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【番外編】吹雪の中の燈火 後編

 とある夫殺しの女が領主裁判にかけられ、死刑判決が下された。

 

 女は常に毅然とした態度で自身の罪状を認め、死刑になることにも何ら抵抗を示さなかった。努めて「冷徹」を貫き通してきたステンもこれには少し参ってしまった。悪態や忌言でも吐かれたほうが何倍もマシだったのだ。


 女は屋敷の地下牢に収監されていた。死刑が執行されるその日まで、家族と交代で食事を運んでいたが、ステンは女の姿を目にする度に憂鬱で仕方がなかった。いつも罪人に対し関心を持たないようにしていたステンが、ここまで影響を受けるのは異例のことであった。

 

 食事を運ぶ際にはロクも意気揚々とついてきた。何も知らない無邪気な子トナカイは、女にも精一杯愛想を振りまいていた。その様子がステンの心に一層の影を落とすことになってしまったが、女はそれにも気付いていたようであった。


「大変なお仕事ね。あなたには苦労をかけるわ。とても優しい人でしょうに」


 女は言った。ステンは何も言葉を返さなかった。ただ少し首を横に振っただけで、すぐに牢の鍵を閉めて立ち去ってしまった。


 ――誰が優しいものか。

 

 女には何度か食事を運んだが、その度に礼を言われるのでステンは困惑した。礼を言われるのは決して初めてではなかったが、牢に入れられた罪人は大抵泣いているか憤っているか、すべてを諦めて一点を見つめているかであった。偉大な権力者でも貴族でもない、ただの田舎町の女がこのような態度を取るのは、極めて珍しいことだ。


「あの、申し訳ないのだけど……」


 ある時、女が言った。


「お腹の子供が生まれるまで待っていただくことはできないの?」


 やっぱり。とステンは思った。しかしその願いを叶えることが本当に正しいことなのかは疑問だった。なぜ今なのか。なぜもっと早く言わないのか。色々と尋ねたいことはあったが、彼は黙ったまま足元のロクに視線を落とした。ロクはステンを見上げ、大きな黒い瞳で何かを訴えているように見えた。


「……期待はするな」


 もしやこれまでの態度はこの要求を通すためのものだったのではないかと訝しみもしたが、ステンは女の要求を呑むことにした。


 深夜、彼はひっそりと領主に嘆願書を提出した。しかし領主は法に対し厳格であった。私情に基づき一度下された判決を変えることはできない。結局何も変えられぬまま、ついに死刑執行の時は訪れた。


 身内殺しの大罪人の処刑を一目見ようと、多くの人々が詰めかけた。ステンはいつものように粛々と準備を行い、直前まで刃の手入れを怠らなかった。女は自らが犯した罪で法の下に裁かれ、赤ん坊は血の定めにより母親と運命を共にする。

 

 いったいこの女に何が起きてしまったのか、本当は何を考えていたのか、詳しい事情はわからない。ただわかっているのは、自分にはこの女と赤ん坊を救う力は無いということだけである。


「気にしないで」


 ステンがそんな風に言われたのは初めてのことだ。女の首を落とした時、彼はこれまでに抱いたことのない奇妙な感覚に襲われた。見物人たちから拍手を送られることには慣れている。だがこの時ばかりは、聞き慣れた拍手が酷く耳障りだった。


 ——うるさい……うるさい……


 この頃から彼の心臓は度々痛むようになり始め、悪夢にも魘されるようになった。最初はさほど気にならないほどの小さな痛みだったが、日を追うごとに痛みの度合いは増してきた。重いものを運んだり、続けざまに重労働を行うことが難しくなってきていた。

 

 悪夢もこれまで一度も見なかったわけではない。殺したはずの罪人がベッドの脇に立っていたり、処刑に失敗して自分の首が落とされる夢は何度か見てきた。しかし身ごもった女を殺してからその頻度は格段に増え、目覚めた後に残る感覚もより一層生々しいものへと変化した。


 ——俺は無実の赤ん坊を殺した。

 

 ステンの中で確実に何かが変わった。


 幸いなことに、それからしばらく処刑の仕事は命じられなかった。ステンは副業を淡々とこなし、ロクの世話をした。

 

 ある夜、そろそろ眠ろうかと思っていると、裏口の戸が何者かによって叩かれた。少し面倒に思ったが、ステンは戸を開けてやることにした。


 立っていたのは、領主の息子であるアクセルだった。彼は酷く酔っており、おまけに足と肘から真っ赤な血をだらだらと垂らしている。


「コケちまった。痛くてかなわねぇ。治してくれよ先生」


 アクセルは領主の息子にしては口が悪く、だらしのない性分であった。しょっちゅう飲んだくれており、町民からは度々「馬鹿息子」と囁かれてる始末だ。しかし心に何らかの闇を抱えた者の目をしていることに、ステンはすぐに気が付いた。


