事件の推移 三 『持っていかれた』人々のこと
結局、タケ婆ちゃんによる粗塩ぶちまけ事件は、本人にしか動機が分からん、ということで決着をみた。
シャワーを借りて塩を洗い流し、身体はさっぱりしたけどモヤモヤだ。
タオルで髪を乾かしながら、八花は社務所へと向かった。
裏口から入ってすぐは十畳ほどの座敷だ。芽衣は、表の窓口からは見えないその裏方部屋の、所狭しと置かれた段ボール箱のあいだに埋もれていた。
「着替え、ありがと。親友がかっこいいって事実を改めて噛みしめた」
鏡を見て、びっくりしたとも。芽衣が着ていたときとシルエットが、まあ違うこと違うこと。
Tシャツはともかく、膝上丈のスポーツウェアが膝下丈になったのは、もはや身長の違いだけでは説明できない。
「えーなになにー。八花なら惚れてくれてもいいよっ」
けらけら笑いながら、芽衣が右の段ボール箱から新品のお守りを取り出した。それを座卓の上の小袋に詰めて、流れるような手つきで左の段ボール箱に放り込む。
手には薄手の白手袋。授与所で頒布している厄除けのお守りの包装作業だ。
八花も向かいに腰を下ろし、同じように手袋をはめて小袋を手に取った。
「タケ婆ちゃんの、ええと、お清め? あたし、また何か気に障ることしちゃったのかな」
芽衣が首をかしげる。「また、って?」
「ほら、昨日は先に帰ったでしょ。その後、オオカゼに遭って怒鳴られてね……」
お札やお守りに御魂を入れる儀式は、相応の資格を持つ神職にしかできない。けれど儀式を行った後のそれらを袋詰めするのは下っ端の役目だ。
年末年始や例大祭の前は特に忙しいので、昔から芽衣にくっついて入り浸っていた八花も、当然のように人手の頭数に入っている。
以前から、まかない作りやら、掃除やらの裏方仕事に駆りだされてきたし、こうした内職もすっかり慣れたもの。おしゃべりしながらだってサクサク作業が進む。
話の途中で百合恵さんが「お疲れさま」と、麦茶とクッキーを置いていった。
バイト代は出ないけれど、こんなふうにおやつは出る。わーい、甘いものー。
「……なるほどねえ。ま、お婆ちゃんのカミナリは天災みたいなものだから」
芽衣は話を聞き終えると、ごめんね、と苦笑して声をひそめた。
「気にしないであげて。お婆ちゃん、昔『持っていかれた』ところを目撃したらしいんだ。だから、余計にオオカゼのときは神経質なんだと思う」
え。大声を上げそうになり、慌てて声量を控えた。「それほんと?」
「蔵の二階に古文書が積んであるじゃない? あれ、神社で保存してる記録なんだけど、読むと失踪人の記述がけっこうあるよ。いわゆる神隠しってやつね」
記録は神社が建てられたころ――乙女山の麓に人々が入植した時代から始まっていて、そのころすでに人が消えるという出来事があったらしい。
そして、最も新しい神隠しの記録というのがタケが若いころのもので、消えたのは幼なじみの少女。当時、不吹神社の巫女をしていたタケの目の前で、あえなく風にさらわれてしまったという。
まじか……。
「婆ちゃんが毎日のように祠を回ってるのは、たぶんだけど、クロミミ様に召されたその子の幸せを祈るためもあるのかな、って。だから父さんたちも出掛けていくのを止めづらいわけよ」
芽衣が素手になってクッキーをかじり、口の前で指を立てた。
「お婆ちゃんは何も言いたがらないの。本人の前では黙っててね」
こくこくと頷いた。もちろんだ。気軽に話せることではない。
でも、こっちも何だかモヤモヤだなあ。
八花も手袋を外してクッキーを口に放り込んだ。
タケ婆ちゃんはクロミミ様の巫女なのに、幼なじみをその神様にさらわれた。それでも信仰をやめないなんて。
家屋を壊されても、川が氾濫しても、自分たちに実りをもたらしてくれる守り神だからと祈るのをやめないように、タケ婆ちゃんも、それが運命だって受け入れた?
