均一な花壇のすみっこで
放課後の教室に差し込む夕日は、埃の一粒すら計算されたように静かで、整いすぎていた。
窓際で輪になっている女子生徒たちの笑い声は、誰ひとり耳障りな高音を出さず、まるで作られた動画のBGMのように心地よいリズムを保っている。
日向は、自分の机の端を指先でカリカリと引っ掻きながら、その輪を視界の隅に捉えていた。
そこにいる四人は全員、街角の公認生体受取端末――『クレイドル』出身の生徒たちだった。
全員が同じような卵型の滑らかな輪郭を持ち、すっきりと通った小さな鼻梁と、左右対称の二重まぶたを備えている。肌は陶器のように白く、毛穴や色ムラなど一つも見当たらない。まるで、かつて流行した生成AIの画像から抜け出してきたかのような、極めて「破綻のない美しさ」だった。
日向は手元の小さな手鏡を覗き込んだ。
鏡の中に映る自分は、どうしようもなく歪で、雑だった。
丸くて少し低い鼻。重ための奥二重。前髪の生え際にあるうねるような強いクセ毛。そして、小鼻の脇に赤くポツリとできてしまった思春期のニキビ。
ファンデーションで隠そうとしても、そこだけ皮膚が不自然に浮いてしまう。
(なんで……)
指先でニキビを潰しそうになり、痛みに顔をしかめる。
学校の八割以上がクレイドル製の子どもたちだ。彼女たちは風邪もほとんど引かず、虫歯にもならず、花粉症の季節に鼻を赤く腫らすこともない。
体育のマラソンを走れば、日向だけが喉をゼイゼイと鳴らして真っ赤な顔で倒れ込み、彼女たちは涼しい顔で規定タイムを走り抜ける。
どうして、私はあっち側じゃなかったんだろう。
日向の胸の奥を焼くのは、純粋で、やり場のない劣等感だった。
母は「自分のお腹を痛めて産んだ」ことを誇らしげに語るけれど、そんなロマンは日向にとって何の役にも立たなかった。
痛みに耐えたのはお母さんであって、私じゃない。
その結果として、このパッとしない顔と、思い通りにならない不完全な身体を押し付けられ、完璧な規格品たちの真ん中で恥をかき続けているのは、私なのだ。
最初から自販機で迎えてくれていればよかったのに。
数万円、あるいは数十万円のオプションをケチらずに、ちゃんとした綺麗なパーツを選んでくれていれば、こんな惨めな思いをしなくて済んだのに――。
「日向ちゃん、まだ残ってたんだ」
ふいに、柔らかい声が頭上から降ってきた。
顔を上げると、輪の中心にいたはずの朱里が、日向の机の前に立っていた。
朱里は、クレイドル製の少女だった。
標準マッチング胚から生まれた彼女は、飛び抜けたギフテッドではないものの、誰からも好かれる端正な容姿と、平均を少し上回る優秀さを保ち続けている、まさに「絵に描いたようなクレイドルの成功例」だった。
「あ……うん。数学のプリントが、ちょっと終わらなくて」
日向は慌てて手鏡を伏せ、机の上に広げたノートを腕で隠した。
「そっか。大変だよね、今日のは応用問題だったし」
朱里はそう言うと、隣の空いている椅子を引き、日向の向かい側に腰を下ろした。
至近距離で見る朱里の肌は、信じられないほど滑らかだった。ファンデーションを塗っている気配すらないのに、陶器のように光を均一に跳ね返している。
「朱里ちゃんは、もう終わったの?」
「うん。放課後になってすぐ、十分くらいで解いちゃった」
「いいなあ……朱里ちゃんは頭もいいし、可愛いし、何でもできて」
自嘲気味に笑いながら、日向は本音を漏らした。
「私なんて、いくら解いても公式が頭に入ってこないし、顔だってこんなだし。朱里ちゃんたちみたいに、クレイドルで生まれてきたかったよ。そしたら、もっと楽に生きられたのに」
それは、日向がずっと胸の中に溜め込んでいた、嘘偽りのない憧れだった。
しかし、朱里は笑わなかった。
それどころか、その完璧な対称性を持つ瞳をわずかに細め、静かに首を横に振った。
「楽、なのかな。……私はね、日向ちゃんがずっと羨ましいよ」
「え……?」
日向は目を丸くした。
「私が? 冗談でしょ。どこが羨ましいの?」
「全部だよ」
朱里は淡々とした口調で言った。怒りも哀しみもなく、まるで気象情報を読み上げるような平坦な声だった。
「私たちの顔、よく見てみてよ。クラスの女子の八割、並べてみたらほとんど区別がつかないよ。AIが算出した『万人受けする平均値』を貼り付けられただけ。街を歩けば、同じ輪郭、同じ鼻の高さ、同じ二重幅の子が何十人も歩いてる」
朱里は自分の滑らかな頬に指を当てた。
