洞窟
それからふたりと一羽は数日間歩き続けた。街道や村からは更に離れ、広大な迷宮のような森の中をひたすら歩き続けていた。この辺りからだいぶ気温が下がり、北の大地らしい冷涼さを感じはじめた。
森に実る野イチゴやスグリの実を食べ、小川の水を飲み、時にはヒキガエルや川底の巨大な真珠貝を捕って調理していたが、その量も徐々に減ってきていた。
自分に釣りの才能はないと悟ったトルバルは、ついに即席の木の槍で魚を突き刺して捕る方法を習得しつつあった。その一方でセルマは、木の実やツリガネタケを見つける天才だった。
「いいかセルマ。黒スグリの実を食べると、病気になりにくくなる」
「覚えた!」
「コケモモの実は極寒の地でも元気に育つ。だからコケモモをたくさん食べると寒さに強くなるらしい」
「覚えた!」
「カエルを食べる時はどうするか覚えてるか?」
「えーっとね、胃袋は裂かないのとね、よく火を通す!」
「怪我をした時の薬草は?」
「ノコギリソウ!」
トルバルはセルマに色々なことを教えた。自分もそこまで物知りなわけではなかったが、ステンの手記を参考にしつつ、知っていることはすべて教えてやるつもりだった。
セルマは時折疲れて突然歩くのをやめたりすることもあったが、彼女なりにいつも一生懸命であることは十分に伝わってきた。
追手はまだ追ってきているのだろうか。闇商人はセルマを諦めただろうか。追兵たちは、自分たちが川に飛び込んだことで死んだことにしてくれていないだろうか。トルバルはセルマに悟られぬように気をつけながら神経をそばだて、常に追手のことを考えていた。
「ねぇねぇ、まだ着かないかな?」
最近のセルマの口癖はもっぱらそれである。その度にトルバルは「もうすぐだ」と言って宥めてきた。
ある時、モルンが突然走り出したので、まさか追手かと辺りを警戒していると、遠くでゴロゴロと雷が鳴り始めた。雷は徐々に近づいてきて、やがてバケツをひっくり返したかのような大雨が降り始めた。トルバルはセルマが雨に濡れないよう、抱きかかえて自身のクロークの中に収めた。多少はみ出してしまうが仕方がない。
「まずいな。どこか雨宿りできそうな所を……」
「トルバル! あっちに洞窟が見えるよ」
セルマが洞窟を見つけた。苔生した岩場が隆起し、その下にぽっかりと黒い穴が開いている。モルンは怯えて近づきたがらなかったが、雨脚は強まるばかりである。入るしかない。
「化け物がいないか、俺が入って見て来る」
トルバルはセルマとモルンを洞窟の入り口に残し、ひとり中へ入った。
洞窟の中は少し湿っていて妙なにおいがした。
「おい! 誰かいるか! 入るからな!」
トルバルは叫んだ。すると意外なことに、人間の声が返ってきた。
「ここにひとりいる! 攻撃しないでくれ!」
まさか人の応答があるとは思わなかったトルバルは危うく構えた斧を取り落としそうになってしまった。
——こんな森の奥に、人が?
洞窟の奥から姿を現したのは、もさもさとした茶色い髭を蓄えた初老の男だった。
「まさか住んでるのか?」
トルバルが尋ねると、男はかぶりを振った。
「住んでるもんか。お前さんらと同じく雨宿りしとっただけだ。家が少し離れたところにあるもんでな」
聞くと、彼は森の奥にひとりで住んでいるらしい。彼は自らをバルブロと名乗った。
「ところで、お前さん方はこんな森の奥で何しとるんだ? ただの迷子には見えんな」
バルブロは警戒するように眉をひそめて言った。
「訳あって追われてる。俺はともかく、この子には何の罪もない」
トルバルは正直に話してしまおうか迷ったが、肝心なところはぼかしておくことにした。セルマとモルンはバルブロが少し怖いのか、トルバルの後ろに隠れている。
「訳ありの逃亡者と言ったところか。まあ、俺も似たようなものだ。詳細は教えてやらんがな」
雨は少しだけ弱まったが、まだ雷は鳴り続け、風も出てきた。バルブロは暗くなった空を見上げ、眉間にしわを寄せて唸った。
「ふむ。こりゃ嵐になるな。ここにいても埒が明かん。お前さん方、小降りになっているうちに俺の家に来い」
「いや、俺たちはここでいい。関わって迷惑かけたくない」
「何を言っとるか。この辺はトロールや羆もうろついとる。言ったろ。訳ありなのはこちらも同じ。それに、うちに来れば温かい肉のスープが食えるぞ」
肉のスープという言葉を耳にした瞬間、トルバルとセルマの腹が同時に鳴った。そんな贅沢なものはここしばらく食べていない。
「お肉……!」
セルマが期待の籠った眼差しでトルバルを見上げた。
「訳ありとはいえ、何故助ける?」
トルバルが問うと、バルブロは静かに笑いながらこう言った。
「俺もそうやって人に助けられて、今があるからさ」
彼の家は本人の言う通り、洞窟から少し離れたところに建てられていた。打ち捨てられた狩猟小屋を増築して造られた粗末な建物だったが、それでもステンの小屋よりはいくらか住居らしくはあった。
「セルマ、あくまで雨が止むまでだからな」
「わかってるもん」
玄関を開けると、薬草の強烈な匂いが鼻をついた。
部屋の中は簡素なもので、真ん中にテーブルがあり、その奥に暖炉、床にはいかにも古そうな獣の毛皮が敷かれている。天井からは赤松や白樺の枝、ハナゴケ、その他たくさんの薬草が吊るされている。
大きさの違うブーツがもう一足、部屋の隅に転がっていることにトルバルは気付いた。
「ここに住んでるのはひとりだけか?」
「ああ、そうだが?」
バルブロは何食わぬ顔で言うが、トルバルはもうひとりここにいる気配があるような気がしてならなかった。何かがおかしい。直感がそう告げていた。




