第二巻――初期変数-2
「二人とも、いつまでいちゃついてるの? 終わったなら、さっさと仕事に戻って」
ミネルヴァは首を押さえながら、呆れたように言った。
「あなたたちが言ったことは、だいたい理解した」
数十分にわたる会話の末、伊蔚は現在の状況をようやく理解した。今の自分は、意識構造のフランケンシュタイン――無数の意識の断片を継ぎ合わせて作られた怪物だ。この感覚を快いとは、とても言えない。伊蔚には、自分という存在をどのように認識すればいいのかすらわからなかった。
だが、もっと大きな問題がある。艦載知性である以上、伊蔚は人類のために三十年間勤務しなければ、本当の意味で自由にはなれない。人格テンプレートだけでも莫大な費用がかかっているからだ。そして現在の世界情勢も芳しくない。人類と外来生命の間には全面衝突が起きており、戦況は「危機的」と言うだけでは足りず、まさに崩壊寸前だ。
外憂だけではない。内憂もある。人類は星々へ進出してなお統一を果たせず、現在は泛亜合作、欧州連邦、三聯集団という三つの主要政治主体に分かれている。そのほかにも、承認された独立人類国家が数百存在し、互いの関係は「足を引っ張り合わなければ上出来」というありさまだ。
こんな虫けら同然の連中を抱えたまま、どうやって外来人の猛烈な攻勢を防げというんだ?
「私を殺して、別の誰かをこの仕事に就ければいい。どうせ私は一度死んでるんだ。もう一度死ぬくらい、どうってことない。だから、もうやらない」
ミネルヴァは困ったように伊蔚の手を引いた。
「この時代には......人類があなたを必要としてる」
「人類がどうなろうと、私に何の関係があるの?」
理恵とミネルヴァは顔を見合わせ、理恵が困ったように場を取りなした。
「じゃあ、どうすればやってくれる?」
「私は一度死んだんだよ。それなのに安らかに眠らせてもくれないの? ただ眠りたいだけ。誰かに迷惑をかけるつもりもない。それって、そんなに無茶な願いかな?」
「まず、過去のあなたはもう死んでいる。現実的な意味でも、法的な意味でも、今のあなたと、死んだあの人は完全に別人よ。それに、今ここで死ぬなんてもったいない。人生で、死ほど急いで決める必要のないものもないでしょう。この世界は、あなたが生きていた頃よりずっと豊かで、ずっと面白い。一度も試さずに終わらせるなんてもったいないわ」
理恵の言葉に、伊蔚の心はわずかに揺れた。
「世界って、そんなに都合よく素晴らしいものなの? しかも、ちょうど私に順番が回ってくる?」
「実践こそが真実を生む。まだ何も試していないのに、どうしてこの世界が素晴らしくないと決めつけられるの? ほら、手を取って」
理恵は再び伊蔚の前へ手を差し出した。その美しい顔は、光を受けてきらきらと輝いている。
迷いはあった。それでも伊蔚は、一歩前へ踏み出した。
「でも、もう一つだけ問題がある。私の記憶......」
「ええ。元のあなたが、自分自身の記憶を削除したの。私たちはその決断を尊重した。ごめんなさい。でも、もしあなたが望むなら......」
なるほど。復元する方法はある。だが、その瞬間、伊蔚には元の自分がなぜそんな選択をしたのか、理解できた。
「しっ。復元方法は教えないで。わかる? 昔、あるゲームを遊んだの。初めて遊んだとき、そのシナリオもプログラムもあまりに精巧で驚いた。でも、一度きりしか、何も知らない状態では遊べない。今、私の人生にはもう一度、同じ機会が与えられている。だから、それを壊さないで」
理恵はうなずき、「わかるよ」とでも言うような笑みを浮かべた。
「あなたの気持ちは、よくわかる」
「ありがとう」
「私は黎明級巡洋艦の艦載知性、ヴィルリア! あなたたちの監督に来たの! 私たち先輩は! あなたたちにとって最高の頼れるお姉さん! わからないことがあったら! 私たちに聞けばいいの! 親切丁寧に教えてあげる! それじゃ! 全員自己紹介! 艦級と名前を順番に言って! あなたから!」
ツインテールの白髪の馬鹿が、腰に手を当てて顎を上げ、尊大極まりない姿勢で伊蔚と一群の駆逐艦の前に立ち、まくしたてている。これが噂に聞く「元気系おバカ」なのだろう。初対面にして、伊蔚は遠港艦隊でのこれからの生活が心配になった。その軍装色の濃い服装からすると、どうやら欧州連邦所属の艦らしい。
伊蔚の右隣から二番目に立っていた少女が両足を揃え、胸を張って叫んだ。
「はい! 前衛級駆逐艦――」
「声が小さい! 全然聞こえない! やり直し! そんな声で軍艦が務まるの?」
中学生くらいの少女が、乏しい胸板を張りつめるようにして、顔を真っ赤にしながら大声で答えた。
「はいっ!! 前衛級駆逐艦! 羽衣・シーラ!」
「よし! 次!」
