↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/15

ロット番号の告発

 地方裁判所・第一〇一号法廷。

 防弾ガラスで厳重に区切られた被告人席の内側には、鉛色の空気が淀んでいた。


 傍聴席は超満員だった。最前列には大手新聞社やテレビ局の司法記者が陣取り、その後ろには配信プラットフォームのジャーナリストや、被害者支援団体の関係者が肩を寄せ合っている。全員の刺すような視線が、中央に座る小柄な少年の後頭部へと集中していた。


 被告人、倉橋樹(くらはし・いつき)。十七歳。

 深い紺色のジャージを着たその背中は、あまりに華奢で、どこにでもいる高校生のように見えた。

 しかし、彼が問われている罪名は、三件の殺人未遂、および傷害致死。


 初夏の夕暮れ、下校時間帯の繁華街。樹は大型のサバイバルナイフを手に通行人を無差別に襲撃し、四名を負傷させ、制止に入った警備員の男性一名の命を奪った。

 動機は「人を刺してみたかった」。

 何の怨恨もない他者を刃で切り裂いたこの事件は、世間に大きな衝撃を与えた。

 だが、この事件がこれほどまでに過熱し、連日トップニュースで議論され続けている理由は、犯行の残虐さだけではなかった。


 樹が、街角の公認生体受取端末――『クレイドル』によって生み出された「第二世代製造個体」だったからだ。


「……弁護人、冒頭陳述を」


 裁判長の冷徹な声が、法廷の静寂を破った。

 国選弁護人を務める神崎(かんざき)は、デスクの上に広げられた膨大な記録ファイルから顔を上げた。五十代半ば、白髪の混じる短髪に、深い皺の刻まれた顔郭。神崎はゆっくりと立ち上がり、傍聴席と検察席を見据えた。


「弁護側は、本件犯行の事実関係そのものについては争いません。しかしながら、被告人・倉橋樹の犯行当時の責任能力、ならびに情状酌量の余地については、徹底的な審理を求めます」


 法廷内がざわめいた。

 検察官――生殖医療犯罪および先端生命倫理取締部から派遣された若きエリート検事、三雲が冷笑を浮かべて立ち上がる。


「異議があります。精神鑑定の結果、被告人の知能指数は正常値であり、幻覚や妄想などの精神医学的障害は一切認められていません。犯行の計画性、凶器の選定、逃走経路の確保など、すべてにおいて明確な意思決定能力が証明されています。『責任能力の欠如』などという形式的な主張は、被害者および遺族の感情を逆撫でするだけです」


「三雲検事」

 神崎は動じることなく、低い声で返した。

「私が問題にしているのは、古典的な精神医学の範疇ではありません。この国が十数年前に国策として導入した『生命製造システム』そのものの欠陥、そして、この少年を『人間』として扱わなかった周囲の環境についてです」


 神崎は机の上のタブレット端末をタップし、大型スクリーンに一つの公文書を投影した。


【個体識別コード:JP-2028-C-09117】

【製造受取日:西暦20xx年4月14日】

【発注者(両親):倉橋 隆、倉橋 志保】

【基本構成:両親DNAブレンディング(50:50)】

【付与パラメータ:情緒安定性(A)、反社会的衝動抑制(S)、規範意識最適化(A+)】


 傍聴席から、さざ波のような囁き声が漏れた。

 画面に映し出されたのは、樹が誕生した日に発行された仕様書だった。


「見ての通りです」

 神崎は法廷の中央へ進み出た。

「被告人は、反社会的衝動を極限まで抑え込み、規範意識を『A+』にセットされて生まれた『特注品』でした。メーカーである帝都先端バイオロジクス社と厚生労働省は、当時このロットの安定性を声高に喧伝していました。『本端末から生まれた子どもは、遺伝的欠陥を排除されており、犯罪率は自然出産児の数分の一である』と」


 事実、統計はその通りだった。

 警察庁のデータによれば、自然妊娠・自然分娩で生まれた「未認証個体」の少年犯罪発生率は、クレイドル製造児の約八倍に上る。衝動性、発達障害のリスク、遺伝的な素因――それらを人為的にコントロールできる自販機製の子どもたちは、社会的に「安全で予測可能な優良市民」として評価されていた。


