事件の推移 二 失恋遍歴
「またしても邪魔しおって。こうるさい小姑め」
「誰が小姑か。ずうずうしい、嫁になんかやらないって言ったでしょうが!」
八花は思わず拳を握ったが、クナシが様子をうかがっているのに気付き、さりげなく解いた。
もうユツギの威圧オーラなんか怖くないが、物理な刃物にはやっぱり負ける。
気を取り直し、さあさあと双葉の背中を押しやった。
「そろそろ行きな。遅刻しちゃうよ」
こくりと頷き、双葉が食べ終えたキュウリの尻尾をユツギに手渡す。
「ふーちゃん、ちゃんと目を開けて。それゴミ捨てるとこじゃないよ」
改めて学校のほうへ促すと、双葉は正しく歩き始めた。
まったく、油断も隙もない。
振り返ると、ユツギが真剣な眼差しでキュウリの食べ残しを見つめていた。
その端整な目元が涙ぐむように赤らんだかと思うと、ほうっと震える溜息をつく。
何でこのひと、イケメンなのに乙女みたいな反応するんだろ。
「双葉どのが、初めておれにくれたもの……」
……。
どうしてかな。桂太が芽衣から飲みかけのペットボトルをもらうのと構図的には変わらないのに、あれよりずっと不健全な感じだ。
「まさかとは思うけど、そのキュウリの端っこ、食べたりしないよね」
「あ、当たり前だろう。見ろ、この愛くるしい歯形を。時渡りの手箱に入れ、いつでも眺められるよう保存しておく」
「ごめん、やっぱ無理。きもい。それ返して」
「まあまあ、見逃してさしあげてはもらえませぬか」
竹箒を抱えて近づいてきたヒノメが、こそっと耳打ちをした。
「我が君にとっては生まれて初めての、女人からの贈り物でございまして」
「贈り物って大げさな。ただのキュウリの端っこだよ?」
「それでも我が君にとっては無上の喜びなのでございます」
ヒノメは目尻を拭うような仕草をした。
「これまで数えきれぬほどの嫁取りを試みましたが、意中の姫神方はこぞってナギ様に心をお移しになり、贄として捧げられた娘どもにさえ、約束した男がいるなどと泣かれて逃げられてばかり。はたで見ていて、わたくし、もうお可哀想で」
「生贄の娘とか意味が分からない」それは逃がしてあげてよとしか。
分からないと言えば、ユツギよりナギのほうがモテるっていうのも不思議だな。
タイプは違っても同じくらい美人だし、中身の駄目さだって違う方向に同レベルだと思うんだけど、まあ、芽衣に昔『恋愛脳が息してない』って言われた前科もちには理解できなくて当然かもしれない。
……でも、そっか。なるほどなあ。
まだ感動しているユツギを見やった。
そりゃあナギとは友人なんかじゃないって言い張りたくもなるか。
生ぬるい視線に気付いたようで、ユツギが決まり悪げに咳払いする。それと同時に、どこへ送ったのかキュウリが消えた。
「どうだ、そろそろ願い事は決まったか?」
「揃いも揃って、しつっこい」
うんざりと抗議したけれど、この顔、聞いちゃいないな。
「まず必要なものといえば金銭だろう? この小屋を広大な御殿に変え、うなるほどの金銀で埋めてやることもできるぞ」
「人んちを小屋とか言うな。おあいにくさま、当面の生活費ぐらい貯めてあります。だいたいね、大きなお屋敷っていうのは掃除とか手入れとか大変なんだよ?」
「……他人にさせるという発想がないあたり、お前は根っからの貧乏性だな」
気の毒そうに見下ろされた。ほっとけ。
「だが、つましくとも若い娘だろう。美しく着飾ってみたいとは思わんのか。その素朴な容姿に野暮ったい格好は、いくら何でも似合いすぎる」
「余計なお世話だって言ってんの!」
容姿をディスるのはともかく、野暮ったいだと?
