第二巻――初期変数-3
広い階段教室で、理恵は教鞭を手に背後のスクリーンを指した。
「共同体生物艦艇の最大の特徴は、超光速火力投射能力を欠いていることです。最近、前線星域では共同体が超光速火力を投射したという報告が何度も出ていますが、調査と現地での再現・検証の結果、基本的には緊急時に生じた誤認と判断されています」
「現時点では、共同体生物艦艇が本当に超光速火力投射能力を保有しているかについて、実質的な証拠は依然としてありません。今後の戦闘では、その点だけ注意しておけばいいでしょう」
「現在の環境で我々にとって最大の脅威は、共同識別符号『巣傘』の生物航空母艦です。軸長は通常4.2〜4.8km、径方向の幅は11.7〜12.6km。正面投影面積が極端に大きく、巨大な傘のように見えるため、このコードネームがついています」
「特徴は、防護が脆弱なこと。重力シールドの偏向出力は軽型主力艦級にすぎず、艦体構造強度は中の上程度。高出力の中長距離投射火力も不足していて、艦載機に近接打撃任務を依存しています。艦隊戦への特化が非常に強いため、『巣傘』級生物航空母艦には通常、大量の『蜂』級生物護衛艦や『鵲』級生物巡航艦が随伴します」
「共同体の技術傾向と、生物艦艇を広範囲に使用するという特徴から、共同体との戦闘は、私たちが知る現代の宇宙戦とは大きく異なります」
「我々と共同体の戦闘には安全距離があります。この距離なら数回の火力投射を比較的安全に行えます。敵の攻撃が到達する前に味方の空域へ後退し、友軍が攻撃任務を引き継ぐ。後退した艦は短時間の整備後に再び前へ出て、今度は友軍と交代する。これを繰り返して途切れない打撃を形成する戦術を『梯状後退』と呼びます」
「梯状後退を運用する際は、戦場通信と艦隊組織度に高い要求がかかることを覚えておいてください」
「戦闘効率と任務規模が同程度である場合、共同体の生物艦艇群は、人類艦隊に対して圧倒的な数的優勢を持っています。敵艦群が絶対安全線を越えれば、近接戦闘で圧倒的な数を叩きつけ、艦艇の近距離防空体系を飽和させる。さらに敵艦群が最終迎撃線を越えて殺傷近界へ入ったなら、それは防空体系が突破されたことを意味します」
「殺傷近界では誘導式防空兵器の迎撃効率が極端に落ちます。主として RKV(Relativistic kill vehicle)を偏向する重力シールドも、この距離では十分に機能しません。共同体の生物ミサイルと生物艦載機には十分な修正余地が残される。防空体系を突破された艦艇は近接防御システムに頼るしかなく、共同体の明白な数的優勢を考えれば、敗北は予見できるでしょう」「単艦で考えるなら、この時点で最善なのは即時撤退し、態勢を立て直すことです。しかし、戦役という単位で考えれば、それは受け入れがたい。そんなことをすれば、準備の整っていない友軍艦艇が共同体の火力へさらされ、戦役全体が崩壊しかねない」
「だから時には、その場に釘付けになってでも敵を食い止め、主力の展開と迂回のための時間を稼がなければならない。そのとき、必ず犠牲が出ます。あなたかもしれない。私かもしれない。ここにいる全員かもしれない」
「私は、この場にいる皆さんが必ず任務を果たすと信じています。同時に、そんな日が永遠に来ないことを、心から願っています」
「少し話が逸れましたね......現在、絶対安全線は10光秒に設定されています。共同体生物艦艇が人類の戦闘様式へ特化するにつれ、この絶対安全線は徐々に外へ延びつつあります。我々の優勢は次第に削られ、『長い手で短い手を殴る』ような状態も、今後数年のうちに消えていくかもしれません」
「しっかり覚えておいてください。共同体生物艦艇と戦う最善の方法は、絶対安全線の外側から超光速の長距離火力で敵を撃破すること。必要がないかぎり、中近距離、ましてや近接戦闘へ入ってはいけません」
「それでは、各国が収録している共同体の各種艦艇について、多方向投影と復元モデルをお見せしましょう」
理恵が教鞭を軽く振ると、その背後に共同体艦艇の立体的な拡張モデルが現れた。共同体の生物艦艇は、虫族のリヴァイアサンのように牙をむき、醜悪な姿をしているわけではない。むしろ蜂の巣のように優雅で、至るところに工学の美しさが見える。
乳白、薔薇紅、暗金の三色を基調とした艦体。複雑な流線形構造。全体として軽く細く、そこには大量のトポロジカルな中空構造と巨大な生物放熱帆、そして数キロメートルにも達する力場触手が備えられていた。
