事件の推移 六 一つめの願い事
ヒノメの言いたいことは察しがつく。
このピンチを切り抜けたい、とユツギに頼めというのだろう。ナギの不在がバレても口を出してこられないようにと。
馬鹿馬鹿しいし、そんなの本末転倒だ。
この勾玉を使うことは、双葉が連れていかれる未来に近づくこと。
「いいえ。たとえそれを願ったとしても、取り引きは完了しませぬ。我が君のご提示になった条件は、『双葉姫をもらい受ける代わりに、三つの願いを叶えること』」
……確かにユツギはそう言った。
理屈で言えば、願い事を三つ叶えてもらうまで、双葉が奪われることはない。
だけど、そんなの詭弁だ。
だって最初から踏み倒すつもりで借金するようなものでしょ。たちが悪すぎる。
「おやおや、格好をつける余裕がおありでしたか。たとえ罵倒されようと、使えるものは何でも使う――泥を被る覚悟もなしに、大切なものを守れると本気でお思いで?」
面白がるような声音に含まれる、わざとらしい嘲りの気配。
ヒノメはこっちを怒らせようとしている。
たぶん、冷静な判断を失わせるのが目的。引っかかるもんか。
「引っかけるだなんて心外な。わたくしはただ、小さくなってやりすごすだけでは、いずれ手詰まりになると申し上げたいのです」
ちょっと待って。
口に出してしゃべってないのに、何で会話が成立してんの?
「さあて。なぜでしょうねえ」
ヒノメが唇をつり上げ、じっと目をのぞき込んできた。
こちらの映る大きな黒目に、紅の星が灯っている。見つめているうちに、そのかすかな揺らぎのことしか考えられなくなってゆく。
あやすようなささやき声がした。
「八花さまは、これから一つめの勾玉をお使いになります」
「……あたしは、これから一つめの勾玉を使う」
「それは、八花さま自身のご意志です」
「これは、あたし自身の意志……」
よくできましたと褒めるみたいに、星を宿した目が笑みの形をとる。
「ご安心を。我が君は変わり者ですが、けちな御方ではございませぬよ」
改めて差し出された三つの勾玉から、目に付いた一つを選び取った。
※ ※ ※
柚比良が靴箱から身体を起こし、目眩を払うように頭を振る。
そんな行動をぼんやりと眺めていて、唐突に八花も我に返った。
「え。嘘」
かたわらを振り返ったけれど、いつの間にか姿がなくなっている。
と同時に、驚いた自分がひどく不可解だった。
そこには誰もいるはずがないのに、誰がいると思ったのか。
「おや、これは?」
柚比良が何かを拾い上げた。
五百円玉よりも大きいくらいの、白っぽい三角形。
「鮫の歯だな。ずいぶん立派なものだ」
感心したように言いながら、手渡してきた。
そういえば、高校の生物室に似たような標本が飾ってあった気がする。もっと小さかったし、ここまでギザギザしてなかったけど。
「なぜ鮫の歯がうちの廊下に落ちているんでしょうか」
戸惑っていると、柚比良は、さあ、というように肩をすくめた。
そりゃあそうか。こっちに覚えがないものを知ってるはずがない。
「で、あの男はいつ帰ってくる?」
柚比良の一言に息をのむ。
そうして、そんな反応を示した自分に生々しい既視感を覚えた。
以前、同じ言葉を突きつけられて、どんなふうに答えたらいいのかと、同じように動揺をした気がする。
そんなに前の出来事じゃないはず。むしろ、つい今さっき――
「!」
唐突に鮫の歯が黒ずみ、手のひらで燃え殻のような灰と化した。
その灰も、驚いて身じろぎした拍子に崩れ、ぱっと散るようにして消えてしまう。
後に残ったのは、カルシウムが焦げたような嫌な臭いだけだ。
反対の手で鼻を覆おうとしたとき、勾玉を一つ握っていることに気がついた。
――小さくなってやりすごすだけでは、いずれ手詰まりになる。
決心を固めて腰を上げた。
「柚比良さん、少し待っていてもらえますか」
※ ※ ※
茶の間を通り抜け、縁側からサンダルで庭に出る。
「ユツギ、いる?」
呼びかけると、返事は思ったよりも上のほうから聞こえてきた。
「――ここだ。お前から声をかけてくるとは意外だな」
顔を上げて唖然とする。お隣の借家。その屋根の上だ。瓦に寝そべり、気だるげに頬杖をついていた。
「なに勝手によその家でくつろいでんの……」
「お前を見張るのに具合がいいからだ。構わんだろう、どうせ空き家だ」
「構うよ、不法侵入に変わりないっての。しかも屋根に上がるとか」
「地べたをうろつくのは性に合わん」
