盗賊との遭遇と野営
荷車に掛けられた革布がはためき、塩と酒、鯨蝋の樽、そして処刑斧が露になる。ステンは革布を捲った男の顎先を目掛け、勢い良く掌底を突き出した。男は「ぐっ」と短い声をあげて草の上に頭から倒れる。
「殺せ! 荷物を奪え!」
盗賊が口々に叫んだ。同時にトルバルはナイフを抜き、斧を振りかぶりながら向かってきた頭の男の頸動脈を一撃で搔き切った。
続いて向かってきた男にその体をぶつけ、そのまま思い切り蹴り飛ばした。これで残りは三人だが——
ステンは大丈夫か。心臓の悪いステンは激しい動きが制限される。そう思い振り返ると、彼はすでに二人を制圧していた。驚くべきことに、元居た場所からほとんど動いていない。的確に急所を捕え、相手の動きを封じていた。一人は肘の関節を逆方向に曲げられ、もう一人は喉を潰されて動かなくなっていた。
「クソ、ぶっ殺してやる」
最後に残った若い男が吐き捨てるように言った。ステンは諦めるよう言ったが、若き盗賊はまだ諦めないようだった。彼はどこかで盗んだであろう上等な剣を持ち、ふたりの方を警戒しているが、ステンの方にばかり狙いを定めているのをトルバルは見逃さなかった。
トルバルは一瞬の隙をついて荷車から処刑斧を掴み取った。ずっしりと重い。戦場で振り回す片手用の斧より何倍も重い。一撃の破壊力のみに完全特化した代物である。
――なるほど。これが……
ステンはこんな怪物を日常的に使っていたのかと、トルバルは密かに感心した。
処刑斧の大きな刃と盗賊の剣がぶつかり合う。ガチッという鈍い音がして、相手の剣が歪な形にひん曲がった。
若い男は呻き声をあげ、膝から崩れ落ちたかと思うと、必死に腕を押さえ始めた。処刑斧の重量に腕が耐えきれなかったのだ。
「不浄な処刑人ごときが、そんなに自分の命が惜しいか。人間の出来損ないが!」
盗賊の男は痛みのあまり目に涙を浮かべながら言った。ステンに肘をやられて悶絶していた細身の男も身を起こし、「町へ行ったところで、誰が穢れたお前らなど相手にするか」と吐き捨て、よろよろと立ち上がった。
「盗賊が人に説教できる立場ではないだろう」とトルバルは言おうとしたが、無意味なので黙っていた。男たちの周りを犬がクンクン鼻を鳴らして歩き回っている。みすぼらしい盗賊でもこの犬にとっては大事な主人なのだ。
「その犬を連れて消えろ。二度と馬鹿な真似はするな」
ステンに睨みつけられた男ふたりは一言も喋らなくなり、そのまま犬を連れて去っていった。
「逃がして大丈夫か?」
トルバルは革布を荷車に掛け直しながら尋ねた。
「後の被害を考えれば、皆殺しにするべきなのかもしれない。だが時間も体力も惜しい。行くぞ」
ふたりは治安維持部隊でもなければ殺人鬼でもない。逃げた下っ端の盗賊を放って先へ進むことにした。
「ところでお前、どうして俺の斧を使った?」
森の街道に入った時、ステンがおもむろに尋ねてきた。
「よくわかんねえけど、デカい方が良いと思って」
トルバルは思ったままを伝えた。あの時、荷車の中には自分の斧や鉈も入っていた。しかしトルバルは反射的に処刑斧を選んでしまった。自分でもその理由はよくわかっていなかった。
ステンはガキのようなことを言うトルバルが滑稽だったのか、吹き出すように鼻で笑った。ここのところ彼の仏頂面は幾分かなりを潜めてきていた。もっと長いこと側にいれば、大爆笑する姿も見られるのかもしれない。しかしそれはきっと叶わないだろうと、トルバルは独りぼんやりと考えていた。
その日の晩、と言っても薄明るいのだが、ふたりは湖畔に佇む大きな岩の陰に身を隠して休むことにした。湖の穏やかな水面は鏡のように透き通っており、沈まない太陽が作り出す紫がかった光を反射させている。岩の下はふかふかとした苔に覆われ、そのまま寝そべっても痛くないほどだった。小さな火を焚いて暖を取る。白夜の初夏と言えども夜は冷えるのだ。
