ブラック国家の崩壊は速やかに
夜の闇を裂いて、我がグリムワルド公爵家の特注馬車が爆走していた。
車輪には魔導式の衝撃吸収機能がついており、どれほどスピードを出しても乗り心地は最高だ。
「ふう……すっきりしたわ」
ふかふかのシートに深々と体を預け、私は温かい紅茶を口に含んだ。
窓の外を流れていく王都の夜景。遠くに見える王宮からは、なんだか警報魔法の赤い光と騒音がひっきりなしに上がっている。実にツヤウマ(肌のツヤが良くなる)景色だ。
「お疲れ様でした、お嬢様。これにてアルカディア王国での全業務、終了でございますね」
御者台から顔を出したのは、我が家の執事長であるハンスだ。御年六十歳。かつては凄腕の傭兵として名を馳せた男だが、今は我が家の忠実な(そしてブラック王家に激怒していた)社畜仲間である。
「ハンス、公爵邸の撤収作業はどうなったの?」
「完璧でございます。屋敷の家具、絵画、金銀財宝はもちろんのこと、庭の樹木や大理石の敷石、さらには壁紙に至るまで剥がして回収いたしました。現在、グリムワルド公爵邸は『綺麗な更地』となっております」
「壁紙まで!? やりすぎじゃないかしら!?」
「いえいえ、あれらはすべて我が公爵家の私財で購入したものですから。一粒の塵すら、あの泥棒王家に残すわけには参りません。あ、それから、地下のワインセラーにあった王家からの預かり物の高級ワインですが……」
「どうしたの?」
「うっかり事故で、すべて我が家の馬車に積み込まれてしまいました。いやあ、うっかり、うっかり」
「ふふっ、ハンスったら。最高よ」
私たちは顔を見合わせて笑った。
悪党? 結構じゃない。
真面目に生きて損をするくらいなら、徹底的に奪って笑って去る悪党になる方が、100億倍マシだ。
馬車は数時間の爆走の末、アルカディア王国と隣国『グランベルド帝国』を隔てる国境の関所に到着した。
通常、夜間の国境越えは厳しく制限されている。しかも「国外追放された罪人」となれば、捕縛されるか、身ぐるみ剥がされて放り出されるのがオチだ。
しかし、私たちは違う。
「止まれ! 何者だ!」
国境の警備隊長が、槍を構えて馬車を制止する。
私は馬車の窓を開け、先ほどジュリアン殿下から賜った「正式な国外追放命令書(王家の紋章入り)」を、ヒラヒラと見せつけた。
「ごきげんよう、隊長さん。私、アルカディア王国のエルシリア・フォン・グリムワルドと申しますの。たった今、王太子殿下より『即刻の国外追放』を命じられましたので、命令通り、今すぐこの国を出ていこうと思います」
警備隊長は、提示された書類と私の顔を交互に見比べ、目を見開いた。
「えっ……追放……!? エルシリア様が!? い、いや、しかし、そんな急な……! 上からの報告は何も受けておりません!」
「王命ですわよ? これを無視すれば、あなたも同罪になりかねませんわ。さあ、早く門を開けてくださらない? 私、王命を破るような不敬なマネはしたくありませんの」
「あ、いや、しかし……! エルシリア様が追放されたら、国境の魔力結界の維持費は誰が払うのですか!?」
「さあ。王太子殿下と聖女様にお聞きになって。では、さようなら!」
ハンスが馬に鞭を打つ。
「開けろ! 門を開けろ!」
警備隊長の悲鳴のような指示により、重々しい鉄の門がゆっくりと開いていく。
我が家の馬車は、一切の滞りもなく、優雅にアルカディア王国の国境を越えた。
――バタン。
門が閉まる音が響く。
その瞬間、私の背後で、アルカディア王国の国境を守っていた巨大な魔力結界が、パリンとガラスが割れるような音を立てて弾け飛んだ。
魔力供給が途絶えたのだ。
これからあの国には、隣国からの厳しい関税、魔物の侵入、そして未払い金の取り立てという名の「地獄の現実」が雪崩のように押し寄せることになるだろう。
「ああ……なんて美しい夜空かしら」
国境を越えた先、グランベルド帝国の空気は、驚くほど澄み切っていた。
もう、誰も私に不当な残業を命じない。
誰も私に「完璧な公爵令嬢」を求めない。
私を嘲笑う愚か者も、私の成果を横取りする泥棒猫もいない。
自由だ。完全なる自由!!
「お嬢様、グランベルド帝国の帝都まで、あと数時間ほどで到着いたします。旦那様が手配された高級ホテルで、温かいお風呂と最高の朝食が待っておりますよ」
「楽しみね、チェルシー。私、明日はお昼過ぎまで泥のように眠るわ。それからショッピングに行って、一番高いドレスを買って、夕方からは高級レストランでワインを飲むの。完璧なニートの休日よ!」
「お供いたします、お嬢様。……あ、それから」
チェルシーが、思い出したように手紙を一枚取り出した。
「グランベルド帝国の『あの御方』から、お嬢様宛てにメッセージが届いております」
「あの御方?」
私は首をかしげながら、金箔の押し押しが施された豪華な封筒を受け取った。
差出人の名前を見て、私は思わず目を見張る。
『グランベルド帝国皇太子、および全軍総司令官――クロード・フォン・グランベルド』
……クロード皇太子?
グランベルド帝国の若きカリスマであり、冷徹無比な「氷の皇太子」として恐れられている人物だ。数年前の外交パーティーで一度だけ挨拶をした記憶があるが、なぜ彼から私に?
手紙を開くと、そこには達筆で流麗な文字が躍っていた。
『愛しいエルシリア嬢へ。
まずは、ブラック国家からの脱出、心よりお祝い申し上げる。
君が王太子ジュリアンという愚か者を捨て、我が国へ亡命してくるこの日を、私はどれほど待ち焦がれたことか。
君が国境を越えた瞬間、我が帝国の最高権限をもって、君の永久亡命を受け入れた。
つきましては、君に新しいお仕事(と言っても、週休三日、有給無制限、年収はアルカディア王国の十倍、残業ゼロ)のオファーをしたい。
役職は――【グランベルド帝国皇太子妃、兼・国家最高経営責任者】
断る権利は君にあるが、断られた場合、私は君を力ずくで抱きしめて泣きつく用意がある。
帝都で君を待っている。我が愛しい、完璧な悪女よ』
「………………」
私は手紙を静かに畳んだ。
「チェルシー」
「はい、お嬢様」
「……この国の皇太子様、私の想像以上に重くて、ちょっと頭がおかしいかもしれないわ」
「あら、素晴らしいではありませんか。前の男は『軽くて頭がおかしい男』でしたから、それに比べれば大した進歩でございます」
「そういう問題かしら!?」
私は頭を抱えた。
せっかくブラック企業を退職して、念願の「ニート生活」を手に入れたと思ったのに。
どうやら私の目の前には、条件が良すぎる(そして重すぎる愛をぶつけてくる)「ホワイト企業のスーパー超破格オファー」が待ち構えているらしい。
「まあ……いいわ」
私はくすりと笑い、窓の外の月を見上げた。
「まずはゆっくり寝てから考えることにするわ。私のバカンスは、まだ始まったばかりなんだから!」
暗闇の中、爆走する馬車は、新たな波乱と爆笑の待つ帝都へと向かってひた走るのであった。




