やっぱりおかしいと思った日
由梨が職場を辞めた。
理由は、
「家庭の事情」とだけ共有された。
真琴は、
その報告を聞いた瞬間、
胸の奥がざわついた。
でも、
ほっとした気持ちもあった。
もう、
顔を合わせなくて済む。
そう思ってしまった。
その感情を見ないふりした。
「由梨から連絡きた?」
蓮が聞く。
真琴は首を横に振る。
「そっか」
蓮は少しだけ安心したように笑った。
最近、蓮と会う頻度は増えていた。
仕事帰り。
休日。
終電後。
真琴の部屋に来ることもあった。
最初は申し訳なさそうにしていた蓮も、
いつからか自然に歯ブラシを置くようになった。
でも、
付き合っているのかと聞かれると、
真琴にはよくわからなかった。
ただ、
必要とされている感じがした。
それが心地よかった。
その日。
蓮は珍しく黙っていた。
「どうしたの?」
聞くと、
困ったように笑う。
「いや……
ちょっと金がきつくて」
真琴の胸が小さく反応する。
でも蓮は、
すぐに首を振った。
「ごめん、
こんな話したくなかった」
「何かあったの?」
「元々さ、 親の借金背負ってて」
静かな声だった。
「返済、今月ちょっと厳しくて」
真琴は黙る。
蓮は笑った。
「大丈夫。
なんとかするから」
その“なんとかする”が、
逆に真琴を苦しくさせる。
助けたい。
そう思ってしまう。
でも同時に、
頭のどこかが警告していた。
由梨の言葉。
『女に寄生する』
真琴はその記憶を振り払うように言った。
「……いくら必要なの?」
翌週。
真琴の口座残高は、
ほとんど消えていた。
蓮は何度も頭を下げた。
「本当にごめん」
「返すから」
「真琴ちゃんだけは裏切りたくない」
その言葉に、
真琴は救われた気がした。
自分は特別なんだと思えた。
由梨とは違う。
自分は、蓮を理解している側なんだと。
仕事中。
真琴は小さなミスをした。
請求書の入力。
数字がひとつずれていた。
「珍しいね」上司が笑う。
「疲れてる?」
真琴はすぐ頭を下げた。
「すみません」
周囲は誰も責めなかった。
むしろ、
「真琴さんがミスするなんて」
と驚いていた。
それが逆に苦しかった。
帰宅途中
知らない番号から電話が来た。
「はい」
『あー…… 真琴さん?』
男の声。
少し酒焼けしている。
『蓮と一緒にいる子だよね』
真琴の足が止まる。
「……どちら様ですか」
『あいつに金貸してる人、
他にもいるから気をつけな』
心臓が跳ねる。
『まあでも、
あんた優しそうだから無理か』
笑い声。
『ちなみに由梨ちゃん、
あいつのせいで結構壊れてたよ』
通話が切れる。
部屋へ戻ると、蓮がいた。
「おかえり」
ソファで笑う。
いつもの優しい顔。
真琴はしばらく、
その顔を見ていた。
「どうした?」
「……蓮さんって、
他にもお金借りてるの?」
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ、
蓮の表情が止まった。
でもすぐ笑う。
「誰に聞いたの?」
「電話が来て……」
「あー」
蓮は小さくため息を吐く。
「元カノあたり……かな」
苦笑。
「俺、
別れたあと結構悪く言われるんだよね」
真琴は何も言えない。
「信じなくてもいいよ」
蓮は静かに言った。
「でも、
真琴ちゃんまで俺を疑うなら、 もうしょうがないし」
その言葉が、
真琴の胸へ刺さる。
疑う=傷つける。
その構図に、
真琴は弱かった。
「……ごめん」
気づけば謝っていた。
蓮は少し笑う。
「謝んなくていいよ」
そう言って、
優しく頭を撫でる。
真琴は目を閉じる。
安心したかった。
だから、
見ないことにした。
テーブルの上。
蓮のスマホに、
一瞬だけ表示された通知を。
『来月こそ返して』
女の名前付きのメッセージを。




