八卦衆の矜持
勘違いされやすいが、〈西の長〉ヨハン・ティルマンは単純な人物だ。
上の人間なぞ陰謀の塊だと、多くの人は思う。それ自体が間違っているわけではないが、括りが大雑把に過ぎる。
大雑把。そう、ヨハン・ティルマンは極めて大雑把な人間だ。
彼の人生方針は己を幸福に、そして余った分を他者に……という善良な人物のそれだ。自分自身は創界法に対抗する術を持ちながら、後世のためにその対抗策を汎用にして確立させたい。その目的も行動も実に明快なものだ。
己は才に恵まれたのだから、後は他者に教えを授けるという学者肌ならぬ教師肌もそこから来ている。問題なのはヨハン・ティルマンが単体で勢力情勢を担う巨人であり、歩くだけで他を潰してしまうということなのだが……
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〈西の長〉は純粋に目の前の退魔師を賛美していた。
折れぬ心、確かな実力、窮地に陥った際に見せる爆発的な成長。どれをとっても素晴らしい。その目は八卦衆が1人、五ノ井を輝きの目で追っていた。
「八卦の〈震〉が示すは、前進・竜・雷鳴・始動・足。なるほど……まさに、その通りだ。素晴らしい」
ヨハンの見るところ、五ノ井・フランシスクスは見かけ通りの年齢だった。不老や見せかけだけの年齢ならすぐに看破できる。所詮は厚化粧だからだ。
五ノ井はまず、この塔を広げた。後付の空間干渉、それだけで感嘆に値するというのに、この若者は……
五ノ井が姿を現す。だが、それも一瞬のことで、すぐにヨハンの視界から光とともに消え失せる。そして衝撃。ヨハンは壁に叩きつけられた。ヨハンが身にまとうあらゆる加護を突破するには至らないが、確かに五ノ井は〈西の長〉へと攻撃を命中させた。
それは単純に速度だ。五ノ井は得意の速さをもってして、超越者へと牙を剥いている。
「ああ――素晴らしい」
それ以外に言葉は出ない。必死であろう五ノ井から返事も無い。
構わない、ヨハンの心は今至福で満たされている。衝撃に再び吹き飛ばされながら、されど無傷のままヨハンは幸福の絶頂にあった。
なぜなら……ヨハンは防御に関して言えば手を抜いてなどいない。事実、五ノ井の攻撃は傷を与えるまでは行かない。だが、吹き飛ばされているのは紛れもない事実。
これを素晴らしい以外になんと評せばいい? あの若者――五ノ井・フランシスクスは速度という一点において間違いなく〈西の長〉を超越した。つまり、今世界に幾らか存在する超人達の誰もがこの速度においつけないことを示している。
勿論、それを捻出するために五ノ井はあらゆるものを質に入れている。一瞬の輝きに過ぎない。だが、それが何だというのだ。
己の行為が認められる。それをこの時味わえることをヨハンは世界に、神に、感謝している。
西洋人でありながら八卦衆に名を連ね、西洋の精神性を受け継ぎつつ、和の忠義を持つ。五ノ井……彼こそ〈連合〉の象徴。次代を紡ぐ1人だと認めるのに否応は無い。ユニオンという組織を作ったことには確かな意味があったのだと、世界が言っているようだった。
「ゆえに決して手は抜かん。頼む、死んでくれるな」
この時ばかりは目的すら忘れて、〈西の長〉は杖を静かに前方にかざした。これほどの輝きを前に、手心を加えるなどという無粋はしない。我らとて“粋”は理解しているぞ。
五ノ井の戦法はシンプルを組み合わせたものだ。まず身体強化によって駆け出し、次に電術によって更に加速、そして短距離転移を行って逆側から蹴り込む。必ずしも転移を行うとは限らず、攻撃がどちらから来るかの二択を迫る。また、速度も系統の違う術を組み合わすことで緩急の代わりとしている。
シンプルと複雑を両立させる戦法。全くもって素晴らしい。
ヨハンが静かに杖を地面に立てた。
その瞬間。
それをこそ待っていた! どんな強者であれ、目の前の羽虫を潰す時、一瞬集中するのだ。
五ノ井の軌道が変わる。狙いは真正面。破れなかった敵の防備を完全に撃ち抜いて見せる!
その意思と共に、ありとあらゆる種類の“力”を雷術へと変えた。受けるがいい、〈西の長〉。
五ノ井流――終の奥義
「〈雷龍変生〉!」
雷獣、顕現。五ノ井の技にあって唯一の広範囲高威力。そして最大速度。
己が変じた青光の龍が直線状に存在する全てを滅殺する。速度はそのまま雷速。すなわち光速の3分の1というデタラメを指向した方向へと放つ、まさに奥義。
〈西の長〉は超越者という名の怪物。そして若人の輝きを愛するゆえに術の発動を必ず容認する。そこまで読み切った心法さえ載せた必殺の一撃。
龍のあぎとが敵へと食らいつき、その牙を突き立てる。今や龍と化した五ノ井はそれを中から見ている。勝利の瞬間が訪れる……
『ならば、私も全力で応えよう』
音さえ置き去りにした世界で、あり得ない声を聞いた気がした。
瞬間、破裂する雷竜。獣化が解け、五ノ井の全身から血が吹き出す。それは術の反動だけではない、明らかに攻撃を受けたのだ。もはや余力は欠片もない。
「今、私が何をしたか分かるかね? イツノイ君。ヒントは既に与えてある」
「こ、降霊術……」
「素晴らしい。君は本当に素晴らしい。A+だ。私の教え子にもここまでの成績を出したものはいなかった」
信じられない。この怪物め。五ノ井の脳内に幾つも“あの”という言葉が浮かぶ。
あの瞬間に、あの速度を出した自分に、あの攻撃を成功させただと?
〈西の長〉ヨハンは三ツ首との戦いにおいて確かに降霊術が得意分野だと言っていた。だが、ふざけている。こいつはそんな甘い存在ではない……揺蕩う魂の支配者だ。
憑依対象の同意を得ていないだけで異常だというのに、使用する霊魂の同意も得ずに、雷速で駆ける五ノ井の体に飽和して弾ける量の魂を詰め込んだのだ。
存命中している人間の体は魂の入れ物としてはさほど大きくない。当然だ……その体は持ち主の魂のためにあるのだから。それを利用した回避不能、防御不能の術。勝てるはずもなかった。
「私の講義室はいつでも君を歓迎する。次代の守り手よ。君ならばさらなる領域へと到れるだろう」
「申し訳……せん。神子守……様……」
頭を掴まれる五ノ井。抵抗する意思すら保てず、必要な情報が吸い出されていく。
圧倒的存在の前に頭を垂れたまま、五ノ井の意識は暗転した。




