事件の推移 四 八日後の月の出までに
風雨を受けて多少ホコリっぽくなっていたものの、愛用の赤いスクーターは転がしてきた場所にきちんと放置されていた。
せーの、で車体を起こし、ヘルメットを被ってシートにまたがる。
けれど、キーを差し込んだのにエンジンが掛からない。
「う、嘘でしょ……?」
あちこち踏んだり、いじったり。思いつく限りに試した後、行きつけのバイク屋へとしぶしぶ押していった。
※ ※ ※
「あー、ついてない。何でこのゴタゴタなときに故障するかなあ」
商店街のバス停で、八花は村行きのバスを待ちながらクダを巻いていた。
ベンチでがりがりとかじっているのは、ソーダ味の棒アイス。ストレスは買い食いで発散するに限る。
おやつのクッキーと併せると若干カロリーオーバー。だけどナニソレキコエナイ。
もともと中古だったし、ここのところ何となくエンジンの調子も悪かった。
だましだまし走らせていたツケが回ってきたと言えばそれまでだが、部品の在庫がなくて修理に二週間もかかるなんて慈悲がなさすぎる。
そのあいだ田舎暮らしの足をどうしろと。
代車を借りようにも、あいにく立て続けに客があったとかで、妙にレンタル代のお高い車種しか残ってなかったし。
……もうチャリでいいか。中学時代の自転車、まだ納屋にあったっけ。
「お勧めどおり、新車に買い替えたほうが良かったかな……。いや、この機会に思い切って軽自動車を買うっていう手も――だけど車は維持費も馬鹿にならないし」
卒業まではあのスクーターで頑張るつもりだったのに。
はあ。
「……ほんと、ついてない」
思い返せば、ナギの行方不明を皮切りに、オオカゼに遭ったこと、借家の取り壊しにともない転居を求められたこと、いきなり愛車が壊れたこと。
そして最大の厄介事、自称神様の化け物が双葉を嫁にほしいと押しかけてきたこと。
最初と最後のそれ以外は、いつ起こっても不思議ではない出来事だった。
けれど、いつ起こっても構わなかったはずのそれらがいっぺんに降りかかった点に、何らかの意味を思わずにいられない。
たとえば、ちょうど不運の星が頭の上に巡ってきたのかな、とか。
その不運の星はいつまで自分に光をそそいでいるのかな、とか。
ぼんやりアイスの冷たさに癒やされていると、目の前で美しい紺色の布地が揺れた。
顔を上げると、やっぱりユツギだ。
「ようやく見つけたぞ、よくもおれをまいてくれたな!」
開口一番に怒鳴ってきたと思ったら、二本指で額をはたかれた。
大して力を込めたようでもなかったのに、焼けたフライパンで殴られたような灼熱と衝撃。目から目玉焼きが飛び出しそうで、ベンチに倒れて身もだえた。
「――これでよし」
「よし、じゃないわ! いきなり何してくれとんや!」
やるんか? 殺るんか? 上等やがいね!
「そいつは追跡紋だ。今後はどこに隠れようとすぐに見つけ出してやる」
「誰が隠れてなんか――ていうか待てこら! あんたまさか、あたしのことまでストーカーしてやがんの?」
額を押さえながら身体を起こしたとき、アスファルトで崩れているソーダ色を目にして、声にならない悲鳴を上げた。
あたしのアイス! まだ半分しか食べてないのに!
もう許さん! 絶許だ、絶許!
「あまさず観察するのに必要なことだ。おれにはお前の願い事を叶える権利がある」
「そんな権利をくれてやった覚えはない!」
スマホのカメラを鏡の代わりにして確認すると、思ったとおり、おでこが赤くなっている。
何かの文字みたい? と目を凝らしているうちに、すうっと消えた。
「実はな、ヒノメに言われて今朝のやりとりを反省したのだ。お前のための勾玉と引き換えるのだから、おれの自己満足ではなく、お前にとって真なる利益となるものでなければならん」
ユツギが隣に腰を下ろした。その手にはなぜかコンビニのレジ袋がある。
「代償に願い事を叶えてやろうってそもそもの発想が、すでに自己満足だとは気付かないわけ?」
拾ったアイスを泣く泣くゴミ箱に捨てて戻ってくると、ユツギがおにぎりのパッケージを破っているところだった。
明らかに上機嫌な様子でかぶりつくと、一口で半分が消えている。
あ。おかか。
「やはり米は美味い。あとは酒があればこのうえないが……どうした、お前も食うか?」
ユツギがレジ袋をこちらに向ける。わりと大きめのその袋の中身は、なんと全部おにぎりだ。
せっかくなのでツナマヨを取った。
アイスさんの仇に遠慮なんかしないけど、どうやって買い物したんだろう、とは思った。
お金なんか持ってたのか? まさか葉っぱのお金とか言わないよね。
こんな派手な格好のやつが入ってきて、店員さんはさぞびっくりしただろう。
ていうか、さっきからわりと人が通るけど、みんなユツギのこと気にならないの?
