極夜の訪れ
日の出の時刻が遅くなり、太陽は地平線を這うようにしか動かなくなった。顔を出すのは数時間だけになり、やがて長い長い薄明の期間がやって来た。
一層雪深くなった西の森は、薄明に包まれて青白く光る。夕暮れと夜しか訪れない世界の中で、空には鮮やかな光の帯がうねり、動物たちは深い眠りについた。極夜の始まりである。
ふたりは雪に埋もれた墓穴のような小屋の中で、ステンが秋頃一心不乱に作った大量の薪を少しずつ燃やして暖を取り、魚を捕る網を繕ったり斧を研いだり、かんじきを修理したりしていた。
保存食はステンがある程度蓄えていたが、不足することを恐れて雪の降らない薄明の日には、森を抜けた先にある海岸まで狩りをしに出掛けた。
岸辺に上がってきたアザラシを狩るためにトルバルは弓を射ろうとしたが、強烈な海風に煽られて仕留めることができないばかりか、そもそも皮の分厚いアザラシを弓で仕留めるのは無謀なのだと教わった。代わりにトルバルが妙な動きで気を引いている隙にステンが忍び寄り、丸太で後頭部を強打して仕留めたのだった。
海岸の近くにはマヤの丸太小屋があり、どういうわけかその周辺にはほとんど雪が積もっていなかった。魔女というからには何かしらの力を持っているのかもしれない。ステンいわく、マヤの暖炉の火は薪をくべずとも燃え続けるのだという。
「やっと遊びに来てくれたのね」
マヤは腰の曲がった小さな身体をめいいっぱい起こして喜んだ。松の葉で作った茶を淹れ、夏場に積んだコケモモで作ったジャムをパンに塗って食べさせてくれた。小さな老人である彼女の生活がどうなっているのかは全くもって謎だった。ステンが時々様子を見に行っているらしいが、彼女はこんな辺境の地で体調ひとつ崩さず元気に暮らしている。
マヤの周りにはいつもワタリガラスやシロフクロウがおり、彼女は彼らと意思を通わせることができるようだった。
トルバルは先日のトロールのことをマヤに話してみた。マヤは彼の話を最後まで聞き、静かに頷いて「ついて来なさい。見せたいものがあるの」とふたりを外に連れ出した。話すまでもなく何もかも知っていたかのような口ぶりだった。
外に出ると満月が輝いていた。海の向こうには緑色のオーロラがゆらゆらと揺れている。夜も更けていたが、月明かりが雪に反射して驚くほど視界が利くためランプや松明も必要ない。
「あれを見てごらん。静かにね」
マヤは森の奥の小高い丘を指さして言った。木々が少し開けたそこには、月明かりに照らされたトロールが四体佇んでいた。丘の中心にはさらに地面が盛り上がっており、墓のように見えた。三人は巨木の陰に身を隠してその様子を見た。
「まさか、埋葬したのか……?」
トルバルは息をのんだ。四体の怪物はまるで仲間の死を悼むように墓の周りに佇んでいる。月明かりが差し込み、トロールたちを優しく照らした。トルバルはその悲しくも美しい光景から目が離せなくなってしまった。
「どうして」
同時に湧き上がってきたのは深い罪の意識だった。
「満月になるとああやって集まるのよ。獰猛で野蛮な怪物であることは確かなんだけど、こんな一面もあるみたい。大丈夫よ。もう怖がらないで」
マヤはトルバルを責めるわけでもなく、ただ静かに微笑んでそう言った。ステンは何も言わなかったが、いつも極端に空けていた距離を少し縮め、ずっとトルバルの隣にいた。
トロールたちが行ってしまうと、三人は墓まで行き、静かに祈りを捧げた。極夜の白い満月だけがそれを見ていた。
次の日、森は猛吹雪に襲われた。ふたりは外に出ることもできずに小屋の中を温め、狭いながらも一定の距離間を保って保存食をちまちまと食べていた。
「この辺見てもいいか?」
「好きにしろ」
暇を持て余したトルバルは、ステンに小屋の中を物色する許しを貰った。そして数冊の本のようなものを見つけ出した。
「しょけい、ごうもん、きろく」
「お前、字が読めたのか」
本の表紙を読み上げたトルバルに、ステンは少し驚いたようだった。
「得意じゃないけどな。親父が芸術家だったもんで。――読んでいい?」
「好きにしろ」
それはかつてステンが処刑人として働いていた時の拷問や処刑に関する手記だった。彼いわく、すべてここに来てから書き直したのだという。
いつどんな人間を処刑したかはもちろん、親指を器具に挟んで割る拷問や失血死の手前までじわじわと血を抜く拷問、関節を外す拷問に毒草を用いた拷問などといったものが、治し方と一緒に詳細に書き記されている。正確な図解もありわかりやすい。とはいえ、これらをすべてステンが試した訳ではなく、あくまで代々伝わるものであるらしい。
「この毒草を使った拷問、皮膚が爛れるのか。恐ろしいな」
「試してみるか」
急にステンがそんなことを真顔で言い出したので、トルバルは思わず手記を火の中へ投げ捨てそうになってしまった。
「……何をするって?」
恐る恐る尋ねると、ステンは無言でトルバルの背後にやって来て、首筋を摘まんだ。そこには脱走防止の焼印があり、焼かれた皮膚は変色し、少し盛り上がって引き攣れていた。
「考えてたんだ。これはうまくすれば消せるんじゃないかと」
ステンは相変わらず大真面目だった。
彼の考えはこうだ。希釈した毒草の汁を軟膏に配合し、それを毎日皮膚に塗る。数日かけて少しずつ爛れさせ、水膨れが破れたら患部を松脂で覆う。さらに数日後、松脂を除去し、傷に効く軟膏を塗って完了。
「うまくいくのかそれ?」
「わからん。火傷の治療はやったことがあるが、付けられてから時間が経った焼印は消したことがない。……言っておくが、綺麗には消えないし、薄めた毒だとしても皮膚が爛れる以上痛む」
「焼きゴテで焼いて上書きするよりはマシかもな。最悪それでいこうかと考えたこともあるけど」
「首筋には太い血管がある。下手に焼いたら死ぬだろう」
ステンは本気で試してみるつもりのようだった。それが親切心からなのか単なる好奇心からなのか、トルバルにはよくわからなかったが、自分の首筋に所有物の証である忌々しい焼印が残っているのは嫌だったので、話に乗ることにした。
「俺を闇商人に売ったのは幼馴染みだったんだ。そいつが結婚してから色々事情が変わって。脅されでもしたんだろうな。自分の家族と俺の命を天秤にかけて、当然俺の命の方が軽かった。それだけの話だ。だからつまり、その……」
トルバルは少しだけ自分の身の上をステンに打ち明けてみた。だがそれ以上何か喋ろうとすると、喉の奥が詰まるような圧迫感に襲われてしまい、何も話せなくなってしまった。
「無理に話すことはない」
ステンは静かにそう言って、元居た場所に戻っていった。