……ん。このクッキー美味しい。もう一枚もらっとこ。
「ま、大勢の行方不明者のうち、何人が本物の神隠しだったかは分からないけどね」
手袋をはめ直しながら、ぼそりと芽衣が呟く。
「神隠しだって嘘ついたってこと?」
「意図的に嘘をついたかはともかく、人が行方不明になるなんて、わりとよくある話でしょう? でも、消えた当人に真相は聞けない。つまり、はたから見たら区別なんかつかないってこと」
芽衣がお守りで満杯になった段ボール箱を押しやり、別の空き段ボールを引き寄せた。
「借金で失踪とか、青少年の家出とか。最悪、人知れず事故に巻き込まれて実は死んでました、なんて場合もあるだろうし」
授与所のほうで百合恵さんに呼ばれ、「ちょっとごめん」と芽衣が腰を上げた。
授与所はお守りなどを頒布する窓口で、この神社では社務所と同じ建物にある。端のカウンターでは、最近になって増えたという御朱印めあての参拝客に芽衣のお父さんが応対していた。
百合恵さんの夫であるお兄さんの姿が見えないのは、たぶん本社のお務め当番だからだろう。
不吹神社には普通の神社と違って本殿がない。本殿があるべき拝殿の正面には、遠く乙女山がそびえている。山そのものが本殿というわけだ。
山頂にはクロミミ様が降臨するという風穴が祀られており、不吹神社の小さな本社もそこにある。登山シーズンである夏のあいだだけ、神職が交代で業務にあたる習わしだ。
八花は一人で作業を続けながら、さっきの芽衣の話を思い返した。
頭にあるのはナギのことだ。
姿を消したのは、おそらく一昨日の夜。オオカゼの最中ではないし、女の人と子どもしかさらわないと言われてるから、少なくともクロミミ様の仕業ではないだろう。
――それはできん。すでに奴は死んでいる。
――いずれヒトの側からも知らせが届くでしょう。
ユツギたちの言葉を思い出し、手に取ったお守りが、ぽとんと膝の上に落ちる。
ナギが死んだなんて信じない。
信じたくもないけれど――現実逃避している場合ではないのかもしれない。
双葉をよろしく頼む、と。
あの最後の言葉に応えたいのなら、本当にナギが死んでいた場合の、その後のことを真面目に考えておかなくてはいけないのでは?
でも。だけど。
「――ただいま。どうしたの、顔こわいけど」
「め、芽衣ぃぃぃ」
膝のお守り袋を拾って小袋に詰め、完成の段ボール箱に放り込んだ。
「本当にナギさんが死んでたら、まず何をすればいいと思う?」
「う……ごめん。私が無神経な話をしたせい?」
芽衣はバツの悪そうな顔で白手袋をはめた。
「気持ちは分かるけど、今から不安にならなくても大丈夫よ。ナギ様だっていちおう成人男子だもの。一晩や二晩、連絡が取れないくらい、警察だって動いてくれない程度の案件なんだから」
「だけど、ナギさんはもう死んでるって」
「はあ? 誰よ、そんな馬鹿げたこと言ったの!」
「話せば長いけど、ナギさんの知り合い」
うまいこと省略して話せる気がしなかったので、授与所にいるおじさんたちの耳をはばかりつつ、バス停で化け物に遭遇したところから順を追って打ち明けた。
ナギを心配でたまらないだろう芽衣に負担をかけるつもりではなかったのに、普段どおりに振る舞ってくれる幼なじみの顔を見たら、頼ってもいいのかもしれないと思ってしまったのだ。
昨日から非常識な出来事ばかりで一杯一杯だという自覚はあって、頭のいい芽衣の冷静な意見が切実に聞きたかった。
「その一ツ目の化け物が、実は神様で……」
そう口にしたときは、さすがに荒唐無稽な話だよなあと気まずくなったけれど、芽衣は混ぜっ返すこともなく、ますます真剣な顔で耳を傾けてくれた。
信じてもらえたおかげで、双葉を嫁にするために三つの願い事を強制的に言わされそうだ、という話も落ち着いて伝えることができたと思う。
「――それで、ナギさんが死んだなら、あたしが保護者だろうから、ってユツギが」
話につき合いながら作業をこなす芽衣は、今まで見たこともないような険しい表情だ。
「や、やっぱり死んじゃったとなると、警察とかに相談したほうがいいのかな」
「そうね、たぶんいずれは。でも、慎重に考えて行動しないとまずいと思う」
「まずいって、何が?」
聞き返すと、芽衣がちらと目を上げた。
「だって八花の誕生日って、まだずっと先だよね。ちゃんと調べないと確かなことは言えないけど、二十歳未満は法律上の保護者にはなれないんじゃない? あとほら、あっちの家のほうも……」
芽衣の言いたいことに気付き、ぎょっとした。
確かに、あと半年は自分にも保護者が必要だ。
少なくとも判子のつける大人が身内にいないと、きっと面倒なことになる。
思いがけない問題に硬直していると、唐突に芽衣が両手で頭を抱えた。
「あーもーっ! お婆ちゃんのアレって、こういうことかあ!」
は? タケ婆ちゃん? アレって??