あー、あれか。魔法でよくあるあれ。何だっけ。認識阻害?
「それでだな、お前のことを少し調べさせてもらった」
ヒノメ、とユツギが呼ぶと、「御前に」と彼女は音もなく現れた。
白いブラウスに黒のタイトスカート。そして同じく黒のピンヒール。小脇に出席簿を抱えているところを見ると、今回のコンセプトは女教師らしい。
登場のたびに設定を変える必然性はあるのかどうなのか。
「調べるって……またそういう勝手な真似を」
「そうでもしなければ、お前は何も望まんだろうが」
ユツギがヒノメに渡された出席簿をめくる。
横からのぞいて、ぎょっとした。綴じられたプリントには、履歴書みたいな簡単なプロフィールやら大学の成績表やら、果ては子どものころに宿題で書いた『将来の夢』なんていう作文まで……!
「ちょっ、こら見るな!」
あわてて出席簿を取り上げた。個人情報!
「こんなもの、どうやって集めたわけ?」
「忍び込むなど造作もございませんでした」
まさかの不法侵入。ヒノメもしれっと犯罪を白状するのやめて。
「お前は幼少のころから裁縫術に長けていたそうだな」
「ドヤ顔で言うことか。そんなのご近所中が知ってるっての」
「お前に天の織女と同じ指をやろう。あらゆる糸や布地を自在に操り、意のままに縫いあげる指だ。人草には決して持ちえぬそれらが欲しくはないか」
ほんとにひとの言うこと聞いちゃいないし。
はあ、と溜息をつき、ツナマヨのパッケージを破いた。
「もう指は五本ずつ持ってるし、あたしはこれで満足してる」
「阿呆。増やすという意味ではない」
「あのさあ、ユツギのやってることはぜんぶ的外れなんだよ」
パリパリの海苔の食感を楽しみながら、気付けばそんな言葉を口に出していた。
「最初に言ったでしょ。あたしが拒絶するのは、まだ双葉が小さいからだよ。もしあの子が充分に分別のつく年齢で、本人がそう望むのなら無闇に反対なんかしない」
芽衣は油断するなと言ったけれど、本人を目の前にすると気持ちが緩んでしまう。
もちろん、ユツギが指いっぽん動かさず息の根を止められる奴だってことは、そりゃあ身に染みて分かっている。
でも、キュウリの尻尾をもらって感激したり、嬉しそうにおにぎりを頬張ったりする姿を見た後では、まだ何もされてないのに警戒し続けるなんて難しい。
「神様を名乗るくらいだし、ユツギは人間よりも長生きなんでしょう? 双葉が大人になるまで、ほんの十年かそこらだよ。それまで待てない?」
「……確かに、おれにとっては欠伸をする程度の時間でしかないが」
ユツギは暗い顔で食べかけのおにぎりを見つめている。
二個めはシソ梅か。好み渋いなー。
「しかし、大人になるのを待っていたら、また他の奴に取られてしまう……」
「そ、そうなんだ」
気まずくなって残りのツナマヨを口に押し込んだ。
実際にありましたか、そんな痛ましい出来事が……。
「すぐにでも双葉姫をお連れしたい理由は、実は他にもございまして」
うなだれてしまったユツギを見かねてか、ヒノメが口を寄せてきた。
その格好、胸と腰の圧がすごいんだけど、こんな女教師が校内を歩いてたら別の意味で捕まらない?
「この不吹の地は、古より山犬女めの重要なテリトリーなのです。今回、我々が足を踏み入れることが叶ったのも、厳重な取り決めを交わしたうえでの話でして」
期限までに退去しなければならないし、この機を逃せば次があるかも分からないという。
「ちなみに、いつまでこっちにいられるの」
「八日後の月の出まで、でございますね」
ってことは、来週の土曜か。……ん、土曜日?
「あ、そうか。例大祭」
クロミミ様だって、自分のためのお祭りの日に他の神様が縄張りをうろついていたら、そりゃあ嫌だよね。しかもユツギとは仲が悪いみたいだし。
――と、そこまで考えて、はたと気付いた。
もしユツギが諦めなくても、その日まで逃げ切ればこっちの勝ちなのでは。
それと、『おれをまいた』、『隠れた』っていうさっきの言いがかり。あれはひょっとして、不吹神社の境内に入ったせいだったりしないか。
希望のひらめきに、ぽんと思わず手を打つ。
クロミミ様の神域に、たぶんユツギは入ってこられない。
神様同士の難しいルールがあるみたいだし、充分にありえる話だ。
いよいよとなったら、芽衣が言ったように双葉を連れて逃げ込むのもあり?
「……おい、何か良からぬことを考えているだろう」
ユツギが金の目をぎらぎらさせながら、額を指でつついてきた。
もう赤みの消えた跡が、ぴりっと痛む。
「双葉どのを連れ帰る件は山犬女も了承している。奴に訴え出ても無駄だし、そう簡単におれから逃げられると思うなよ」
ぐう。
やっぱ油断しちゃ駄目だ。
神様は神様でも、こんなの疫病神の間違いでしょ……。




