利用した日
真琴は、母からの電話を無視するようになっていた。
出ればまた、
「ちゃんと食べてる?」
から始まる。
「人に迷惑かけちゃだめ」
「嫌われるようなこと言っちゃだめ」
「我慢できる子が一番えらい」
母は昔からそう言った。
正しいと思う。
でも時々、息が詰まりそうになる。
最初は罪悪感があった。
でも、一度無視すると、
二度目は少し楽になる。
三度目には、通知を見るだけで消せるようになった。
人は慣れる。
良くないことにも。
「最近付き合い悪いよね」
昼休み。
後輩が笑いながら言う。
「前はもっと残業代わってくれたのに」
冗談っぽい口調。
でも真琴は一瞬だけイラついた。
前は断れなかった。
でも今は、蓮との時間を優先したかった。
「ごめん、最近ちょっと忙しくて」
自然に嘘が出た。
後輩は気にしていない。
「そっかー」
笑って終わる。
それだけ。
なのに真琴は、
心のどこかが冷えていくのを感じた。
嘘って、
こんな簡単につけるんだ。
その夜。
蓮は珍しく機嫌が悪かった。
「マジで終わってるわ」
ソファに沈みながら言う。
「どうしたの?」
「金返せってうるさくて」
真琴は黙る。
蓮は煙草に火をつけた。
「俺だって好きでこうなってるわけじゃないのに」
イライラした声。
真琴は、そんな蓮を見るのが苦しかった。
助けたい。
そう思う。
でも、自分の口座ももう厳しかった。
「……ごめんね、私もうあんまり」
「いや、いい」
蓮はすぐ遮った。
「真琴ちゃんに頼りたくないし」
その言葉に、また胸が痛くなる。
「たださ」
蓮が煙を吐く。
「会社で誰か金持ってそうな人いない?」
真琴の呼吸が止まる。
「え……」
「いや、 借りるだけ」
軽い口調。
「真琴ちゃんの紹介なら安心されそうだし」
断ればよかった。
本当は。
でも真琴は、すぐには否定できなかった。
蓮を困らせたくなかった。
嫌われたくなかった。
見捨てたくなかった。
いろんな感情が混ざって、
境界線が曖昧になる。
「そういえばさ」
翌日。
真琴は休憩室で、後輩へ話しかけていた。
「投資とか興味ある?」
言った瞬間、
胸がざわつく。
後輩は首を傾げた。
「え、なんですか急に」
「知り合いが、結構詳しくて」
蓮に頼まれた言葉を、
そのまま口にする。
「少額でも増えるらしくて」
自分で言いながら、
どこか他人事みたいだった。
後輩は笑う。
「真琴さんが言うと怪しく聞こえないですね」
冗談っぽく。
でも、その言葉が妙に胸へ残る。
夜。
「ありがとう」
蓮が笑った。
「助かった」
真琴はうつむく。
「まだ、紹介しただけだから」
「それでもだよ」
蓮は優しく言う。
「真琴ちゃんって、本当に俺の味方だよね」
その言葉が欲しかった。
だから真琴は、自分の中の違和感を押し込めた。
数日後。
後輩が泣きそうな顔で言った。
「真琴さん……」
胸がざわつく。
「お金、 まだ戻らなくて……」
真琴は言葉を失う。
「あの人、連絡つかないんですけど」
喉が乾く。
でもその瞬間、真琴の頭に浮かんだのは、
“どうしよう”
ではなく。
“私のせいじゃない”
だった。
その考えに、真琴自身が一番驚いた。
帰宅後。
真琴は鏡を見る。
ちゃんと化粧して、
ちゃんと働いて、
ちゃんと笑っている。
職場では、
今も「いい人」だった。
なのに。
真琴は今日、
初めて他人を利用した。
そして。
思っていたより、
簡単だった。




