最後の帰郷
湖畔の岩陰で夜を明かし、街道を暫く歩き続けてようやく旧王都にたどり着いた。
汚れた水の溜まる堀には跳ね橋が架かっており、やる気のなさそうな門番が二人突っ立っている。一人は老兵で、もう一人はいかにもガラの悪そうな大男だった。
「処刑人か。何をしに来た?」
老兵がしわがれた声で言った。
「外れの鍛冶屋に用がある」
ステンは顔色ひとつ変えない。
「どれくらい滞在する?」
「斧が直り次第、すぐに出ていく。ここの鍛冶屋は腕が良い。長居はせずに済むだろう」
トルバルたちは門番に荷車の中を見せ、白樺とコケモモから作った酒を渡した。
「なかなか気が利いてるじゃねぇか。来年も持って来いよ」
大男はニヤニヤ笑いながらそれを回収し、ふたりを町の中へ通した。その時、町の中から小さな子供が走って来て、トルバルたちの間をすり抜けながら門の外へ出ていった。
「なんだあのガキ」
大男は悪態をつきながらも、目の前の美しい酒に夢中になっていた。老兵の方は気付いてすらいないように見えたが、トルバルは妙な胸騒ぎがした。
頭巾をめいいっぱい目深に被り、薄暗い町の中へと入る。
町は埃臭いような、何かが湿気たような独特なにおいが立ち込めていた。廃れているようでどこか奇妙な熱気があり、貧しい人々が大半ではあるが、彼らの目は絶望や諦めに支配されてはおらず、どこか生命力に満ちているようにすら見える。
——戻って来たんだ。まさか本当に戻って来られるなんて。
トルバルは自分が生まれ故郷に帰ってきたことが信じられなかった。なんとなく足元が不安定で思考もまとまらず、まるで夢の中にいるようであった。
この町で唐突に両親を殺され、自暴自棄になって暴力にまみれた日々を送った。共に育ってきた幼馴染みは結婚を機に態度を変え、挙句の果てには人買いにトルバルを売った。しかしどういうわけか、彼はこの町を嫌いになれなかった。懐かしさに胸の奥が熱くなるのを感じ、そんな自分を滑稽に思った。
——あのくそったれは生きてるんだろうな。
「物騒なことを考えてるな」
唐突にステンに心を読まれ、トルバルは失笑した。
「大丈夫だ。復讐のために暴れたりなんかしない。あいつにはあいつの事情があったことはわかってる。俺にも落ち度はあった。まあ顔くらい拝んでやろうとは思ってるけどな」
「斧を直し終わるまでそれなりに時間がかかるはずだ。ついでにそいつの家に寄る時間くらいあるだろう」
人通りの多い通りまでやって来ると、周囲の人々はさっと道を空けるようにふたりから距離を取った。こんな掃き溜めの町であっても処刑人に触れれば呪いが移ると信じて疑わぬ人間は少なくない。多くの通行人が彼らから目を逸らし、距離を取った。
その様子に、ステンが動じることはなかった。彼にとってはこれが日常であり、当たり前のことであった。
「これがマトモな都市ともなると、もっと露骨だぞ。ここの住民は親切な方だ」
ステンは少し肩をすくめて見せた。トルバルは初めて味わう処刑人の扱われ方に少しばかり戸惑った。
「背筋を伸ばして歩けトルバル。堂々としていろ。恥じることは何もない」
トルバルは言われたとおりにした。隣を歩くステンがやたらと気高く見えたのは決して気のせいではない。何故彼がいつも身綺麗にしているのか、何故いつも姿勢が良いのか、少しだけわかったような気がした。
鍛冶屋は町の中心部から外れたところにある。近くには川が流れ、川は沼鉄鉱の沼へと繋がっている。
トルバルは近道を案内した。怪しげな商人がうろつく薄暗い路地を抜けると、すぐに煤にまみれた石造りの建物の前に出た。入口には雨ざらしにされた大斧や剣、鍬や鉈などが「飾り付けられている」と言うにはやや乱雑に置かれている。中からは炉の炎を保つためのふいごの音と、熱い鉄を打ち付ける音が響いていた。
