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第一章最終話 逃亡者の覚悟

 トルバルはステンと共に酒場の前までやって来た。入口は施錠されているようで開かなかったため、駄目元で裏口に回ってみることになった。こちらの戸は開いていたが、トルバルとステンはすぐに不穏な気配とにおいを感じ取った。


 ——血のにおいだ。中で誰かが死んでいる。


 それは紛れもなく死臭であり、トルバルにとっては嗅ぎ慣れたにおいである。

 ふたりは顔を見合わせ、息を潜めて中へと入った。薄暗い酒場の中は樽やテーブルが倒され、めちゃくちゃになっている。誰かが暴れまわったのは確かである。


「トルバル、見ろ」

 

 薄暗いなか、ステンが指さす床にはひとりの男が倒れていた。男は喉を掻き切られたうえに散々顔を踏みつけられており、見るも無残な姿になり果てていた。腕にある特徴的な傷痕からそれがバートであるとわかった。かつてトルバルと悪さをして遊んでいた時に付いた傷である。


「顔すらまともに拝ませてくれねぇのか。お前、何をやらかした」


 トルバルはバートの傷痕をさすった。皮膚は硬く冷たい。完全にこと切れている。身体には抵抗の際にできたと思わしき生傷がいくつもあり、赤黒い血が乾いて固まっている。トルバルはため息をつき、考えた。


 恐らくバートはトルバルを売った後も調達人として闇商人に協力していたのだ。しかしトルバルが脱走したことを知り、復讐を恐れて逃げようとしたのかもしれない。もしくは何かしらの不都合が生じて闇商人に抵抗でもしたのか。いずれにしろ知り過ぎていたバートは、家族諸共消されることになってしまった。


「素人の犯行じゃなさそうだ。闇商人から尻尾切りにでも遭ったか」


 ステンがそう言いかけた時、部屋の奥からか細い女の声で「たすけて」と聞こえた。


「アリシアか?」


 トルバルが駆け寄ると、そこにはバートの妻であるアリシアが横たわっていた。彼女は辛うじて生きているといった状態で、とても助かりそうには思えなかった。


「みんな、死んだわ」


 アリシアはそう言って弱々しく天井を指さした。見ると、天井に大きな赤黒い染みができており、ぽたりぽたりと液体が滴っている。病床の父親も殺されたのだ。


「でも……セルマは生きてる」


 アリシアは消え入りそうな声で言う。確かに、娘のセルマの姿はない。今は六歳くらいになっているだろうかと、トルバルは思った。


 ——そういえば門番と話してる時、それくらいの子供が走って飛び出して行ったような。


「あの子を、助けて。お願い」

「……俺が誰なのか、わかって言ってるのか?」


 トルバルはふつふつと湧き上がる複雑な思いを飲み込み、それだけを尋ねた。アリシアは血の混ざった薄赤い涙を流し、続けた。


「……ごめんなさい。北の、最果てに、向かって。曾祖父の故郷が……セルマを——」


 最後はもはや言葉にすらなっていなかった。すべてを言い終わる前に、アリシアは息を引き取った。目も口も開けたまま、まるで最後まで自分の死を受け入れまいとするように。


「セルマを追う」


 暫しの沈黙の後、トルバルはそう宣言すると、アリシアの瞼を閉じさせてやり、立ち上がった。「本気か」とステンが問う。


「ステン、今のセルマはあの日の俺と同じか、もっと酷い」

「二重に危険が及ぶ。何を言っているのか、わかってるか?」

「わかってる。でもセルマまで死ねば、俺があの肥溜めみたいな場所へ行った意味も消え失せる。純粋に胸糞が悪い。善人ぶるつもりはない。これは、半分は俺のためだ。セルマを助けて、それで俺も……」


 一言では言い表せない悔しさと悲しさ、そして小さな興奮がごちゃ混ぜになった奇妙な感覚が、トルバルの中で激しく渦巻いていた。


「確かに、聞いたことはある。北の最果てに、名前すらない王国の手も及ばない土地があると。そこがどれほど安全かはわからないが」

 

 トルバルはステンの言葉を聞きながら、再びバートの方に目を向けた。

 

