異界異物の輩
和服は久しぶりだな。現実逃避そのものな考えを双眸護兵は頭に載せた。そうでもしなければ、この緊張感によって内臓が裏返ってしまいそうだった。
そこは護兵が慣れ親しんだ曽良場ではない。京都だ。
そして旧来からの伝統派とも言える護兵が京都に来る用事は一つだけ。
「そう緊張なさることはありません。茶の作法など咎めはいたしませんから」
「は……」
“東の長”……日本古来からの退魔師を統括する神子守から呼び出されたからだ。
これが見た目通りの老婆なら心も和むというものだが、この老婆は現役である護兵を軽く捻り殺せるだけの力量を持っている。虎に密室で気楽にしろと言われた鹿の気分を護兵は味わっている。
「いやー、結構なお点前で」
「ほほ……」
そこいくところ、この女はどこまで肝が据わっているのか。それなり以上に親しい護兵でも戦慄する。
護兵の左隣には黒髪の和服美女が、それこそ気楽に茶を楽しんでいる。
双眸護兵にとって大事な存在、狭霧華風という女性だった。
可愛そうなのは右隣の符木津博光もだ。彼は旧家の中で格が高い。それも多少行儀が悪くても評判倒れにならない家とは違い、ガチガチの伝統主義者の家系。博光自身が反発していることに、ここではおとなしく従っている他はない。
「博光君。足、痺れた?」
「おや、崩されて結構ですよ。私自身、堅苦しい茶はあまり好みません」
「いや……どうも」
海外に無理やり連れてこられたサラリーマンのようで、日頃調子が良いだけに何となく哀れな博光だった。
とはいえ、博光も緊張しているのはそれだけが理由ではないはずだ。
博光がここでおとなしく座っているように、人は生まれから逃げることができない。それが双眸流の当主たる護兵に符木津家当主の博光だけならば、上役からの嫌な仕事で済んだのだが……今回の呼び出しでは華風も同行することになっていた。明らかに異常事態だ。日常が崩れた音を護兵と博光は聞いた気がしたものだ。
「博光殿の足の痺れとかけて、世の悪党どももしびれを切らして来た様子。本題に入りましょう」
「確かに、世の中は騒がしい。一講師の耳にも政権がどうだの、と聞いてくる若者達もおります」
「真面目なことは良いんだけどねー」
護兵は勇気を出兵させて、華風はいつものように気楽に、言葉を発する。ただの説明でさえ神子守だけに話させると、知らぬ間に思考は誘導されて、意思が変わる。そうしたことが出来るからこそ、退魔師の頂点が一角。
「既に時候は年の瀬。慌ただしくなるのが世の習い。西欧の誕生祭頃から世の中が変革の時を迎えます。我が子たる貴方達も記憶の片隅に留めておくよう、護兵殿と博光殿にはお願いいたします」
「承りましたが……」
別に退魔師ならずとも、新聞の一つも読む者なら理解できるだろう。
警察関係者でありながら、全てを照らし焦がす白瀬雷人。汚泥から突き出された血塗れの刃……血盟が長、獅子吼竜也。二大過激派筆頭が世に出るのだ。
「連合としましては、この事態に臨んでは綱渡りのような均衡を保ちます。事後の世において我々が排斥されることはなく、むしろ重用されることでしょう……しかし、再編は避けれません」
「お話、いちいちごもっともと存じますが……」
退魔師の当主たる二人はともかくとして、才媛で金持ちではあるものの市井の人々である狭霧華風がどう絡んでくるのか。そこが読めない。読めないということは情報が足りないということだ。調べるか、教えてもらうしかない。
「ほほ……話が性急に過ぎましたね。ともあれ、後々のために我ら〈連合〉は一致団結しなければならぬと……そういうことなのです」
「速度を緩めてるようで、性急に性急を重ねてるねお婆さん?」
「ほほ……ほ」
怖い。負けるとしても、例え大妖怪を相手取ろうと怖気づくこと無い双眸護兵に冷や汗が流れる。
ああ……我が恋人よ。触れれば壊れてしまう身で、どうしてそうも強くあれるのか? どこまで親しくなろうとも、その距離だけは縮まらない。
神子守……この老婆が退魔師勢力の一角たる〈連合〉の中で、最高幹部の席を持つのは年功序列でも血筋でもなく……恐るべきことに実力あるのみ。
神子守が気分を害すれば、美しいその顔は無惨に胴体と別れを告げるだろう。だというのに平然と駆け引きを続けていく。賭けテーブルの上に自分の命を平然と出している。
「そういうことを言うってことは、連合内部で軋轢があるってこと。そして、この建物とお婆さんを見る限り……洋の東西の対立ってところかな」
「おや、まぁ賢いお嬢さんねぇ」
神子守の笑みが深まる。
いまや狭霧華風は地雷原の上でタップダンスを踊っているに等しい。
神子守が見た目通りに優しくする対象は、東洋の退魔師……つまりは身内に限定される。その枠内においてはまさしく母であり祖母である。一方でその枠から外れた者を老婆がどう見ているか……考えたくもない。そして狭霧華風は退魔師ではない。ゆえ、神子守の身内たる資格が無い。
「そして、皆の話を聞く限りでは私の体質は随分と異常らしい。それと事態に時節を加えれば……〈連合〉内部で〈西洋派〉が私の異常を使って何がしかの企みをしているというところかな?」
とうとう踏んだ。もはや護兵にも博光にも止められない。
内情を知った部外者は害虫と認識されて、排除される。相手が最強人類の一角ではどうすることもできない。
「さて……じゃあ疑問なんだけど、私が死んだら世界はどうなるのかな?」
間違いなく、神子守はこの黒髪の美女を処分しようとした。
そして信じ難いことに、狭霧華風はそれを口先だけで止めてみせた。
「私は神秘を見れない。とても見たいんだけどね。大学生の頃には魔力が一切無いとか、気すら感じないとか言われたよ。専門家である友人達はそれをこう推測していた……“狭霧華風はなぜかこの世に紛れ込んだ異物。本来いるはずのない存在だ。” ……さてさて、そこでお婆さんに質問があります。私、狭霧華風が世界に与える影響は生きている間と死後のどちらが大きいでしょうか?」
「……ほ、ほほ! 食えない娘さんだこと!」
「ありゃ、答えは貰えないのかー。あわよくば知ってないかな? とも本気で考えていたんだけど」
神子守が平常に戻る。決着はついたらしい。
親しき人の危機に何もできなかった護兵と博光は恥じ入るばかりだ。あの一瞬で神子守は束縛の呪を、若き退魔師達に施していた。それが解除された。
狭霧華風はどこまでも飄々と、自分の命を自分で守った。
それが出来る人間がこの時代にどれほどいるだろうか……今度こそ和やかになって茶会は続く。




