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いっちゃん(第二部)  作者: Thomas C. Knitter


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第二十五話「いっちゃん、就職活動をする」

昭和二十七年。

中学三年生になった私に「就職」という大きな壁が立ちはだかった。

昭和二十七年。

私は中学三年生になった。


この三年間、栄子やむつ美のおかげで楽しく学校生活を送ることができた。

書道でも、いろいろ賞を獲った。そろばんも四級まで獲ることができた。

(このままこの生活が続いたらいいのに)とさえ、思うほどになっていた。

でも、心の奥では、すぐ違う生活になるのだろうと思っていた。

そして、それは新たな放浪が始まることのようにも思えた。


そんな私に待っていたのは就職活動だった。

これがなかなか厄介な問題であった。

その当時は男子の進学は多くなっていたが、女子は就職する人がほとんどだった。

私は教師になりたいと思っていたのだが、自分の現状から進学は叶わないことと諦めてもいた。


そもそも私には、進学にしても就職にしても他の子にはない問題が三つあった。


一つは片親であること。

本当は大手のTという会社に入りたかったが、戦時中に父を亡くした私は、片親だという理由だけで、その会社を受験することができなかった。


二つ目は戸籍。

私は今だに、戸籍上は『山本禮子』のままだったのだ。

このままでは、山本禮子としてしか、就職できない。

かと言って、山本の家には二度と行きたくない。

考えた末に母に戸籍を取り戻してもらうように頼んだ。


母は、

「わかった。必ず、戸籍を返してもらってくるけぇ、心配せんでいい」

と言ってくれ、半月ほど経ったある日、母が伯母のうちにやってきた。

私を見つけると、母はいきなり、こう言った。

「いっちゃん、あんた、あの家でよう辛抱したの。私が戸籍のお願いに行ったら、オニババみたいな顔をした女が出てきたで。いやぁ、びっくりした!」

「ほうじゃろ。私が行きたくないの、わかったじゃろ?」

「うんうん、ようわかった。あんた、すまんかったなぁ。ほんまに苦労かけて」

と母は泣き出しそうになったので、

「ところで戸籍は?」

と聞くと

「ああ、返してもろうた。ちゃんと手続きもしてきた。今日から正真正銘、『上山衣津子』じゃ」

「ほんま?返してもらえたん?うれしい〜。よかったぁ。これで就職活動できる」

「あんた、どこへ就職するつもりなんか? 前はT社がええ、言よったが?」

「うん。でもあそこは片親じゃ入られんけぇね。G社の工場なら入れてもらえそうなんよ。そこに就職したら定時制の高校にも行かせてもらえるらしい。私は教師になりたいから、そこにしようと思うとるんじゃ。担任の先生が推薦してくれとるけぇ、戸籍さえあれば大丈夫じゃ思う」

「ほうか。ずっと苦労をかけるのう」

「よし、これであと一つじゃ」

「あと一つ?まだ、なんかあるんか?」

「うん。これが一番の問題」

「どんな問題?言うでみんさい」

と、突然、玄関がガラッと開き、伯母が入ってきた。私と母の会話が聞こえていたらしく、不機嫌な顔で言った。

「衣津子は就職なんかせんでええ。ここで花嫁修行をしょうりゃあええんじゃ」


——あぁ、これが三つ目の問題。(こりゃあ絶対、許してもらえん…)そう思って下を向いた瞬間だった。

母が一歩進み出て、伯母に深く頭を下げた。

「コノブ姉さんにはようしてもろうた。本当に感謝しとります。でも、衣津子は小さい時から、ずっと苦労してきた子なんじゃ。この子の思うようにやらせてください」

伯母は腕を組み、しばらく黙った。その横顔を見ている時間が、とても長く感じられた。

「わしゃあ、この子を五年の時から見てきたんじゃ。責任がある。…アヤ子がどう言うても、わしぁあ許さん」

「お姉さん…」

母はそれ以上、言葉にできなかった。私は胸がぎゅっと縮むような気持ちで立ちすくんだ。

しばらくして、伯母がふと私に目を向けた。

「……その会社、定時制へ行かせてくれるんか?」

「えっ……行かせてもらえるよ。女の子でも学がないといけん時代になるから、大きな会社はそういう道を作っとるんよ」

伯母は大きく息を吐き、目を細めた。

「ほうか……。わしらの頃とは違うんじゃのう。——ええよ。衣津子がそう言うんなら、そこへ行け。ここにおっても高校へは行かせてやれんけぇの」

「えっ、ほんまにええん?」

「学校の先生になりたいんじゃろ?」

「え?聞こえとったん?」

伯母は鼻で笑った。

「聞こえとるも何も、そがぁなこと…。何年お前を見とる思うとるんね。わしだって鬼じゃなぁ。衣津子は字も上手いし、そろばんもできる。ほんまはもっと勉強させてやりたい思うとったんじゃ。じゃが、うちも子が多いし…どうにもならんで困っとった」

「伯母さん…」

「へじゃがの、なんかあったら、すぐ戻ってこいよ。ここが衣津子の家じゃけぇ。遠慮はいらんのんじゃ」

——その言葉は、これまでのどんな叱責よりも、深く胸に残った。

私は泣き笑いの顔になってうなずいた。

母は何度も伯母さんにお礼を言って帰って行った。


(つづく)

三つの壁の先に、ようやく見えてきた「自分の道」。

伯母さんの厳しい言葉の裏にあった優しさに触れ、いっちゃんは確かな居場所を感じることができました。

いよいよ、新しい世界への一歩が始まります。


来週もお楽しみに。

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