 この世界の闇に抵抗できず、幼馴染みを裏切り、その金で子供を育て、結局闇に呑まれて命を奪われた男。彼が当時何を想い、どんな気持ちで生きてきたのか。どんな経緯で命を落とすことになったのか。本人が死んでしまった以上、わからず仕舞いである。

 

 当然の報い。そんな言葉で片付けることもできる。「ざまあみろ」と唾を吐き捨てたところで、きっと罰は当たらないことだろう。しかし——

 

 トルバルはようやく気付いた。本当に忌むべき相手は、このむごたらしく死んだ幼馴染みではないと。


 子供時代の宝物のような記憶。すれ違いが生じ始め、それでもお互いを気にかけていた十代。お互いに悪気など無かった。それらを無かったことにはできない。

 

 尊厳を奪われ、消耗品のように利用され、何度も命を落としかけた。それらも無かったことにはできない。トルバルはこれ以上耐えられないと思うほどの苦痛を味わったはずであった。

 

 それでもバートの無残な死に顔を目の当たりにしてしまうと、どうしても憐みの方が勝ってしまう。


 ——バート。手放しにお前のことは許せない。でも、お前がこうなる必要なんてきっとなかった。


 皮肉のこもった冗談のひとつでも飛ばしてやりたかったが、こんなザマでは冗談を言うどころではない。

 

「人が来る前にここを離れるぞ」


 ステンがトルバルの肩を叩いた。


 

 

 ふたりが鍛冶屋まで戻ってくると、トルバルの斧は修復が終わっていた。しかしステンの斧はまだだった。ステンは先を急ぐトルバルについて来ようとしたが、トルバルはそれを止めた。


「待て。行くのは俺一人だけだ。決めてたんだ。いずれ森を離れると。マヤも知ってた」


 トルバルの言葉に、ステンは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにトルバルの目を見てすべてを悟ったようだった。


「まあ、俺もこんな心臓だ。ついて行ったところで足手まといになる。言っておくが、かなり苦しい旅路になるぞ」

「心配するな。俺は脚を怪我しても走れるし、トロールとも戦える。盗賊にも勝てるし、お前やマヤから貰った知識もある。心残りがあるとすれば、貰ってばかりで何も返せなかったことだ」


 トルバルは目の奥が熱くなるのを感じ、気を紛らわすように口の中を噛んだ。ステンは言葉を選んでいるのか、何か思うことがあるのか、少し俯いて黙っていた。川の流れる音だけがやけに大きく響く。


「……何があっても死ぬなトルバル。縁があればまた会える。返すのはその時でいい」


 しばしの沈黙の後、ステンはそう言った。そして「餞別だ」と言って懐から何かを取り出した。それはかつて極夜の穴倉でトルバルが読み漁った手記の一部だった。


「全部は持って行けないだろうが、おそらく役に立つ。持って行け」

「大事なものだろ」

「だから渡しておく。貰ってばっかりだな。お前は」


 ステンはそう言って少しだけ笑った。トルバルは手記を受け取り、研ぎ澄まされた斧を背負って門へと向かった。ステンは鍛冶屋に残り、トルバルの背中を見送った。去り際、「下手に追手と張り合うなよ。特に王都の処刑人とは」などという不吉なアドバイスを寄こした。



 門を抜け、ぬかるんだ土の上を通った時、小さな足跡を見つけた。トルバルはその足跡を踏み潰すようにして進んだ。


 やがて視界が開けた草原までやって来ると、一瞬だけ王都のある方向を睨みつけ、すぐに背を向けて走りだした。

 

 後ろめたさが消えたわけではない。しかし今の彼には、少女を救うという確固たる意思があった。





 


 


 


 

ここまでお読み頂きありがとうございました。

第一章の本編はここまでとなります。

明日、ステンを主人公とした番外編を2話投稿予定です。通常番外編は物語完結後に投稿するのですが、ステンの話はどうしてもこのタイミングでお読み頂きたいのです。


この番外編2話を持ちまして、第一章は完結となります。

そこからお休みを頂き、準備が整い次第、第二章に入って参ります。


現在ストックはあと2話書けば完結という所まで来ておりますが、ここが一番難しく……

頑張って完結させますので、どうぞよろしくお願い致します。

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