「共同体生物艦艇は、人類艦艇とは異なります。人類艦艇は通常、敵と向き合う方向の被弾面積を減らすため、正面投影をできるだけ小さくする設計を採用します。だから一般的には円筒形や円錐形になる」
「それに対して共同体生物艦艇は形状が一定しません。球形、扁球形、半球形が一般的ですが、紡錘形や生体模倣形態も存在する。共同体艦艇の艦級を判断する際には、体積だけでなく、付属する力場触手の大きさと本数も総合的に評価する必要があります」
理恵は大講堂の壇上に立ち、私たちへ共同体生物艦艇の弱点を説明していた。
これは上級指揮要員と艦載知性を対象に開かれた共同体基礎講座で、受講は任意で、通常は毎日1500〜1730に行われ、最新の戦闘経験と情報を共有する。共同体基礎のほか、連合作戦、星間安全保障体系、戦略と政策の三科目もある。
受講そのものは強制されない。だが毎月行われる戦略意思決定シミュレーションには合格しなければならないため、授業をさぼる者は少ない。この時代、終身学習はすでに主流となっている。伊蔚は、まさか遠港艦隊に来てまで毎日授業を受けることになるとは思わなかったが、命にかかわる内容なのだから、そこまで抵抗する気にもならなかった。もっとも、伊蔚の隣にいる連中はそう思っていないようだった。「んぅ~、あいぇ~」ヴィルリアは伊蔚の左隣の机に突っ伏し、寝言のような声を漏らしていた。寝相はあまりにも大雑把で、両脚は遠慮なく開き、頭は交差した腕の上。口の端からはよだれが流れ続け、机の上には手のひらほどの水たまりができている。袖がヴィルリアのよだれに触れないよう、伊蔚は尻を少し右へずらした。伊蔚の右隣に座っているのはリノ・サクストン。彼女も以前は極限支隊の巡洋艦分隊旗艦だったが、前回の戦闘で竜骨と主構造を大きく損傷し、修復後の構造強度が低下した。そのため、以前のような大きな変化率を伴う機動が難しくなり、遠港戦略補給艦隊へ転属している。
伊蔚が現れたのは、その代わりになるためだった。伊蔚には、リノが自分をどう見ているのかよくわからない。ただ、あまり愉快ではないだろうとは思う。伊蔚が来たとき、リノはすでに外で待っていた。
「んぅ~、あいぇ~」
天紀に声をかけられて伊蔚が席へ着くと、リノはほかの者の後ろから入ってきた。だが天紀が明るく声をかけたため、結局は伊蔚と同じ席についた。ただし、理恵の講義にはあまり興味がないらしい。今は携帯ゲーム機のスティックをギシギシと鳴らしながら操作している。おそらくゲーム内で苦戦しているのだろう。
「そういえば力場触手についてだけど、どうして共同体生物艦艇では、力場触手の大きさと本数が艦級を判断する重要な基準になるのか、誰か答えられる?」
理恵が言い終わるより先に、教室のあちこちで大勢が手を挙げた。その中には、ヴィルリアの隣に座っていた天紀もいる。
「みんな、ずいぶん積極的ね。うーん......今回は天紀に答えてもらいましょう」
「はい」天紀はすぐさま椅子から立ち上がった。その動きでもヴィルリアは目を覚まさず、ただ口元のよだれをすすり戻しただけだった。
「力場触手は共同体生物艦艇における重要な超光速駆動ユニットです。その一部には高い濃度の奇異物質が含まれています。奇異物質を機能させるためには、準安定状態から活性状態へ励起する必要があり、その過程で莫大なエネルギーを消費すると同時に、大量の廃熱を発生させます。これは艦艇のエネルギー利用効率と放熱能力を間接的に示します。また別の角度から見れば、その生物艦艇の航行速度、シールドや兵器に使用可能な出力といった重要な情報も読み取れるため、共同体生物艦艇の艦級を判断する重要な基準になっています」
「いい答えね。とても詳しく、よくまとまっている。座っていいわ......」
理恵はそこまで言って、天紀の隣で完全に寝落ちしているヴィルリアへ目をやった。伊蔚には、理恵の眉がぴくりと二度跳ねたように見えた。
「次の問題。共同体生物艦艇が主に使用する材料は何でしょう? そして、その材料を広範囲に採用することで生じる利点と欠点は、人類の戦略・戦術にどのような影響を及ぼしているのでしょうか。この問題は、天紀の隣に座っているヴィルリアに答えてもらいましょう」
「......」
ヴィルリアは理恵の言葉が完全に耳に入っていないらしい。天紀が困ったようにヴィルリアの脚をつねると、彼女は寝ぼけた顔で目を開き、大きくあくびをした。
