【番外編】吹雪の中の燈火 前編
「これより、殺人罪を犯した女の死刑を執行する」
ステンは何の感情も含まない声で淡々と告げた。処刑台にはひとりの若い女が静かに首を固定されている。周囲には公開処刑を見物しに来た町内外の人々が椅子に腰かけ、ある者は興奮気味にお喋りをし、ある者は温かい飲み物を啜っている。
ステンは最前列にちらりと目をやった。三人の女が、自分に対し熱の籠った視線を送っていることに気が付き、すぐに目を逸らした。
「あなたには何の恨みもない」
ステンは処刑台の女に目隠しを施すために屈み、見物人に聞こえないほどの小さな声で言った。女は静かに微笑み、「気にしないで」とだけ言って瞼を伏せた。
処刑用の大斧がゆっくりと持ち上がり、研ぎ澄まされた刃が女の頚椎の隙間を捉えた。
霧深い海に囲まれた王国の北部。領主町の外れには、処刑人の一家が住んでいた。祖母のアグネーテ、父親のヴィルヘルム、母親のソフィア、長男のステン、次男のエミルの五人は、墓地の隣に佇む大きな屋敷で暮らしていた。五人で暮らすには広すぎるほどの、それでいて煌びやかさとは無縁の不気味な屋敷であった。高い生垣に囲まれた広い庭には薬草が植えられ、鞣した動物の革が物干し竿に掛かって風に揺れている。
ステンは死刑執行人の家系に産まれ、後の代表者になる男として育てられたが、彼がまだほんの小さなうちは、その過酷な運命とは切り離された日々を送ることができていた。普通の子供と同じように両親に甘え、弟や親戚の子供たちと遊び、読み書きを教わり、本を読んだり絵を描いたりする日々であった。
ただひとつ普通の子供と違ったのは、敷地の外へ一歩も出なかったということだ。
ステンは好奇心旺盛な弟エミルとは打って変わり、手のかからない大人しい子供だった。街へ行きたいと騒ぐこともなければ、両親を質問攻めにして困らせることもなかった。遊んでくれと騒ぐ弟や親戚の子供をほっぽって、意味もわからないであろう小難しい本を静かに眺め、窓から見える風景や小鳥などを木炭で描き、広い庭に出て変わりゆく雲の形をじっと見つめながら眠りに落ちるような子供であった。
六歳頃になると、徐々に動物の解体や外科医の仕事などに立ち会わされるようになる。ネズミやウサギといった小動物に始まり、やがて大きな家畜や熊などの解体を手伝うようになっていった。そんな日々の中で、ステンは薄々自分の置かれている立場について気づき始めていた。
十歳になると、ついに両親からすべてを打ち明けられ、彼の穏やかで自由な生活は幕を閉じた。街へ出るようになったのもこのころからである。民衆から向けられる氷のような視線が、幼い少年の心に影を落とそうとしていた。
「背筋を伸ばして歩けステン。堂々としていろ。恥じることは何もない」
そんなステンを見かねてか、父のヴィルヘルムは毅然とした態度で言った。
「常に身だしなみを整えろ。姿勢を正せ。俯く必要などない」
自分に課せられた役割と、抗えない運命について、ステンは深く考えるようなことはしなかった。それは自身の心を守るために自然と身に着けた防衛策であった。彼はすべて言われた通りに行動した。
処刑の場へ立ち会うようになってからは、尚更気を使った。身だしなみを整え、姿勢よく歩いた。いつでも処刑の代理が務まるよう斧の扱いを覚え、正確に重い斧を振り下ろすために身体を鍛えた。食うものにはさほど困らなかったこともあり、ステンが十五歳になる頃には、大人と大差ないほどの体格になっていた。
初めての処刑のことを、ステンははっきりと記憶している。斧の冷たさ、手の震え、刃が頚椎の隙間に入り込む感触、そこから流れる血潮の赤。彼は見事にやってのけた。
見物人たちは大きな拍手を送り、両親もしっかりと彼を褒め称えた。
——俺はこの仕事が向いているんだ。
ステンは震えが止まった自分の両手を見ながらそんな風に思った。
それから数年の時が流れ、成人して代表者の席を父親から譲り受けると、処刑人としての仕事もすっかり板についた。