「しかし、現実はどうでしたか」

 神崎の声が、わずかに熱を帯びる。

「この少年は事件を起こした。それに対し、社会は何と言いましたか? 『自販機のプログラムにバグがあった』『ロット番号C-09117のリコールを求めるべきだ』『メーカーの製造物責任法違反だ』。ネットの世論も、ワイドショーの有識者も、口を揃えて『機械の故障』としてこの事件を消費しようとしている!」


 神崎は検察席、そして傍聴席の最前列に座る二人の男女――樹の両親へと視線を向けた。

 高級な服に身を包んだ両親は、神崎の視線を避けるように、深く顔を伏せていた。


「被告人の両親は、警察の取り調べに対し、こう供述しています。『私たちは高いお金を払って、犯罪衝動のない穏やかな子を注文した。仕様書通りに育ててきたのに、こんな事件を起こすなんて詐欺だ。育て方の問題ではなく、メーカーの初期不良だ』と」


 傍聴席から、微かな息を呑む音が聞こえた。

 被告人席でうつむく樹の細い肩が、ピクリと震えた。


「検察官、そして裁判長」

 神崎は声を張り上げた。

「この法廷で裁かれているのは、不良品の機械ですか? それとも、一人の生身の人間ですか!?」


「弁護人、論告が感情に流れています」

 裁判長が注意を促したが、法廷内の緊張感はもはや抑えようのないものになっていた。


 三雲検事が冷ややかな足取りで証言台の前に進み出る。

「弁護人の感傷的な弁論には驚かされます。親の養育態度に問題があったとしても、最終的に刃物を握り、無辜の市民を襲ったのは被告人自身の自由意志です。自然妊娠であれ、クレイドル製であれ、十四歳を超えた個体には等しく自己決定の責任が伴う。それを『クレイドルの犠牲者』などと美化することは許されません」


「自由意志、ですか」

 神崎は自嘲気味に微笑んだ。

「三雲検事、あなたは樹君が犯行に至るまでの十七年間、どのような言葉をかけられて生きてきたかをご存知ですか」


 神崎は手元の資料をめくり、淡々と読み上げ始めた。


「三歳の時、ブロックをうまく積み上げられず泣いた彼に、母親は言いました。『情緒安定Aのはずなのに、おかしい』」

「七歳の時、小学校の徒競走で転んで最下位になった彼に、父親は言いました。『運動機能パラメータには課金しなかったから、仕方がない』」

「十二歳の時、中学校の定期試験で平均点を下回った時、両親はメーカーのカスタマーサポートに電話をかけました。『購入時の約束と違う。脳の再スキャンを受けさせろ』と」


 法廷の空気が、じわりと重くなっていく。

 樹の両親の席から、母親の低く押し殺したすすり泣きが聞こえた。それが反省の涙なのか、世間に恥を晒されたことへの悔し涙なのかは、誰にも分からなかった。


「彼が何かを達成すれば、『さすが最高峰の遺伝子だ』と称賛され、彼が何かに失敗すれば、『仕様書のバグだ』と切り捨てられた」

 神崎は樹の背中を見つめながら、一歩一歩と言葉を紡いだ。

「彼がどれだけ泣いても、どれだけ苦しんでも、誰も彼自身の痛みを見ようとはしなかった。そこにいたのは人間ではなく、両親の満足を満たすために街角で買われた、カタログ通りの製品だったのです」


「……だからといって」

 三雲検事が眉をひそめる。

「それが、人を刺していい理由にはならない」


「ええ、なりません」

 神崎は即座に認めた。

「決して許されることではない。命を奪われた被害者の無念は、どれほど言葉を尽くしても償えません。しかし、彼がなぜ刃物を持ったのか。その動機を『プログラムの欠陥』として片付け、メーカーの責任やロットの欠陥論に矮小化することは、この社会が犯しているもっと大きな罪から目を逸らすことだ!」


 神崎は証言台の正面に立ち、マイクを握り直した。

「自然分娩で生まれた子どもが罪を犯したとき、私たちは『親の愛情』や『社会の孤立』を議論します。決して『人間のバグ』などとは言わない。なぜなら、彼らを最初から『人間』として見ているからです。

 しかし、クレイドルから生まれた子どもが躓いた瞬間、社会は一斉に『不良品』『回収対象』と騒ぎ立てる。自然妊娠の子どもよりも遥かに犯罪率が低いにもかかわらず、たった一つの事件で『機械生まれの怪物』として排斥しようとする! それは、彼らを最初から人間として認めていない証拠ではないのか!」