「ヴィ! ル! リ! ア! さっき私が聞いたのは何?」
理恵は鋭い声で問いただし、手にした教鞭を九十度まで折り曲げた。さすがにこの怠惰ぶりには耐えられなくなったらしい。ヴィルリアは怒鳴られて慌てて立ち上がったが、寝ていたせいで頬には赤い跡が残り、顎の線を伝ってよだれまで流れている。その姿に、大講堂の隅から小さな笑い声が漏れた。
「共同体生物艦艇の材料と、その材料を使うことによる影響です」
天紀が俯いたまま、小声で助け舟を出した。
「あっ! えーっと......共同体生物艦艇の材料と、その材料を使うことによる影響です」
「それで、答えは?」
「えーっと......共同体生物艦艇が使っている材料は......」
「何?」
寝起きで、しかも突然のことだったせいだろう。ヴィルリアは完全に頭が回っていないらしく、しばらく答えを思い出せずにいた。天紀もヴィルリアに痛い目を見せようとしているのか、それ以上は助けなかった。十数年間学生をやってきた伊蔚の経験からすると、ヴィルリアが答えられなければ、理恵は高確率で隣の自分に答えさせる。
このまま事態が自分へ飛び火するのを避けるため、伊蔚は理恵が授業前にクラウドへアップロードしていた資料を呼び出し、ヴィルリアへ同期送信すると同時に、小声で答えを教えた。
「共同体生物艦艇は主に有機材料を使用しています。有機材料は通常、炭素、 水素、酸素、窒素を主要元素として構成されます。この四元素は宇宙空間に比較的豊富で、採掘も容易であり、大規模利用にも向いています。そのため共同体は、失われた生物艦艇を迅速に補充し、巨大な生物艦隊群を構築できます。
有機材料は、その基礎的な構成形式に由来する欠点を抱えているため、それで作られた材料は構造強度が比較的脆弱です。また、材料同士が反応しやすく、外部環境の影響や時間の経過によって性質が変化し、強度も低下しやすい。そのため共同体生物艦艇は、構造強度の脆弱さを補うため大型化する傾向があります。運用思想も消耗を前提としたものになりやすく、短い寿命の中で最大限に利用することを重視します。
もっとも、近年発見された共同体生物艦艇では、艦内材料に占める金属・無機材料の割合を増やす傾向も見られます。ただし、全体としては依然として従来の特性を保っています。この四種の主要元素は宇宙に豊富ですが、恒星系内での分布は均一ではなく、利用の難易度にも大きな差があります。それが共同体の進攻方針に大きな影響を与えています。
共同体がまず狙うのは、水と厚い大気を備え、生態系が複雑な居住可能惑星。次に、水素・アンモニア・メタンを主成分とする大気を持つ氷巨星。その次が、水素・ヘリウムを主成分とする大気を持つホット・ジュピター。そして最後が、水氷もなく、大気も薄く、生物量に乏しい地球型惑星です。
こうした特性から、共同体の戦略方針を予測し、ある程度誘導することが可能になります。共同体生物艦艇を対象とした特殊戦術も、こうして実戦投入されているわけです」
ヴィルリアは伊蔚の助言どおりに答えを述べ、理恵はそれを聞くと教鞭を下ろした。
「答えはかなり完全だけど、一つ聞きたいことがある。誰に助けてもらったの? システムのバックエンドを確認したら、あなたは授業前に指定した資料をまったくダウンロードしていなかった。まさか夢の中でクラウドに保存された内容を予知した、とでも言うつもり? 嘘はやめなさい、ヴィルリア」
「えっ......その......」
助かったと思ったばかりのヴィルリアは、また固まった。理恵の問い詰めに、しどろもどろになる。そして伊蔚も内心でため息をついた。これは完全にやらかした。
「私がヴィルリアに教えました」
天紀が自分から席を立って言った。伊蔚にはその行動が意外だった。ヴィルリアに売られる覚悟はすでにできていたのに、まさかこの場で天紀が身代わりになってくれるとは思わなかった。
理恵は天紀とヴィルリアを見比べてため息をつき、それから伊蔚をじろりと見た。その目は明らかにこう言っていた――『あなたが教えていたのはわかってる。今回は見逃してあげる』。
「あなたたち二人、あとで残って。ほら、座りなさい」
理恵は不機嫌そうに背を向けた。
ぱん、と水滴をまとい、冷気のような霧を浮かべた缶入りの炭焼きコーヒーが伊蔚の前に置かれた。
「はい。さっき助けてもらったお礼。これで貸し借りなしね」




