焼印の除去
トルバルはてっきり状況を見て除去を開始するのかと思っていた。しかしステンの行動はやたらと迅速で、翌日にはお手製の「毒入り軟膏」を作ってしまった。毒草はマヤが譲ってくれたものだった。
いざ首筋にそれを塗ろうという時、ステンは何かを思い出したように手を止め、トルバルの首の骨と骨の間を何かを確認するかのようにゴリゴリと触った。
「……首を落とす時は、この骨と骨の間に斧の刃を入れる。正確にやらないと刃が骨に直撃して殺せない。ひたすら痛いだけだ。首の骨は意外と頑丈にできてる。折ろうと思っても簡単には折れなかった」
どうやら処刑のことを思い出したらしい。話を逸らした方が良いのか、むしろ好きに喋らせた方が良いのか。トルバルは少し迷いつつ尋ねた。
「一撃で首を落とせなかったら、どうなる?」
「見物人からの投石を受け止めなきゃな。何度も振り下ろすほど失敗すれば、最悪こっちの首が無くなる。お前、公開処刑を見たことないのか?」
「故郷ではないな。兵舎では死体が吊り下げられてた」
一般的な公開処刑は一大イベントのように行われるが、兵舎からの脱走兵である場合、民衆の前で首が落とされることは極めて稀であり、大抵は他の兵士によく見える場所へ吊り下げられた。冬場であれば死体は凍り付き、夏になるまで何か月もそのままの形を保って放置されていた。時折カラスなどの鳥類が死肉を啄みに来ていた。
「お前、どれくらいそこにいたんだ」
「四年くらいか? 気づいたらそんなに経ってた」
「そんなに生き延びるのは稀だろう」
「そうだな。俺を品定めした闇商人は半年保てば良い方だと。ステンは何年処刑人を?」
「十二年くらいだ」
まるで当たり前のようにさらりとステンは言ってのけた。彼がそんなに長い間処刑や拷問を行なってきた人間だとは、トルバルはにわかに信じられなかった。いったい彼がどんな気持ちで、何を思って生きてきたのかは想像もつかない。追放者であるからにはそれなりの出来事があったのだろうが、氷上釣り以降、ステンが自ら己の過去について詳しく語ることはなかった。
「ここが頸動脈。正確に切れば確実に殺せることは知ってるな」
ステンは淡々と続けた。
「ああ、この前学んだ。もう馬鹿みたいに斧を振り回したりしないよ」
「切らずに強い力で圧迫すると、相手は数秒で大人しくなる」
「教官が俺に度々やってたやつ」
元気が有り余るトルバルは度々絞め落とされることがあった。ステンは少し笑ってから、真面目な顔でこう付け加えた。
「これまで色々教えたが、悪用はするな。自分や誰かの身を守る時にだけ使え」
「……俺ってそんなに戦闘狂に見えるか?」
「多少は」
ステンは即答すると、トルバルの首筋に毒軟膏を少しだけ塗った。しばらく放置するとわずかにヒリヒリとしてきた。
「これくらいなら問題ない。皮膚が弱い奴は少し塗っただけで派手に爛れる。真皮まで爛れさせるわけにいかない」
ステンは毒軟膏をしっかり塗り込んだ。
最初はただ少しヒリヒリするだけだった。それが二日目、三日目と塗り込んでいくうちに、じくじくとした痛みに変わっていき、皮膚が熱を持ち始めた。自分では確認できないが、ステンいわく小さな水膨れがいくつもできているようで、夜もうつ伏せでしか眠ることができなくなってしまった。
痛みが増し、水膨れが潰れていよいよ本格的に皮膚の表面が爛れ始めると、ステンは表面にノコギリソウを混ぜた軟膏を塗り、その後熱で溶かした松脂で患部を覆った。赤松から採取した松脂は、着火剤や小屋の修繕材料などといった役割の他に、傷口の抗菌や鎮静などの役割も持っていた。
「あっつ! 痛っ!」
