん、今だけ癒やさせてほしい。

「お帰り。だいぶ大変だったみたいね」

 芽衣がいたわるように肩を叩いた。それを真似して、双葉も背中に回した手をぽんぽんする。

 もう片方の手に握られているのは、手作りの竹とんぼだ。

「めーちゃ、つくってくれた」

「そう。良かったね。ちゃんとお礼は言えた?」

 こくんと幼い顔が頷く。

 羽根のペイントがいやに前衛的で、双葉のセンスが心配だ。


「お昼も食べさせてくれたんだね。ありがと、助かったよ」

 わざわざ送ってもらったことにもお礼を言うと、芽衣は鋭く目を細めた。

「……八花ってば、何おかしなものつけてるの」

 低く呟きながらハンカチを取り出し、ごしごしと額を拭ってきた。

「ちょっ、いたた。なにごとー?」

 あ。昨日の目玉焼きのあれ?

「く……取れない。さては例のユツギって奴のしわざね。ちょうどいいわ。どこにいるの?」


 芽衣は怖い顔で、辺りを見回している。たぶん、普通には見えないと思うけど。

 双葉を下ろして振り返ると――あれ、ほんとに姿が見えないや。

「さっきまで後ろをついて来てたんだけど」

「やっぱり怪しいわね。逃げたんじゃない?」


「――誰が逃げるか。礼儀知らずが」

 不機嫌な声が降ってきた。例によって屋根の上からだ。


「ふうん、あんたがユツギね。マーキングなんて、ふざけた真似してくれるじゃない」

 芽衣は腰に手を当て、ユツギをにらみ返した。いきなりのケンカ腰だ。

「おかしな取り引きを持ちかけたって聞いたわよ。どういう魂胆なの?」

 相手が神様だと知っているし、たぶん理由があって挑発しているはずだ。

 でも、ユツギはけっこう短気だから、ちょっとハラハラしてしまう。


 もしまた空気を薄くしてきたら、どうやって止めさせよう。心配しながら反応を見ていたけれど、ユツギは小さく鼻を鳴らしただけだった。

「お前には関わりのない話だ」

「関わり? そんなの大いにあるわよ、だって八花は私の――」


 ふいに芽衣が言葉を切った。

 と思うが早いか口元を覆い、くしゅっと勢いよくクシャミする。

 その一発を皮切りに、次から次へと大きなクシャミを連発し始めた。

 これはあれだ、タケと同じ症状だ。


「だ、大丈夫?」

 声をかけると、芽衣が涙目で首を振った。

「だめ……止まんない。くさい……鼻が……もげる……っ!」

「人草の分際で、身のほどをわきまえんからだ。さっさと去ね」

 ユツギは、それ見たことかという顔だ。

 芽衣は悔しそうに唇を噛んだが、立て続けのクシャミに襲われ、すっかり戦意がなえたらしい。


「ごめ……塩、持ってきて……」


 そう告げるが早いか、口元を押さえて走り出す。

「あ……芽衣! ふーちゃん、ついてってあげて!」

 双葉に後を追わせ、屋根の下に駆け寄った。

「ちょっと! あたしの親友に何してくれたわけ?」


 ユツギは心外だというように口を尖らせた。

「おれは何もしていない。わざわざおれを呼び出した、奴の自業自得だ」

「自業自得って、何が」

「山犬女と同じ臭いがした。あれは奴に仕える巫覡(ふげき)の直系だろう?」

 牙をむくようにして薄く笑った。

「山犬女は、鼻がもげそうなほどおれを疎ましいと感じている、ということだ。おれも山犬女のことは気にくわん。お互いさまというやつだ」


 芽衣やタケ婆ちゃんはクロミミ様の巫女だから、感情が伝わっちゃうってこと?

 それでクシャミが止まらないとか、はた迷惑な話だな!


「神様同士、仲良くできないわけ?」

「向こうが頭を下げてくるなら、考えてやらんでもない」

 うん、仲良くする気はないんだね。

「そんなことより、いいのか? あれは早く禊をせねば、数日は寝込むぞ」


 まじか。

 慌てて家へ飛び込むと、買い置きの塩とバスタオルをつかんで引き返した。



   ※  ※  ※



 芽衣を探して公園の前を通りがかったとき、中から大きなクシャミが聞こえた。


 やっと見つけた。

 カエルの形の水飲み場に頭を突っ込んで、蛇口から直に水を浴びていた。

 双葉も手で水をすくって掛けてあげているし、事情を知らない人が見たら、何の修行かと思うよな。


「お待たせ! これ塩、ぜんぶ使っていいから!」

 駆け寄りながら袋の封を切り、ざらざらと手に落としてやる。

 芽衣は何度も塩をおかわりして手や顔を洗い、やっとクシャミが治まったようだ。頭からバスタオルを被ったまま、息も絶え絶えになって芝生へ倒れ込んだ。


「……婆ちゃんの苦しみが分かった……」

「無事に生還できたみたいで良かったよ……」

 しみじみ答えて隣に腰を下ろした。

「何か方法を考えなきゃ。こんなんじゃ追い出すこともできやしない」

 芽衣が拳を突き上げる。あ、やっぱケンカするつもりなんだ?

「芽衣がユツギのことが気に入らないのは、クロミミ様のせいかもよ」

 知らないうちに影響を受けているらしいことを教えておく。


「……クロミミ様は関係ないわよ。単に私が奴を嫌いなだけ」


 芽衣は起き上がり、結んでいた髪をほどいて、がしがしバスタオルで拭き始めた。

 上半身もびしょ濡れだったけれど、幸いにも乾きやすそうな素材のスポーツウェアだ。双葉を送り届けたあとはジョギングしながら帰るつもりだったらしい。


 その双葉は、今は広場で竹とんぼを飛ばして遊んでいる。

 小さな手では扱いづらそうだったが、少しずつコツをつかんできたようで、ひゅっと飛ばしてはトテトテと追いかける。何度も何度も、くり返し。

 飽きないのかなあと思うんだけど、きっと飽きないんだろうなあ。


「それで、現場で発見された服っていうのは、やっぱりナギ様のものだったの?」


 相変わらず無表情な双葉の、ちょっとだけ楽しそうな姿を見守りながら、頷いた。

「……土砂崩れに巻き込まれたのは、間違いないみたい」

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