旧王都へ
王都はその昔、この島国の中心部に位置する湿地に囲まれた平坦な大地に存在した。しかし南の森の奥に鉄鉱山が見つかったことを機に、遷都に至った。その遷都に伴って多くの人間が取り残された。貧しい者、年老いた者、替えが見つかって切り捨てられた者……
王都は『旧王都』となり、かつての賑わいを捨てた。止まった時間の中で、残された人々は生き延びるべく足掻いた。やがて外から無法者や事情を抱える者たちがやってきて、めちゃくちゃな増築を始めた。旧王都の中心部にあった昔ながらの石造りの城や神殿は、瞬く間に不格好な城砦へとなり下がり、人々は寒さをしのぐため密集して暮らすようになった。
トルバルの両親も例外ではなかった。王都の芸術家として名をはせた父ヘルマンは、当然遷都に伴い南へ行くのだと信じて疑わなかった。ところが国王は、新王都には流行りの若い芸術家が必要であると判断した。昔ながらの表現方法を徹底し続けた頑固者のヘルマンはお役御免になってしまったのだ。加えて南の都市にいた芸術家たちは、新たな宮廷芸術家の座を狙って競い合いを始めた。
ヘルマンはそんな者たちと関わるのも、最新のものにばかり興味を示す国王にも愛想を尽かし、妻アリスとまだ赤子だったトルバルと共に旧王都に残ることを決めた。
ふたりはトルバルに読み書きを教え、精一杯の愛情を注いで育てていた。しかし、そんな生活も長くは続かなかった。
トルバルが十四歳の頃、強盗が家に押し入り、両親を殺害した。目当てはヘルマンがかつて稼いだ金であったと周囲は推測したが、本当のところはわからない。幼馴染バートの家に行っていたトルバルが騒ぎを聞きつけ帰宅すると、家の前には人だかりができており、それを押しのけて中を覗くと、そこは血の海になっていた。
強盗は周囲の人々の手によってすぐに捕えられ、トルバルの前に突き出された。トルバルは燃え盛るような怒りと悲しみで我を失っていた。彼の人生が明確に狂い始めたのはこの日からである。
——復讐するべきだ! 殺してしまえ!
人々は叫んだ。十四歳のトルバルは自身の暴走を止められなかった。砕けそうなほど強く握られたナイフが冷たい空を切り、強盗の身体にに何度も何度もでたらめに突き刺さった。
「トルバル、起きろ」
またもステンに頬を叩かれ、トルバルは目を覚ました。どうやらまた魘されていたらしい。
「戦場の夢か?」
「いや。子供の頃の夢だ。初めて人を殺した時の」
「……俺一人で旧王都へ行っても良いんだぞ」
「変装方法まで考えておいてそれはないぜ。斧を直しに行くんだろ」
研ぎすぎた斧の刃がついに悲鳴をあげたため、町へ行かざるを得なくなった。普通の町や村では受け付けてもらえない。ふたりの持つ道具も立場も特殊すぎるのだ。行くとすれば、無法者の多く集まる訳ありの場所へ行くよりない。
森での自給自足といっても限界がある。道具を持つことをやめ、服を着ることもやめ、獣の如く生きるのを選択できれば話は別であるが、人間らしい生活を続けるためにはどうしても社会との関りが不可欠である。斧やナイフの柄は自作できても刃は自作できない。
トルバルは左耳をぴったりと後ろに倒し、包帯でぐるぐる巻きにした。血が滲んでいるような細工も施す。耳を切られたばかりの若き処刑人とその親方のように見せかけるのだ。くすんだ暗い金髪に薬草の汁を塗り、こげ茶色の髪に染めると、だいぶ印象が変わって見えた。
「これだけでバレないもんか?」
トルバルは耳の細工をいじりながら尋ねた。確かに完璧な細工ではあるが、それでも片耳をなくして髪色を変えただけである。しかしステンは自信があるのか、「人は見たくないものをわざわざ見たりしない」と言ってそれ以上のことはしようとせず、耳のごわつきばかり気にするトルバルの手を無言で叩き落とした。
「実際、俺と歩いてみればわかる。大抵の奴は近寄ってこない」