爛れた傷口に熱い松脂を流し込まれ、トルバルは思わず拳を握りしめた。火傷しない程度に冷まされてはいたが、それでも熱いものは熱い。
松脂は冷たい空気に触れて凝固し、分厚い瘡蓋のようになった。さらにそれを固定するために、清潔な麻布を包帯代わりに巻いた。松脂と癒着しないよう布の表面にはアザラシの脂が薄く塗られている。
「まあこんなもんか。高熱が出ないことを祈ってくれ」
「これいつ剝がすんだ?」
「放っておけばそのうち剥がれる。無理に引き剝がすと肉ごと持っていかれるからいじるな。万一剥がれなければ脂をたっぷり塗って溶かす。それと、松脂は熱に弱い。あまり火に近づいたり体温が上がるような運動もやめろ。酒も駄目だ」
とにかく肌寒いのを我慢して大人しくしていろということらしい。トルバルは除去が済むまでの間、ステンの手記を読んで過ごすことにした。為になる情報ばかりであったが、その中にひとつ気になるものを見つけた。
処刑の記録の中に、乱雑に破り捨てられたページがあったのだ。貴重な羊皮紙をステンが雑に破り捨てたことに違和感を持たずにはいられなかった。
「なあ、ステン、この……」
「なんだ?」
「なんでもない」
トルバルは結局聞けなかった。
それから彼はロクの毛並みを整えてやったり無駄に斧を研いでみたり、服のほつれを直したりしていたが、やがてそれにも飽きてしまうと、魔獣や怪物の話を始めた。
「南の森にはトロールの他にロヴィルンって魔獣がいてな。そいつもなかなか厄介だったんだ。数は少ないけど執念深くて」
「ロヴィルン? 聞いたことあるような、ないような」
「身体は山猫、顔は熊、鼻は猪の化け物だよ。死ぬほど鼻が利くんだ。一度殺すと決めた人間を執念深く追ってくる。ちょっと描いてやるよ」
彼はその活発そうな見た目に似合わず、昔から空想したり絵を描いたりするのが好きだった。手近に木の板を見つけると、そこに真っ黒な炭でロヴィルンの絵を描き始めた。
「お前は絵も描けるのか」
ステンが感心したように覗く。
「……ロクの絵も描いてくれ」
あんまり真面目な顔で頼むので、トルバルは「しょうがないな」とロクの絵も描き、ステンにあげることになった。ステン自身も仕事柄絵は上手いが、自分が描いたものと他人に描いてもらったものとでは全く価値が異なるのだと眉間にしわを寄せながら言った。
それから数日の後、松脂で作った瘡蓋は布を変える際にぽろりと大きく剥がれた。残った分は脂を塗って溶かされた。
「どんな感じだ?」
「……軍の焼印だとは認識できない。でも痕は残った。あくまで所有物ではなくなったというだけで、追っ手がこれを見たら間違いなく怪しむだろう」
トルバルが尋ねると、ステンはふーっと息を吐きながら告げた。肉が壊死しなかったことに安心しているのだろう。
「まだ肉が赤い。薬を塗って保護しろ。痒いだろうが絶対に触るな」
以前ステンの言った通り、爛れの痕は残ったようだった。自分で確認できないのがもどかしいが、トルバルは彼の腕を信じることにした。
それから数日間は痒みとの闘いであったが、トルバルは根性で搔きむしりたい衝動を封印し、なんとか完治まで運ぶことに成功した。
彼は「また一歩自由に近づいた」という喜びと、「そんなことで喜んではいけない。常に戦場の仲間を想え」という戒めの狭間で常に揺れていたが、もう捨て駒としてかつての戦場へ戻ろうという気も、大罪人として大人しく処刑されようという気も遠ざかりつつあった。
ステンの様子がおかしくなり始めたのは、ちょうどその頃からだった。
実際このようなことをすれば皮膚が壊疽を起こしそうですが……
古代エジプトでは傷の治療に樹脂が使われていたようです。