わがままだなおい。
「分かった。高いところで監視したいなら、うちの屋根でいいから」
しぶしぶ提案すると、ユツギは意外そうに眉を上げつつも、ふわっと瞬間移動した。
……あ。どうして神様の袖や裾が長々しいのか分かった気がする。
歩く必要がないんだから、そりゃあ邪魔にもならないよな。
「それで、何の用だ。わざわざ文句をつけに来たわけではあるまい」
「え……」
あれ。何でユツギに声をかけたんだっけ。
困惑して額を押さえようとしたとき、妙な残り香が鼻をついた。
まるでカルシウムが焦げたような……。
「あ! 思い出した。いま来てるお客さんを穏便に追い返したいんだけど、お願いできる?」
前のめりになって依頼したが、ユツギは訝しむように目をすがめている。
……うちの屋根でいいなんて言うんじゃなかった。
黙って見下ろされるのって、こんなに居心地が悪いんだ。
「べ、別にタダで頼みたいなんて言ってないよ。ちゃんと勾玉を持ってきた。……それとも、これは叶えるには難しいこと?」
「いいや、造作もない。簡単すぎて、つまらんうえに下らない」
ユツギは心底から呆れたというように溜息をついた。
「客を追い返せだと? そんなささいな問題におれの力を使うつもりか。お前のための願い事なのだぞ。ふざけてないで真面目にやれ」
吐き捨てるように告げられた言葉に、どうしようもなく凶暴な怒りが込み上げた。
拳を握りしめてもわななきが止められなくて、食いしばった歯のあいだから、うめき声がもれそうになる。
「……ふざけてないし、ささいでもない。ユツギには下らなくても、あたしにとっては世界が終わるようなことだよ」
まだナギがいなかったころの我が家には、いろいろな人たちが訪ねてきたものだ。
仕事の客やご近所さん、昔からの友人たち。
若くして夫を失い、幼い娘とともに残された十枝を本当に気遣ってくれる人もいれば、そうでない人たちもいた。
後者の客の最たるものが柚比良の人たちだ。
祖父が襲来するのは、なぜかいつも夕方だった。
八花は宵のうちから寝室に追いやられたが、壁の薄い小さな一軒家だから、言い合いになればそれなりに話は聞こえてしまう。
布団を被って寝たふりをしながら思い知ったのは、格好よくて気っ風のいい姐御肌の十枝が、身寄りのないシングルマザーだというだけで、社会の中ではボコボコにされてしまうという現実だった。
八花がよくできた子どもでいないと、どうしてか十枝のほうにケチがついてしまうのだ。
あいにく運動も勉強もぜんぜんだったけれど、問題を起こす心配のない、聞き分けが良くて手のかからない子どもでいることはできた。
目立たず、ほどほどに明るく、付け入る隙がないよう気をつけながらの毎日。
そうやって守ってきた幸せなのに、今さら壊されてしまうのか。
「血縁っていうのは、世間の常識や法律の中では何よりも強固な壁なんだよ。自分には打ち壊せないものを、神頼みで解決することの何が悪いの」
噛みつくように言って勾玉を突き出した。
選んだ石は赤だった。煮えたぎる溶岩を封じ込めたような煉獄の色。
身体に渦巻いている怒りと同じ色だ。
「ユツギ、私の望みを叶えて。ナギの不在を悟られないように柚比良さんを追い返して。そして今後、あの家の人たちが我が家に関わってこないようにしてほしい」
不機嫌そうに顔をしかめる神様は、どこか悲しそうにも見える。
「後悔はしないか?」
「しない。するわけない」
ユツギが諦めたように目を伏せた。
「分かった。そこまで言うなら応じよう」
天地の秤器が天分玉で計った、八花にとっての双葉の価値。およそ勾玉三つ分。
これを捧げて願うことは、己の命を贄とすることと等しい。
言われたとおり、手のひらに載せたまま前に突き出しておく。
そのまま願いを込めて見つめていると、勾玉が脈動するような輝きを放ち始めた。
むずがるように揺れたかと思うと、尖ったほうにヒビが入って、中から細いものが顔をのぞかせる。勾玉と同じ色をもって芽吹いた、植物の幼芽だ。
驚いて手を引っこめてしまったけれど、勾玉は宙に浮いたまま、するすると芽を伸ばしてゆく。茎を毛細血管のように張り巡らせ、表皮のように葉を茂らせて、互いに絡まり編まれしながら、ざわざわとうごめく赤い塊をなしてゆく。
そうして植物は、地面に届くほどの細長い物体と化して成長を止めた。
どう見ても人の形だった。
――これ、あたし?