ステンはそう付け加え、小屋の奥の床下を開けて何かを取り出した。そんなところにも収納があったのかと感心するトルバルをよそに、ステンは取り出したものを広げ、そのまま羽織った。それは血のように赤黒いクロークであった。背には黒い処刑斧が刺繍されている。
「まさか追放された後も着ることになるはな」
ステンは処刑人が身に着ける赤いクロークを自作していた。マヤに「いつか必要になる」と言われ渋々作ったらしいが、自作ということもあり、実物よりやや暗い色をしていた。
トルバルはとてつもなく申し訳ない気分になった。彼の過去を知った今、再び処刑人の象徴であるクロークを着せるのはあまりに酷である。
「それ、俺が着るんじゃ駄目?」
「生憎一着しかない。親方が着て新人がそこにくっついている方が自然だ。前回行った時は移動中だけ着ていた。盗賊も寄り付かなくてなかなか快適だったぞ」
ステンは話しながらせっせと手を動かし、処刑斧を布に包んだ。トルバルも身の回りを整理し、持っていくものをまとめた。なんとなく、もうここには戻って来られないような気がしていた。何かが起こるのか、自分の腹が決まるような出来事が起こるのかはわからない。ただ漠然とここには戻らないという予感がした。
森から旧王都までは歩いて二日ほどかかる。ふたりは荷車にボロボロの斧と高値で取引される塩や酒、鯨蝋の樽などを積み、ロクとマヤに見送られて出発した。歩き出す直前、マヤに耳元で「あなたにも守るべき存在ができるわ。元気でね」と囁かれ、トルバルは「やっぱりそうなのか」と悟った。きっとマヤはすべてお見通しなのだ。同時にステンの身に何か起こるのではないかという心配が一瞬首をもたげたが、マヤはそんなこともお見通しだったようで、ステンには「帰ってきたら話を聞かせてちょうだい」とだけ言って笑った。
——今までありがとう。マヤ。
心の中で呟いて、森を去った。
太陽の光は一層強くなった。陽が登らない極夜とは打って変わり、今度は陽が沈まない白夜がやって来る。夜になっても太陽は水平線の向こうに沈まず、たとえ真夜中であっても夕暮れ時のような明るさが続く。
「これで本当に襲われないのか?」
頭巾を目深に被ったふたりは森を抜け、大きな岩の転がる草原を突っ切るようにして歩いていた。こういった場所にはよく盗賊が出るという話をトルバルは聞いたことがあった。
「処刑人の荷車を襲う盗賊なんて滅多にいない。よっぽどの馬鹿でなければ」
ステンはふんと鼻を鳴らした。しかしすぐに足を止め、遠くの岩陰を見やった。気配に気づいたのはトルバルも同じだった。大きな岩陰に何かがいて、こちらを見ている。一瞬、トルバルは自分を待ち伏せている王都からの追手かと思い身構えた。だが、岩陰に潜む者たちは、自ら大声で声をかけてきた。
「止まれ! 荷車を見せろ!」
「武器を捨てて跪け! さもなくば犬の餌だ」
岩陰から盗賊が六人、犬と共にわらわらと姿を現した。
「本当に出たぞ。『よっぽどの馬鹿』が」
ステンは特に慌てる様子もなく、半ば呆れた様子でそんなことを言った。
「荷車に何を積んでやがる」
盗賊のひとりが言った。
「死体だが?」
ステンは即答した。
「隣村で処刑した罪人を家まで持ち帰るところだ。見るか? 見ればお前ら全員呪われるが」
ステンが毅然とした態度で告げると、盗賊たちは怖気づいた様子でお互いに顔を見合わせた。
「なあ、死体だってよ。信じるか?」
「でも確かに妙なにおいはしてるぜ」
「だから処刑人なんて襲うのは止そうと言ったんだ。気色わりぃ」
「やっぱり子連れや女を狙うべきだった」
トルバルは言い返したい気持ちを必死に抑え、無力な新人を演じていたが、何かあればすぐにでも斬り殺せるよう身構えていた。
「死体が何だってんだ。死体なんて俺らは見慣れてら。それに犬が死肉に反応しない。それにこのにおい……怪しいぜ」
犬を連れた盗賊が荷車に掛けられた革へ手を伸ばす。それと同時にステンがトルバルに鋭い視線を送った。