 法廷内が静まり返った。

 誰もが、自分たちの心の奥底にある「無意識の差別」を突きつけられ、言葉を失っていた。


「……被告人」

 裁判長が、静かに呼びかけた。

「証言台の前へ」


 樹はゆっくりと立ち上がった。

 刑務官に促され、証言台の中央に立つ。十七歳の少年は、前髪の隙間から、裁判官の顔をじっと見上げていた。

 その瞳には、反省の色も、怯えも、怒りすらもなかった。

 ただ、どこまでも冷たく澄んだ、底なしの虚無だけが湛えられていた。


「被告人、倉橋樹」

 裁判長が問う。

「弁護人の陳述を聞いていましたね。あなた自身は、なぜあのような事件を起こしたのか、今、どう考えていますか」


 樹は乾いた唇を小さく舐めた。

 マイクが、彼の浅い呼吸音を拾う。

 法廷内の全員が、固唾を呑んで少年の口元を注視した。


 樹は、傍聴席にいる両親の方を一度も見なかった。

 ただ、防弾ガラスに映る自分自身の姿を見つめるように、ぽつり、と口を開いた。


「……僕の首の後ろには、バーコードがあります」


 掠れた、けれどよく通る声だった。


「子どもの頃から、熱を出して病院に行くたびに、先生は僕の顔じゃなくて、首の後ろのコードをスキャナーで読み取っていました。画面に出る数字を見て、『ああ、このロットなら心配ないね』って言いました。

 父さんも、母さんも、学校の先生も、みんな僕を見ているようで、僕の向こう側にある『仕様書』を見ていました」


 樹の指先が、ジャージの襟元を無意識に引っ張った。


「友達と喧嘩しそうになって、ぐっと我慢した時、お母さんは『規範意識A+だから喧嘩もしないで偉いね』って言いました。僕がどれだけ悔しくて、どれだけ手を握りしめて耐えていたかなんて、どうでもよかったんです。『そういう風に作ってあるから』で、全部片付けられました」


 樹は小さく息を吸い込んだ。

 その声に、微かな震えが混じり始める。


「じゃあ、僕が悲しいのも、苦しいのも、全部プログラムなんですか?

 僕が夜、部屋で息ができなくなるくらい泣いていたのも、設計ミスなんですか?

 誰も……誰も一度も、僕自身を見てくれなかった。

 僕が誰かを殴ったら、僕が怒られるんじゃなくて、メーカーに苦情の電話が行くだけなんだ。

 僕には、自分の心なんて最初から無かったんだって、ずっと思っていました」


 樹は顔を上げ、初めて法廷全体を見回した。

 その瞳に、一瞬だけ、焼き付くような絶望の炎が灯った。


「人を刺したとき……あの人が叫んで、血が流れて、警察の人に地面に組み伏せられたとき。

 僕、生まれて初めて、怒鳴られたんです。『何やってるんだお前は!』って。

 警察官の人が、僕の首のコードじゃなくて、僕の目を真っ直ぐ見て、怒鳴ってくれたんです」


 法廷の空気が凍りついた。

 誰も息をすることすらできなかった。


「痛かったです。怖かったです。取り返しのつかないことをしたって、今なら分かります」

 樹の目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ち、証言台の木目を濡らした。

「でも……あの時だけ、僕は、ただの機械じゃなくて、一人の人間になれた気がしたんです」


 樹は両手で顔を覆った。


「教えてください。……僕は、不良品の機械なんですか?

 それとも、ちゃんと……罪を背負って生きなきゃいけない、人間なんですか……?」


 嗚咽が、静まり返った法廷に響き渡った。

 それは、十七年間誰にも届かなかった、魂の最初の産声だった。


 神崎弁護士は、深く目を閉じた。

 検察官の三雲もまた、手元の起訴状を見つめたまま、一言も反論の言葉を発することができなかった。

 傍聴席の最前列では、樹の母親が両手で口を覆い、声を押し殺して激しく泣き崩れていた。


 法廷の窓の外には、青空が広がっていた。

 そしてその街の片隅では、今日もまた、公認生体受取端末の青白いランプが、無機質に、完璧な温度を保ちながら光を放ち続けている。


 遺伝子のせいか。

 親の育て方か。

 それとも、命に値札をつけ、都合の良い記号として消費し続けた社会全体の罪なのか。


 答えを出せる人間は、この法廷のどこにもいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。