芽衣が前髪をかき上げ、苦々しげに溜息をつく。
「あのね、八花。保護者がどうこうって話も重要だけど、私がいちばん心配してるのは、そのユツギって奴のこと」
ユツギ? それならあたしだって心配してる。いつ双葉が毒牙にかかるかと思うと……。
「いま八花の考えたことは、たぶん的外れだと思う。そいつは八花を騙してる」
「……騙してる」
「ごめん、それが何なのかは分からない。私の勘」
「……勘」
「でも、根拠はある。それがお婆ちゃんのアレ。少なくとも、双葉ちゃんを連れていくために取り引きしたいっていう話は、奴の言葉どおりに受け取らないほうがいいと思う」
何が何やら分からない。いったいあたしはどうしたら。
「今そいつは家にいないのね? もしまた現れても相手にしないで。ましてや願い事を頼むなんて絶対に駄目。一回でも応じたら最後、どんな結果を招くか分からないわよ。いい? 肝に銘じた?」
「う、うん」
さすがタケ婆ちゃんの孫だな、と思える押しの強さ。
強めに確認されて、大きく頷くほかなかった。
※ ※ ※
相談のついでに作業もはかどったので、きりのいいところで帰ることにした。
芽衣は心配だから家まで行くと言ってくれたけれど、例大祭の準備で忙しいのに、そんな手間までかけさせられない。
「せっかくだけど、また今度ね。スクーターも拾って帰らないといけないし」
「じゃ、せめて境内を出るまで見送るから」
そう言い張ってついてくるので、苦笑してしまった。
「芽衣は大げさだなあ。ユツギなんかに丸め込まれないって」
「警察に突き出して抹殺できるただのロリコンなら、ここまで警戒しないわよ」
ユツギの話が出てからずっと、芽衣は何だかイライラしている。
「まさか、横笛を返して謝罪してくれたから、そんなに悪い奴じゃないかも――なんて油断してないわよね」
「えーっと……」
言われてみれば、何となくそう思ってるかも。
「そいつが本物の神様なら、八花が最初に化け物だって感じたのは正しいわ。奴らは人の世の常識から外れた存在よ。親切そうに見えたって、こっちのことなんかそのへんの雑草くらいにしか思ってない。理不尽に引っこ抜かれたくなかったら、ぎりぎりまで頭を使って立ち回らないと」
神聖な境内なのに、神様に対してずいぶん遠慮のない言いようだ。
そっと横顔を盗み見て、その真剣な眼差しに息をのむ。
代々の神職一族の直系で、幼なじみをさらわれた神懸かりの元巫女の孫で、なぜか古文書の記録を知っていた芽衣。
巫女装束は決してコスプレなんかじゃない。
打ち明け話を笑わずに聞いてくれたのは、単純に信用してくれたからでもない。
神様が実在することを、もうずっと前から知っていた。
そして、彼らの理不尽に対して、人の力では抗いきれないことに憤っている。
「……よし。八花、出てもいいわ。今のところおかしな奴はいないみたいだから」
鳥居のところまで来ると、芽衣は念入りに辺りを見回してから手招きをした。
本当に警戒ぶりがすごいな。
「ねえ、本当に帰るつもり? 双葉ちゃんと一緒に、しばらくうちに避難してきなよ。親には適当に言っておくし」
「うん、ありがと。でもさ、もしかしたらナギさんがひょっこり戻ってくるかもだし」
何日も家を空けるなら、さすがに施錠しないと不用心だ。
けれど鍵をかけたら、きっとナギが困ってしまう。
戸締まりをしない田舎の常で、ナギは家の鍵を持っていかなかった。今朝、玄関を施錠しなかったのも同じ理由だ。
「ぐ……分かった。それなら引き留めないけど、気が変わったらいつでも連絡して。夜中でも遠慮しなくていいから。本当に気をつけてね!」
心配顔の芽衣に見送られながら、クロミミ様の鎮守の杜を後にした。
こちらは令和四年の三月三十一日以前の物語でして、法律上の成人は二十歳という設定でお願いしたく。