「念のため裏口から入るぞ」
「裏口?」
ステンは正面口から入るのを拒んだ。聞いてみれば、彼はこれまで町の鍛冶屋には大金を支払ったうえで真夜中に裏口からこっそり入るのが当たり前だったのだという。
「この掃き溜めの鍛冶屋はそんなこと気にしないと思うぞ」
トルバルは言ったが、ステンは「どうにも落ち着かない」と言い、結局ふたりは裏口の扉を叩いた。
何度か扉をノックすると、煤に汚れた中年の女が顔を出した。
「あら、久しぶりに来たわね。お供が増えてる」
女は不敵な笑みを浮かべた。彼女は鍛冶職人の妻であり、この鍛冶屋のすべてを管理する存在であった。
「ヒルダ、斧を直したい」
ステンが単刀直入に告げる。ヒルダは「入りな」とだけ言ってふたりを中に招き入れた。斧と鯨蝋の樽を持って中に入る。
建物の中はどこもかしこも煤にまみれており、すさまじい熱気に満ちていた。
「俺初めてここ入ったかも。こんなに暑いんだな」
トルバルは鍛冶屋の熱気に圧倒されていた。裏口は作業場と直結しており、すぐ近くでは職人が力強く鉄を打っている。
「斧はどれも刃の焼き直しが必要だね。丸一日かかると思うよ。さて、今回お代は何を持って来たんだい?」
ヒルダが尋ねると、ふたりは鯨蝋が入った樽を同時に指さし、「鯨蝋だ」と言った。
「なんだって? どこからそんなもの手に入れたのさ。謎に満ちた奴だと思ってたけど相当だね」
ヒルダは大きな目を更に大きく見開いた。トルバルが「足りないか?」と尋ねると、ヒルダは「お釣りが来ちまうよ!」と言って豪快に笑った。
斧を直している間、ふたりは休息がてら川辺の石に腰掛けて、沼地へと続く水流を暫くの間ぼんやりと眺めていた。
「他に会いたい奴はいないのか」
ステンがぼそりと言った。
「いない。いても迷惑になるだけだ。両親はとっくに死んでるし。でもむしろ助かる。もし大事な人がこの町にいたら、人質に取られたかもしれない」
「……そうか」
そもそも両親がおかしな死に方をしなければ、トルバルの人生はもっとマシなものになっていたであろうが、彼はそこまでは口にせず、眼前に流れる川を見つめた。川のせせらぎと水辺の湿った匂い、小鳥たちの囀りが、短い夏の訪れを感じさせる。長閑なものだった。
トルバルは肺いっぱいにみずみずしい空気を吸い込み、この瞬間を死ぬまで忘れるまいと密かに誓った。
それからふたりは地下の闇市場へ行って靴や服を見繕った後、町の広場へと向かって歩き出した。
広場の掲示板には薄汚れた羊皮紙がいくつか張り出されていた。その中に、手配書と思わしき真新しい貼り紙を見つけた。
『トルバルという名の逃亡兵を捜索中。捕らえた者には銀貨三枚。大柄で筋肉質。暗い金髪。琥珀色の瞳。首筋に焼印。全身に無数の傷痕——』
それはあまりにも粗末な手配書であったが、トルバルの事が書かれていることには違いなかった。
「大柄で筋肉質? 俺そんなに熊か?」
トルバルは手配書を睨みつけた。確かに彼は骨太な体格ではあるが、『大柄で筋肉質』と言うのは大袈裟である。
ステンは「もっと気にすることがあるだろう」とでも言いたげに、一瞬呆れたような顔をした。
「態度がでかい人間は不思議と図体もでかく見える。良かったじゃないか。事実と異なる情報が拡散されて」
「でもやっぱり追手はいるってことだよな……犬に追われないように、靴底に毒草の汁でも塗っておくか」
町の人間で文字が読める者は限られているため、大方噂話として広まることになる。ここから更に尾鰭が付いて情報が不正確になっていくことを推測すると、この粗末な手配書そのものが大きな脅威になることは考えにくい。
だが一人だけ、この手配書が脅威となっている人間がいるはずである。
「バート……俺の幼馴染みは、これを見て何を思ったかな」