収納ポケットがあって日よけ風よけにもなるフード付きという、パーカーさんの機能美が分からんとは残念な奴め。
それに、スクーターを飛ばしても裾のまくれ上がらないパンツスタイルは最強だし、閉店間際のスーパーを横断するなら機動力のあるスニーカーが鉄板でしょうが。
「とにかく」とユツギに指を突きつけた。
「うちの双葉には近づかないで。さっきみたいに、あたしの知らないところで話しかけたりしたら許さないからね」
改めて釘を刺すと、神様は恨みがましい顔をした。
「とは言うが、そもそもお前、許すつもりもないだろうが」
「当然だよ。失恋をこじらせるなら、どこかよそでやって。大人の女の人に相手にされないからって、うちの妹を巻き込まないでほしい」
「おい待て。おれはそういう性癖の持ち主ではないと昨日も」
「こんな若い子を侍らせといて、言い逃れができると思ってんの?」
ぴちぴちのヒノメを示すと、ユツギは実に嫌そうな顔をした。
「見た目にだまされるな。こいつはお前が思うよりも遥かに年をくっているぞ」
「そうなの? まあ、だとしてもユツギの疑惑が晴れるわけじゃないけどね。じゃ、あたし出かけるから。もう昨日みたいに勝手に上がり込まないで。あ、違うや。帰ってくるまでに消えて。いい、分かった?」
念のため戸締まりしていこうかと思ったけれど、考え直して、そのままにした。
どのみち、瞬間移動できる神様には鍵なんて意味がないだろう。
「くそ、すっかり態度を変えおって。可愛げのない……」
可愛げで家族が守れるかっての。
まだぶつぶつ言ってるユツギを無視し、家の裏手へ回る。
スクーターを出そうと思ったら、いつも停めている場所に愛車がない。
あれ、どうしたっけ……と頭の中で昨日の出来事をなぞり、「あ」と短い声が出た。
※ ※ ※
うーん。久しぶりに電車で登下校してしまった。
だいぶ遠回りになるため、普段の倍ちかい時間が掛かった。ついでに電車代もかかって、お財布に地味なダメージだ。
まだユツギたちが居座っていたら文句を言わなくちゃと思っていたけれど、
「おお、いない……」
こっちが出かけてからもヒノメたちの清掃は続いたようで、ほうぼうの雑草が刈り取られ、ご近所中がこざっぱりとしていた。
ちょっと感心したけれど、これとそれとは話が別だ。
奉仕活動なんかで懐柔されないからね!
ともあれ、まずは放置してしまった愛車を救出してこないと。
いや、その前に芽衣のところへ寄ったほうがいいか。
ナギについてはまだ何も分からないとメッセージを送っておいたけれど、きっとずいぶん心配しているはずだ。
借りていたアニメのDVDやら画集やらを紙袋に詰め、よいしょと抱えて自宅を出た。
どこまでも田んぼが続く田舎道をひたすら歩くと、道の先に古墳のような緑の塊が見えてくる。付近の農家と比べて一段とこんもりしているその林が、不吹村で最も古い神社の鎮守の杜だ。
宮ノ内家は代々の神職を務める家系で、芽衣の父親が十何代目かの宮司にあたるらしい。そういうわけで、芽衣の家は境内の一画にある。
『風宮不吹神社』と彫られた太い石柱を通りすぎ、一礼して最初の鳥居をくぐった。そこから先が巨大な防風林の内側だ。
境内にも太い木が生い茂り、一番高い木は二十メートルにもなる。でも梢の低いところは丁寧に剪定してあって、外からは鬱蒼として見えても中は意外と明るい。
「あー、気持ちいいわあ」
歩いてきて少し汗ばんだ身体が、清涼な空気にすうっと洗われる気分。
古い石畳の参道を進んでゆくと、普段はひっそりとした境内のあちこちに人の姿があった。村の青年団の面々だ。奥の倉から手分けして資材を運び出してゆく。
来週末に迫った例大祭の準備が始まっているらしい。
不吹神社の御祭神は、もちろんクロミミ様だ。