目の前で立ち尽くしている、赤い影法師の姿の自分。
命代わりの勾玉を心臓として作られたそのヒトガタは、まさに自分の分身だ。
強張ってゆがんだ肩のラインと、弱々しく丸まった背中。
今の自分は、他人から見ればこんなに情けない姿なのだろうか。
ユツギがヒトガタの前に音もなく降り立った。
そうして無造作に腕を持ち上げると、ヒトガタの胸に手をめり込ませる。
身体から突き出した指が勾玉をちぎり取った瞬間、まるで鮮血が飛び散るようにして、分身が砕けて消えていった。
先ほどまでの怒りは、ヒトガタと一緒に吹き飛んで失せた。
代わりに身体を震わせる、目の当たりにした言い知れない恐ろしさ。
目の前にいるのは、願いを叶えてくれる神様であり、願いの代償に命を要求する化け物でもあって。
「お前の願いは果たされた。もう行け」
「――え? だ、だって、まだ何も」
自分の身代わりがユツギに殺されただけだ。
「派手に術をふるうような願いではないからな。行って確かめてくるがいい」
重ねて促され、うまく力の入らない足で家の中へ入る。
また茶の間を通って玄関に戻ると、柚比良は電話中だった。ちょうど話が終わったらしく、携帯電話を内ポケットにしまいながら腰を上げる。
「すまないが急用で戻らなければならなくなった」
「そ……そうなんですか。でしたら、どうぞご遠慮なく」
平静を装ったつもりだったけど、うっかり喜びがにじんでしまったかもしれない。
その証拠に、柚比良は何だか苦笑している。こんな表情は初めて見た。
「君が父を快く思わないのは、無理もない話だと感じている。だが、私は父ではないし、君も十枝さんとは違う人間だ。君が母親としての責任をこなそうとする必要はない」
え。
何を言って……え?
さっきの『母親代わりは荷が重すぎる』って、そういう意味?
「あんな男が義理の父では、君も苦労が多かろう。困ったことがあれば連絡してくれて構わんからな」
もらった名刺を手に、呆然としながら見送りのために外へ出る。
え、なに。
もしかして、あたしが勝手にいろいろ思い込んでいただけ?
柚比良さんて、偉いわりに悪気なく口が悪くなっちゃうタイプのおじさん?
それとも、これがユツギの術とやら?
「おや、君は」
呟き声に顔を上げると、なぜかユツギが門の扉を塞ぐようにして立っていた。
柚比良は怪訝そうだったが、あの派手な風体を怪しんだわけではないようだ。たぶん、また認識阻害が仕事をしているんだろう。
「初めて顔を合わせる。おれはナギの兄だ」
――!?
思わず口をぱくぱくさせたが、柚比良も驚いたようだった。
「あの男に身内がいたとは聞いていないが」
「長らく疎遠だったものでな。だが、この家を案ずる権利はこちらにもある」
ユツギが脇によけて通路を空けた。
「気遣いには感謝するが、これ以上の干渉は遠慮ねがいたい」
他にも頼れる大人がいるならば、少しは安心だ。
そんなことを言い残し、柚比良は運転手つきの車で帰っていった。
そうしてユツギと二人で残されたわけだが、いろいろと衝撃が覚めやらない。
とりあえず、これだけは確認しておかないと。
「ユツギ、さっきのって」
「ほんのサービスだ。家から追い出し、近づかせないよう術を施すだけでは、もらいすぎになるからな。……血縁というのは、こちらでは何よりも強い盾なのだろう?」
「そうだけど。いやあの、ナギさんの兄って本当に?」
とたんにユツギの顔が嫌そうにゆがんだ。
「あんな奴が弟であってたまるか!」
「そ、そうですよね」
何かこのやりとり、前にもやった気がするな。
引き返して玄関に入ろうとすると、ヒノメが、するっと横にやってきた。
ユツギを敷地内に入れちゃったから、勝手に立ち入らないって約束も、もうノーカンってこと?
「やあやあ、お祝いを申しあげます。無事に一つめの願いが叶いまして、よろしゅうございましたね!」
いつにも増してハイテンションだ。
「残りの二つの勾玉は、八花さまがお持ちになっていてください。ええ、此度のように、急ぎで入り用になる場合もございましょうし」
勾玉を包んだ布ごと手渡されたが、なぜか拒否することができなかった。
なぞなぞの答えが見つからないような気分で廊下を戻る。
キッチンに入ると、タオルを被った双葉が脱衣所から出てくるところだった。
「はーちゃ、でんわ」
言われてバッグからスマホを取り出したけれど、タップする直前にコールが切れてしまった。
表示を見ると『旗臣建設』。たぶん梅園だ。
すぐに折り返したほうがいいのだろう。
でも、気が進まない。不運の星は、今も頭上を回っている。
ためらいつつも電話を入れると、すぐに切羽詰まった声がした。
工事現場の土砂崩れの下から、ナギの衣服が発見されたという報告だった。




