裏切りの記憶
数年前まで、トルバルとその幼馴染みであるバートは親しい友人同士であった。幼少の頃から何かと馬が合い、どこへ行くにも何をするにも一緒だった。バートは孤児院の子供で、しょっちゅうトルバルの家に出入りしており、まるで家族の様であった。
かつての輝きを失い、掃き溜めのようになってしまった町の中で、彼らは子供らしく悪さを働き、大人たちに怒鳴られながら育った。決して裕福とは言えない暮らしでありながら、トルバルの子供時代の思い出は、まるで宝物のように輝かしいものである。それはバートに裏切られた今でも変わっていない。
十四歳で両親を奪われてからというもの、トルバルはどこかおかしくなっていた。隣に住む老人に世話を焼かれていた期間もあったが、老人が死んでからはガラの悪い連中にわざわざ喧嘩を吹っかけては怪我を負う日々だった。八つ当たりできる対象がそれくらいしか存在しなかったのだ。
結局彼が仇討ちをして得たのは、刃物が肉を突き破る生々しい感触と断末魔、そしてそれらを見世物のように扱う下卑た者たちの視線だけであった。爽快だったのはほんの一瞬で、その後はすっかり燃え尽きてしまった。勢いに任せた短絡的な復讐は、却ってトルバルの立場を悪くし、心に冷たく暗い影を落とした。
そんな中でもバートとの付き合いは辛うじて続いており、彼もトルバルのことは気にかけていた。しかしそんな日々も長くは続かない。
やがてバートはアリシアという女の子と付き合うようになり、トルバルから少しずつ心が離れつつあった。密造酒を売る酒場の娘であるアリシアは、トルバルを快く思っていなかった。彼女の働く酒場には、トルバルの悪評を流す者が多くいたためだ。
十八歳になると、アリシアの父親が病床に臥せったのと同時に、バートは彼女と結婚した。それからほどなくして、ふたりの間には子供も産まれた。セルマという名の女の子だった。
トルバルは度々ふたりのいる店に顔を出したが、かつてのような親し気な会話が生れることはなく、ぎこちない空気が流れるばかりであった。
——もう関わるのはやめよう。お互いに変わってしまった。
トルバルはそんな風に考え始めていた。自身も態度を改めて新しい人生を始めるべきであったが、暴力にまみれ、町の嫌われ者になり果て青年が自力で泥沼から抜け出すことはなかった。
「お前みたいなクズの弱者が、今更まともになろうとしたって無駄だ」
ならず者の集まる拳闘試合に身を投じた際、そんなことをよく言われた。己や他人を痛めつけることで時折襲ってくる重苦しい絶望感を誤魔化す日々を送り続け、気が付けば暴力を振るうことでしか金を稼げなくなっていた。妙な輩から目を付けられ始めたのも必然である。そんな彼を心配する大人が周囲にいなかったわけではない。だが助けを求める術を知らない若者は、差し伸べられた手にさえ怯え、訳もわからず突っぱねてしまった。
他人から与えられる優しさに甘え、濁流のような重々しい感情をぶつけてしまうのが恐ろしかったのだ。
素直に差し伸べられた手を取るべきだった。
トルバルがそんな風に思えるようになるのは、何年も先のことである。
何もかもが不安定でどうしようもなくなっていた時、バートの方から声をかけてきた。思いがけないことだった。
「なぁ、久しぶりに店で飲まないか? 話したいことが山ほどあるんだ」
驚くべきことに、それは飲みの誘いであった。トルバルは一瞬迷ったが、まだバートと友人でいられるならと思い、その誘いに乗った。彼のためならば、まだ変われるような気がしていた。ここまで来てようやくトルバルは「ちゃんとやり直そう」という気持ちになった。
しかし、すでに手遅れであった。彼は悪目立ちすぎていた。
二杯目を飲んだ辺りから記憶が飛んでいる。
「本当にすまない。トルバル」
最後に聞いたのは、友人からの謝罪の言葉だった。後に闇商人は、輸送の馬車の中でトルバルに語った。
「あいつはすぐこちらの話に乗ったぞ。お前と自分たち家族の命を天秤にかけた。当然、お前の方が軽かったというわけだ。お前を売った金で病気の親を助け、赤ん坊を育てるだろう。良かったじゃないか。お前みたいなならず者が、誰かの役に立てて」
男はホーカンという名前で、骨ばった鼻と落ち窪んだ目をギラつかせた嫌な男だった。
「これからお前が行くところは、どれだけ暴れまわっても許される。お前みたいな奴にはうってつけの場所だ。お前は上玉だから半年は確実にもつだろうよ」
妙な毒を盛られたうえに身体を拘束され、抵抗するとこん棒で殴られるか蹴り飛ばされるので、トルバルは大人しく話を聞くよりない。その毒が希釈したヒヨスの毒であることを知ったのは、トロール殲滅部隊に放り込まれてからのことである。
不思議なことに、バートに対する怒りや憎しみはしばらくの間微塵も湧いてこなかった。
——そりゃそうだよな。こんなの庇う理由なんてどこにある。あいつは賢い。
それどころか、闇商人の言うことは筋が通っているような気さえした。戦場と化した森で汚泥にまみれ、幾度も死にかけるまでは。
それから四年以上の月日が経った。まさかこんな形で故郷に帰って来るとは、トルバル自身思いもしなかった。
——俺はちゃんと変わったんだろうか。
ステンの横を歩きながら、トルバルはぼんやり考えていた。
——俺はここに何をしに来た? 裏切った親友の顔を見て、それで? 皮肉交じりの冗談でも飛ばすか? 許しの言葉でも送るか?
過去の記憶を掘り起こすほどに、段々とわからなくなってきた。しかしその歩みは止まらない。責め立てようなどとは思わない。ただ、自分は生きてここに戻って来た。それさえわかってもらえれば良かった。
次回を持ちまして第一章の本編は完結となります。その後ステンが主人公の番外編が二話続き、第一章の全編が完結となります。