「はいっ!! 前衛級駆逐艦! 白薇・ミーア!」
その叫び声で伊蔚の右耳はじんじんと痺れた。そして次は伊蔚の番だ。しかし、伊蔚には叫ぶ気などさらさらない。自己紹介という儀式が、根っから嫌いなのだ。だから、場をぶち壊すことにした。
「よし! 元気があっていい! 次!」
「無尽級巡洋艦、伊蔚・エイダ」
ちなみに、この名前は伊蔚が理恵に頼み、予備ライブラリから選んでもらったものだ。名前には普通、願いや祝福が込められる。しかし伊蔚は、自分にはそのどちらもないと思っている。だから名前については他人に任せた。
名前の「伊蔚」は『詩経』小雅・蓼莪から採ったもの。エイダは西ゲルマン語派の女性名 Ada を意訳して造語したものだ。厳密に言えば、表記は伊蔚・Ada となる。
単独の「伊蔚」を姓として使わないのには政治的な理由がある。軍艦は個人や王、領主の私有物ではない。国家または政治主体の総合的な体現であり、その主権を示し、象徴する存在だ。だから軍艦は、動く領土とみなされている。
国家意思こそが強大な海軍を建設する前提なのだから、軍艦の名称には必然的に国家意思が刻まれる。伊蔚の開発には三大国が共同で関わっている。そのため、名前にも当然「混血」らしさが現れることになる。
ちなみに、伊蔚は国際連合所属の艦だ。星間時代の国際連合は、本当に自前の領土、国民、税収、議会を持ち、そして何より、暴力を独占する武装組織まで持っている。法律と権威をある程度の強制力で維持する存在であり、ただし通常、それは「執行部隊」と呼ばれている。
人類が星間へ進出していく時代、国際連合は徐々に相対的に独立した政治主体へ成長していった。依然として自らを国際組織と称してはいるものの、その影響力と強制力は他の国際組織をはるかに上回る。三大国の影響と支配を受けながら、逆に三大国へ影響を及ぼし、時にそれらをも統制している。
「聞こえない! やり直し! ここは遠港艦隊よ! 先輩が聞こえないと言ったら聞こえないの!」
「馬鹿に二度も同じことを言うつもりはない」
ヴィルリアは伊蔚の返答を聞くと、最初はきょとんとしていた。何が起きたのかわからず、完全に途方に暮れている。やがて意味を理解すると、怒りで顔を真っ赤にし、数歩前へ出て伊蔚の前に立った。
「今、なんて言ったの?」
「ほら、聞こえてるじゃない」
伊蔚も一歩も引かず前へ出て、ヴィルリアとほとんど身体が触れ合うほどの距離まで詰めた。伊蔚のほうが体格が大きいため、ヴィルリアはつま先立ちになっても半頭分ほど低い。その身長差のせいで、対峙しているだけでヴィルリアは明らかに不利だった。表情は次第に悲愴へ変わっていく。
伊蔚は馬鹿をいじめているような罪悪感を少し覚えた。
「ヴィ! ル! リ! ア! 新人をちゃんと迎えろって言ったでしょう! なんでこんなことになってるの!」
そのとき、黒髪の少女が勢いよく扉を押し開け、数歩でヴィルリアの前まで走り寄ると、その耳をつかんで伊蔚の前から引きずり出した。
「痛い痛い! 天紀! ごめんなさい!」
天紀は心底呆れたような口調で言った。
「痛い目に遭ってようやくわかった? 私はビュッフェで新人たちを席に案内しろって言ったの。勝手にアレンジしろなんて言ってない!」
天紀はヴィルリアの耳を放すと、再び伊蔚の前へ押し戻した。
「謝って!」
「うぅ......ごめんなさい」
ヴィルリアはしょんぼりと頭を下げた。
「それから?」
「勝手にアレンジするべきじゃなかった」
「もう二度とあなたを信用しないから。ほら、駆逐艦たちを席へ案内して!」
「うん......」
ヴィルリアは振り返り、駆逐艦たちを白い布の掛かった長机へ順番に座らせた。天紀はヴィルリアをじっと見つめ、今度こそ問題を起こさないと確認すると、ようやく大きく息を吐いた。
「ごめんなさい。ヴィルリアは悪い子じゃないの。ただ、思いついたら後先考えずに突っ走るというか、ちょっと頭のネジが一本外れてるの。建造国は欧州連邦で、あちらには新人をこうやって迎える伝統があるらしいから、気にしないで」
そう言って天紀は伊蔚へ申し訳なさそうな笑みを向けた。伊蔚から見た天紀の印象は、静かで控えめな先輩、といったところだった。
「ああ、気にしてない。それより助けてくれてありがとう」
「あなたが理恵の言ってた伊蔚・エイダね。自己紹介する。私は天紀。空の『天』、規律の『紀』。静陽級巡洋艦の艦載知性、建造国は泛亜合作。遠港第九長程戦略打撃艦隊・極限支隊の分隊旗艦。これからよろしく」
「よろしく、天紀。私は伊蔚・エイダ。無尽級巡洋艦の艦載知性。今日から遠港第九長程戦略打撃艦隊・極限支隊に加わる。これからよろしく」「うん。早く座って。ビュッフェが始まるよ」




