第二十二話「いっちゃん、そろばんを習う」
急斜面から同級生を引きずり落とした翌日、 私は、担任の先生から職員室に呼び出された。
そこには、左手首に包帯を巻いた彼女の姿があった。
入学式の翌日、担任の先生から呼び出された。
職員室に行くと、昨日、急斜面から引きずり落とした相手の子も来ていた。
見ると左手首に包帯を巻いていた。
私はそれを見て、(しまった、やりすぎたな)と思ったが、そんなことは顔に出さず、先生の前に立った。
「上山、お前、入学早々、喧嘩したんか?」
担任の声が低く響いた。
「いえ、ちょっとふざけて足を滑らせただけです」
私が言い訳をする前に、彼女がそう言った。
私は、一瞬、言葉を失った。
「上山、そうなんか?」
「そうです。そうよね。上山さん」
彼女は間髪入れず、先生にそう言った。
「そうか、なら、今後は、気をつけえよ。もういい、二人とも教室に帰れ」
結局、私はひと言も喋らず職員室を出た。
「ちょっと、さっきのどういうこと? 私が悪いんじゃけぇ、先生にそう言うたらええじゃないね」
「違うんよ。うち、上山さんに謝りとうて」
「へ?どういうこと?」
「放浪してたこと言えばいいなんて、ちょっと無神経じゃったのと思ったんよ」
「それ、同情しとるん? そがぁな同情はいらんよ」
私はなおも警戒した顔でそう答えた。
「うちもね、養子に出されとるんよ。じゃけぇ、上山さんとじゃったら仲良うなれる思うたんじゃけど、どう話したらいいかわからんかったけぇ、あんな言い方になったんじゃ。じゃけえね、悪気はなかったんよ。ただ気取らんでもええのにって、ほんまにそれだけの気持ちじゃった」
「え? 本当にそれだけ?」
「そう、それだけなんよ」
「ほしたら、私、とんでもないことしたんじゃ」
私はこの時になってはじめて顔が赤くなるのを覚えた。
「ねぇ、昨日ことはもうええけぇ、友達になってくれん?」
「ほんま? ほんまに私と友達になってくれるん?」
「うん、上山さんなら友達になれるって昨日、あなたを見た時にピンと来たんじゃ。私の予感は当たるんじゃけぇ」
「変なの」
私は笑顔になった。
「でも、わかった。友達になりましょう。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。あ、私は横山栄子、みんな『えいこ』って呼んどる」
「私は……」
「上山衣津子。いっちゃんでしょ? みんな、いっちゃん、いっちゃんって言っとったの聞こえてたから知ってる」
私は彼女のこと、何も知らなかった。それが少し恥ずかしい気がした。でも、友達になれたのは正直嬉しかったし、ありがたかった。
私はウキウキした気分で家に帰った。
「ただいま〜」
玄関を開けると、
「衣津子、ちょっとこっちへ来い」
と怒った表情で伯母さんに台所に連れて行かれた。 「衣津子、お前、喧嘩したんか?」
私は、(やばい、先生から連絡があったのか)と思い、
「いや、あれは、新しく友達になった子とふざけてて急斜面からずり落ちただけで……」
栄子が担任に言った言い訳を、そのまま使って伯母に言った。
「ふ〜ん。まぁ、怪我しとらんのなら、もうええ。じゃが、見とるとどうも、男まさりのようなところが目立つようになってきたのう。伝は元からがんぼなところがあったが、衣津子には似合わんで。お前、明日から、そろばん習いに行け。役場の二階でそろばん教室をやっとんじゃ。なあに、もう話はつけてある。月謝も払い込んどるけぇ、絶対、行けぇよ」
「え、そろばん? あ、は、はい、わかりました。明日から行きます」
昨日の喧嘩のことでバツが悪かったせいもあり、嫌だということもできず、私は次の日から、そろばん教室に通うことになった。
通ってみると、意外にこれが楽しい。
最初は8級からだったが、小学四年生くらいのレベルでなんなくこなせた。
7級の練習問題も余裕。6級もなんとかついていける。
私はそろばんが楽しくなった。
こうして私は、学校帰りに週2回、そろばん教室に通うようになった。
(つづく)
喧嘩の「お仕置き」のつもりが、思わぬ才能の発見に。
パチパチと響くそろばんの音は、いっちゃんにとって自立への第一歩となる心地よいリズムでした。
明日もお楽しみに。