「トルバル、昔の話をしても良いか。前に言った話の……」
トルバルが「明るくて眠れないな」と思っていると、少し離れたところで背を向けて横になっていたステンが言った。喉奥から絞り出すような声だった。
「調子悪いのか?」
「いや、悪くはない。ただ、ひとつ……一番話しておきたかったことを話してない」
それがどんな内容であろうとも、トルバルは話を最後まで聞こうと思った。そんな風に考えるのは最早彼の中では当然のことになっていた。
「好きなだけ話してくれ。でも寝る時間は残すんだぞ」
トルバルが言うと、ステンは背を向けたまま話し始めた。
「俺は十四歳の頃に、初めて罪人の首を落とした。物心ついた時から動物を解剖し、処刑や拷問に立ち合い、父親の助手を務めてきたが、それでも初めての処刑は手が震えた。でも処刑が見事成功すると、手の震えが止まった。見物人たちが盛大な拍手をくれたのを覚えてる。それから二度三度と回数をこなすうち、手の震えや動悸も完全に無くなった。自分はこの仕事が向いているんだと思った。昼間は家畜の解体や皮なめし、下水や墓地の管理をして、夜は怪我人や病人の治療をした。それで釣り合いが取れてると思った。父も、母も誇り高く生きろと言った。選ばれし血筋にしかできないことなのだと」
少し冷たい風が湖の方から吹いてきて、ふたりの肩口を撫でた。
「そのままの日常がずっと続けば良かったんだ。罪人を拷問して自白させ、一撃で処刑して拍手と金を貰う。その傍ら町人の生活を裏で支える。ある女が現れてから少しずつ変わったんだ」
「ある女?」
「その人は自分の夫を殺した大罪人だった。粗末な裁判の結果、死罪が確定した。腹には子供がいた。女は牢の中でも毅然とした態度で、怯える様子も見せなかった。むしろ俺のことを気にかけていた。お腹の子供が産まれるまで待ってほしいと言っていた。だが、誰も聞き入れてはくれなかった。結局、女は腹に子供がいるまま、俺が処刑した。俺は何の罪もない無実の赤ん坊を殺したわけだ。心臓が痛くなり始めたのはこのころからだったような気がする。いや、関係ないのかもしれないが」
「今でも自分を責めてるのか?」
「よくわからない。ただ、その処刑のことは昨日のことのように思い出せる。親が罪人でも子供に罪はない。そうだろ。関係ないんだ。……そうだ。親が処刑人でも、その子供まで処刑人である必要なんて……」
最後の方はよく聞き取れなかった。トルバルは何か言おうとして、自分がかけるべき言葉を持ち合わせていないことに気が付き、開きかけた口を静かに閉じた。
「すまない。少し気が楽になった。こんな事他人に話す機会そうそうないからな。お前も何か話したいことがあったら話してくれ。気の利いたことは言えないだろうが」
ステンはそこまで言ってようやくトルバルの方を向いた。
「故郷で幼馴染に騙されて闇商人に売り飛ばされた話のことか? やめとけ。悲劇的過ぎて寝られなくなるぞ」
トルバルは笑いながらそう言ってその辺に生えていたベリーを毟って口に放り込んだ。まだかなり酸っぱく、思わず顔を顰めた。
「でもそうだな。向こうに着いたら話しても良い。戦場の武勇伝と一緒に話すから、酒でも飲みながらしっかり聞いてくれ」
「酒場に入れてもらえればの話だが」
「意地でも入るんだよ。裏切り者はそこで働いてるからな」
トルバルは仰向けになって空を見上げた。そしてあることに気付いた。
「——ところで、俺たち全然蚊が寄ってこないな」
「……まだ鯨臭いんだろ」
真夜中になっても空は夕方のように明るい。ふたりは白樺の木の皮を剥いで目隠しをし、交代で眠った。