「入れ。止血する」


 まだ起きていた母や弟が手伝おうとしたが、ステンはそれを制止し、ひとりでアクセルを診ることにした。


 傷口の止血と消毒が終わり、包帯を巻き終わってもアクセルは不貞腐れた様子で帰ろうとしなかった。ステンと歳の近い男でありながら、そのいじけた姿はまるで子供じみていた。

 

 案の定、アクセルは愚痴とは名ばかりの自分語りを始めた。地位ばかりに目を付けられるだの、上っ面しか見てもらえないだの、父親が厳格で鬱陶しいだの、およそ聞き流して問題なさそうな内容ではあったが、冷たく無視することもできない。


「普段こんなこと誰にも話せねえんだよ。あんたは凄いよな。本当によくやってるぜ。この前の処刑だってさ」


 アクセルの言葉にステンはドキリとした。


「一撃で首を切り落すなんて芸当俺にはできやしねえ。佇まいもしっかりしてるし、そりゃ色めき立つ女も出てくるわな」

「何が言いたい」

「べつに。ただ、皮肉なもんだと思ってさ。あんた、あの歪んだ視線が不愉快なんだろ」


 忌み嫌われる処刑人である一方で、陰のある危険な存在に憧れを寄せる人間も一定数いるようだった。

 

 夜中に病人を装って接触を図ってきた者が、少数ながらも存在した。そんな時、ステンは毅然とした態度で叩き出すよりない。彼女らが見ているのは、ステンという人間そのものではない。危険な恋愛ごっこに興じて現実逃避したいのだ。それを見抜くのは決して難しいことではなかったが、それを理解する人間が屋敷の外にいるとは思わなかった。

 

「治療と、愚痴聞いてくれて悪いな。この恩はいつか返すからな」


 アクセルはそう言って帰って行った。



 次の処刑を命じられたのは、それから数週間後のことである。罪人は何度も暴力と窃盗を働いた青年で、やり直す機会をくれと何度も訴えていた。

 

 どういう訳か、この日のステンの両手はガタガタと震えていた。それは初めて処刑を行った時とは比べ物にならないほどであった。それでもやらなければならない。何年も続けてきたように、お決まりの手つきで、大勢に見られながら斧を振り上げる。上手くやるはずだった。

 

 突如として、激しい胸痛と拒絶の感情が彼の中に突き抜けた。

 

 ——とても優しい人でしょうに。

 

 その瞬間、あの女の言葉が思い出され、ステンは激しく動揺した。数歩後ずさった後に斧を取り落とし、あろうことかその場に崩れ落ちて派手に嘔吐してしまった。

 

 こんな日に朝食など食べていない。吐き出されるのは胃液ばかりだ。何も出ないはずなのに、吐き気は治まらない。息を吸うことも吐くこともできなくなり、視界は霞み、すべてが押し潰されていく。

 

 もう駄目だ。ついに限界が来た。そう悟った。

 

 辺りは一時騒然となった。それから何がどうなったのか、詳しいことは覚えていない。その後開かれた粗末な領主裁判の中で、弟のエミルが代わりに罪人を処刑したことを知らされた。その間もステンの手の震えは治まらなかった。


「我が息子に感謝したまえ」

 

 領主は言った。職務放棄の末に神聖な場を穢し、領主の顔に泥を塗った彼は、本来であれば死罪であってもおかしくはなかった。しかしこれまでの貢献度と領主の息子アクセルを手当てしていたことが幸いし、彼は財産の没収と追放という形で済まされることとなった。


 秋の終わり、雪がちらつく薄暗い空の下、ステンは薄着で町の外に放り出された。あと少し運命が狂えば、自分はエミルの手で処刑されていた。そう思うとゾッとした。自分が処刑されることに抵抗はない。だが実の弟にそれをやらせるのは御免だった。


 雪は激しさを増し、今にも吹雪になりそうだった。これは凍死するだろうと、ステンは静かに悟った。むしろ、そうなっても一向に構わなかったのである。


「すまない。俺は、全部を間違った」


 彼はひとり呟いた。無性に謝りたくて仕方がなかった。

 

 その時、その場に不釣り合いな鈴の音が耳をかすめた。不気味なほど美しい音色だった。

 

 振り返ると、小さな黒い生き物が、こちらに向かって懸命に走って来るのが見えた。


「ロク……! どうして」


 ロクがステンを追いかけて走ってきたのだ。彼女はステンの足元までやって来ると、短い尻尾を振りながら必死に抱っこをせがんだ。


「置いていかない。お前は絶対に死なせない」

 

 ステンは親離れできない甘えん坊を優しく抱き上げると、小さな頭を大きな手で包み込み、そのまま静かに吹雪の中へと姿を消した。


 もしかしたら自分には進むべき未来があるのではないか。愚かにもそんな風に思った。




第一章 完

 

第一章をここで完結といたします。

ここまでお読み頂きありがとうございました。

第二章までお時間を頂きます。

ブックマークしてお待ちいただけましたら幸いです。

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