死刑執行日までの罪人の管理、処刑の準備や後片付け。そしてその後の解剖と遺体の処理までを、弟のエミルと共に淡々と行った。夜中になれば訳ありな人々が裏口からこっそりやって来て、怪我や病気を診てくれとせがむので、昼も夜も働き詰めである。処刑の仕事が無い時は、墓地や下水、町の娼館などの管理、時には皮鞣しなどをして生計を立てていた。
ステンの真面目で正確な仕事ぶりは、領主からも高く評価され、町人は彼の処刑や治療の手際の良さに密かに関心を寄せていた。しかしそれでも街へ出向けば目を背けられ、店の商品に触れることさえ許されなかった。彼はそんな矛盾にまみれた人々に対し、常に冷め切った目を向けていたが、なるべく感情は内にしまい込み、余計なことは考えないよう努めていた。
二十代も半ばになると、王国の処刑人が一堂に会する集会へ顔を出す機会も増え、そろそろ他の町に住む処刑人の娘と結婚してはどうかという話が出始めた。
「父さん、結婚の話はもう少し待てないか」
ステンは幾度となくそう言って話を先送りにした。自分でも理由はよくわからなかったが、彼は自分の家族を持つことを望んでいなかった。
「またそれか。お前ももういい歳だ。観念するんだ」
ヴィルヘルムは呆れたようにそう言うが、強制的にステンを結婚させるようなことはしなかった。
モヤモヤとした感情が燻る中、日常にちょっとした変化が訪れた。彼が二十五歳になった冬のことであった。
ある吹雪の夜、凍傷になりかけた患者の治療を終えたステンは、一息つこうと温かい酒を手に窓の外を眺めていた。やがて吹雪は収まり、空にはオーロラがうねり始めた。どこかでオオカミの遠吠えが聞こえる。
酒を飲んだせいで催してきたステンは、家の外にある厠へ向かった。生垣の向こうがやけに騒がしかった。
——何かいる。
気になったステンは敷地の外へ出た。オーロラとその光を反射する雪のせいで視界は良好だった。
森の手前、雪原の真ん中に、黒くて小さな生き物がうずくまっている。近くではオオカミが様子を窺っており、危険な状況である。
ステンは半ば衝動的に、黒い塊に走り寄った。近くで見てみると、それは小さなトナカイの子供であった。
——置いて行かれたのか?
辺りを見回しても親の姿はない。彼はトナカイを抱きかかえると、そのまま屋敷に連れ帰ってしまった。このトナカイはひとりでは生きられない。そう考えると、居ても立っても居られなかったのだ。
誰にも見つからないように、ステンは自室にトナカイを運び込んだ。自分でも何故コソコソしているのかはわからなかった。
冬だというのにトナカイの毛は黒々としていた。まるで母親にすがるように、トナカイはステンの身体に身を寄せてくる。毛布で包んで温めてやると、布切れに温めたミルクを染み込ませて少しずつ吸わせてやった。
「ロク、こっちに来い」
それから数日後、気付けば名前を付けていた。自分の服の裾を切ってリボンも作った。
ロクは野生のトナカイにしては珍しく、相当な甘えん坊であった。ステンが部屋の中を移動する度にトコトコとついて来て、服の裾を食む。部屋に置いて出て行こうとすると一緒に連れて行けと言わんばかりに暴れまわるので、とうとう家族にも隠し通せなくなった。
最初にその違和感に気付いたのはエミルだった。
「兄さん、何か隠してるだろ。俺にはわかる」
エミルの目は誤魔化せない。おかしな疑いを掛けられる前に、ステンはロクのことを打ち明けた。
「いつも仏頂面で愛想のない兄さんが、赤ちゃんトナカイをこっそり育ててたなんて!」
エミルは手を叩いて面白がった。それから家族全員にロクの存在は知られることとなったが、診療中にもステンの側にロクがうろついているので、ついに町人の間にも噂が流れるようになった。
『あの冷徹で愛想のない処刑人が、屋敷では小さなトナカイを溺愛しているそうだ』
街へ買い物に出かけると、好奇心の宿った目を向けられることが増えた。ステンは自分が上っ面ばかり面白がられていることに腹が立ったが、淡々とした日々の中に無邪気なロクが飛び込んできてからというもの、彼の心は少しだけほぐされてきていた。
そんな彼の心を更に動かす出来事が起きたのは、ロクを拾ってから更に数ヶ月後のことであった。