本当は漢字を連ねた仰々しい本名があるのだけど、誰もそちらで呼ばないし、読み仮名も分からない。というより、御名というのは神様だけが口にできる呪文の一種らしい。
呪文といえば、村と神社の名前になっている『不吹』も、一つのまじないだ。
この地には風が吹かない、という祈りの言葉。
不確定な言霊にさえ、すがらずにいられない。それほどの風の強い土地で、人々は住まいの周囲に風よけの樹木を植え、何十年にもわたって世話を続けて、それでも時々はオオカゼの被害に遭いながら、たくましく生き延びてきた。
抗いきれない自然の脅威を前にして、できることをコツコツと積み上げてゆく。
ちょっと大げさな言い方かもしれないけれど、そんな地道な営みの中に自分のルーツがあることを、素直に誇らしいと八花は思う。
顔見知りと会うたびに会釈や挨拶を交わし、奥へと進む。
拝殿の前で参道をそれると、社務所の向こうに芽衣の家が見えてきた。伝統的な農家とは造りが異なるものの、木造の立派なお屋敷だ。
生け垣を回ると、タケが庭の水場に座りこんで大根を洗っていた。
「八花、おめえ……」
タケはこちらに気付くなり、空気がびりっと震えるほどの豪快なクシャミをした。
かと思うと血相を変えて立ち上がり、母屋の土間に駆け込んで、小ぶりな壺を抱えて戻ってきた。
「おめえ、どこでそない臭えモン拾ってきたが!」
一喝と同時に、壺の中からつかみ出したものを、ばばっとぶちまける。
頭上から白い粉末が降ってきて、身をかわす暇もない。
「うわっ……タケ婆ちゃん、ひどいよ。いきなり何なの……」
少し口にも入ってしまった。うえ、しょっぱい。これ、料理用の粗塩だ。
「こいつめ、こいつめ!」
タケはクシャミを連発しながら、洟をすすり上げながら、続けざまに塩を投げてくる。
美味しい漬け物にしてくれようかという惜しげもなさに、悲鳴を上げて逃げ回った。ぶつけられても大して痛くないのだが、タケの形相がとにかく恐ろしい。
「あららー、八花ちゃん、いらっしゃい。いったい何がどうしたんですか?」
騒ぎを聞きつけ、母屋からエプロン姿の女性が出てきた。庭中、塩だらけのありさまに目を丸くする。
芽衣の義姉にあたる百合恵さんだ。
「それが急に怒りだして――ちょっ、タケ婆ちゃん、目に入りそうなんだけど!」
「こりゃ、大人しく直らんが! 清められんやろが!」
「はいはい、タケさん。ちょーっと落ち着きましょうね」
百合恵がタケをなだめにかかる。
「いったい何の騒ぎなの?」
続いて芽衣も姿を見せた。これから社務所の手伝いらしく、緋袴の紐を結びながら庭に出てくる。
「やだ、婆ちゃん。また何か、やらかしたわけ?」
「やらかしたとは何じゃい。わしゃ八花の憑きものを――」
「はいはーい。タケさん。きんつば買ってありますよー。今お茶を入れますねー」
足をばたつかせて抵抗するタケを、百合恵がやんわりと羽交い締めにする。
神社の跡取り息子の嫁として都会からきた百合恵は、そのシュッとした見た目にふさわしく、学生時代は合気道をたしなんでいたという。自分より大柄なタケをいとも簡単に引きずっていった。
「八花、大丈夫?」
芽衣に頭の塩を払われつつ、自分の身体を見おろした。
「べたべたで気持ち悪い……。そうだ、これ借りてた資料。いつもありがとね」
紙袋も塩まみれだったけど、中身は死守させていただきましたとも。
腕や肩を動かし、匂いをかいだ。
タケは臭いと言っていたが、よく分からない。
「ねえ芽衣、あたし、何か臭う?」
「え……」
芽衣はなぜだか緊張した様子で身体を寄せてきた。こちらに覆い被さるようにして、すん、と首元で鼻を鳴らす。
あ。顔をしかめてる。やっぱり臭いのか。でも、ちょっと頬が赤いの何で?
「うーん。磯の香り?」
や、それは粗塩の匂いかと……。