「成績だってそう。みんな七十点から八十五点の間に収まるようにできてる。赤点は取らないけど、歴史に名を残すような天才もいない。極端な感情の波も出ないように調整されてるから、大声で怒ることも、狂うほど何かに夢中になることもできないの。エラーを起こさないように、最初から『一番安全なプログラム』で平らに慣らされてるだけなんだよ」
日向は呆気にとられて、朱里の顔を見つめた。
そんな風に考えたこともなかった。完璧であることは、彼女たちにとっては「均一な檻」の中に閉じ込められていることと同じだったというのか。
「だから……日向ちゃんを見てると、すごく惹かれるの」
朱里の瞳の奥に、ふっと奇妙な光が宿った。
「日向ちゃんの顔って、誰とも似てないでしょう? その少し丸い鼻も、笑ったときに左右で形が変わる目も。それに、今あるそのニキビも……」
「あ、これ……見ないで、恥ずかしいから」
日向が咄嗟に手で頬を隠そうとすると、朱里がそっとその手首を掴んだ。
強くはない。けれど、振り払えない力だった。
「恥ずかしくないよ。すごく綺麗」
朱里の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
「ねえ、触ってもいい?」
「えっ……」
拒絶する間もなく、朱里の冷たく細い指先が、日向の頬のニキビの縁にそっと触れた。
「……あ」
朱里が微かに息を呑んだ。その指先が、わずかに震えている。
「熱い……。少しざらざらしてて、皮膚の下で血が拍動してるのがわかる。ねえ、痛い?」
「ちょ、ちょっと痛いけど……」
「そうなんだ。痛いんだ……」
朱里の瞳孔が、わずかに開いていた。
彼女の指先はニキビから離れず、慈しむように、けれど昆虫の標本を観察するピンセットのように、執拗にその凹凸を撫で回した。
「すごいね。生きてるんだね。細胞が自分の意思で暴れて、熱を持って、痛みを主張してる。……私たちの身体、時々熱を出すことはあっても、こういう肌荒れとか全然できないんだよね。ニキビなんて一度もできたことないの」
朱里の顔が、さらに近づく。
二人の鼻先が触れ合いそうなほどの距離。朱里の吐息が日向の唇にかかる。
「羨ましいな、日向ちゃん。その不揃いな前歯も、湿気でうねる髪の毛も、全部『自然の子』の証拠じゃない」
朱里の手が、日向の頬を包み込んだ。
ひやりとした皮膚の感触。体温が、日向の肌から朱里の手のひらへと急速に吸い取られていくような感覚がした。
「……朱里ちゃん?」
日向の背筋に、冷たい汗がツーと流れ落ちた。
これは、友情の言葉なのだろうか。
コンプレックスを分かち合えた安心感など、どこにもなかった。
朱里が見つめているのは「日向」という人間ではない。
無機質な世界に迷い込んだ子どもが、珍しい生きたトカゲを拾い上げて、その湿り気と体温に恍惚としている――そんな、無邪気で底知れない狂気が、朱里の完璧な造形の奥から溢れ出していた。
「ねえ、これからもずっと、私のお手本でいてね」
朱里は花がほころぶように、完璧な対称性の笑顔を浮かべた。
歯並びの乱れは一つもない。完璧な美少女の笑顔。
けれど、その目は一切笑っていなかった。
「私、日向ちゃんのことをずっと観察していたいな。怒ったときの顔とか、泣いたときの顔とか、全部近くで見せてほしいの。……私たちの世代には、もう手に入らない『骨董品』なんだから」
骨董品。
その単語が、日向の耳の奥に冷たく突き刺さった。
「さ、帰ろっか。一緒に駅まで行こう?」
朱里は何事もなかったかのように立ち上がり、日向の鞄を手に取って手渡してきた。その動作はあまりに自然で、あまりに洗練されていた。
教室を出て、二人で並んで廊下を歩く。
窓ガラスには、下校する二人の姿が映っていた。
絵の具を狂いなく塗り重ねて作られた、完璧な西洋人形のような朱里。
そしてその隣で、縮こまり、脂の浮いた肌で怯えるように歩く、不完全な生身の日向。
「日向ちゃん、手、繋いでもいい?」
朱里が首を傾げて微笑む。
「……う、うん」
差し出された朱里の手を握る。
すべすべとして、冷たくて、乾いた手。
朱里は満足そうに微笑むと、日向の指の節くれを、慈しむように親指で何度も、何度もなぞった。
夕暮れの街角。
交差点の向こうでは、今日も『クレイドル』の青白い光が、無機質に、美しく明滅している。
みんなと同じになりたかった。
自販機から生まれて、綺麗な顔と丈夫な身体で、誰にも笑われずに生きたかった。
けれど今、日向の隣にいる少女は、日向の「醜い生身」を愛おしそうに撫で回している。珍しいペットを愛でるような、決して対等には交わらない、冷酷な熱情を瞳に宿して。
繋いだ手から伝わってくるのは、温もりではなかった。
逃げ場のない檻の冷たさだけが、夕闇のなかで、じわりと二人の少女を侵食していた。




