78 タナトスの誘惑
「赤毛の旦那、いなくなっちまったんですか?」
異常事態を察した平三は身を隠すのをやめて出てきて洞窟を覗いた。
洞窟の前で座り込んでいた千佐は無言でねめつける。
ただ沈んでいた千佐だったが、平三に声をかけられて苛ついたことにより、気性が前を向いた。千佐は変なところで負けず嫌いなのだ。
「誓ひをする」
立ち上がって背筋を伸ばした。弓に矢をつがえる。
「クリフォード様は必ずこの地に帰られる。帰るのならば、矢よ、この岩壁を通せ」
宣言すると矢を放った。矢は岩壁に突き刺さり、そのままゆっくりと向こう側へと消えていった。
「誓ひは成った。クリフ様は帰って来られる。それまで私は祈祷をする」
「おお……」
一連の出来事に平三は感嘆の声を漏らす。
「おっ、そうだ。俺、ちょっと見てきましょうか」
思い付いたと声を上げる。
「なにを?」
「だから、向こうを見に行ってくるんですよ」
言って、岩壁の方を指差す。
「さくっと戻ってこられるように命綱でもつけて行きますよ」
「よし、少し待て」
清六は笛を取り出すとひと吹きした。澄んだ音が響き渡ると、答えるように笛の音が返ってくる。
「鷹の人ですか」
平三が問うと、うなずく。しばらくすると、行商の格好をした男が山に入ってきた。事情を話すと、荷物から縄を出してくれる。
「ほんじゃ、行ってきまーす」
平三は軽い調子で向こう側へ行こうとする。
「必ず帰れ」
短く一言だけだが、言霊付きの声がかけられた。平三はぞくぞくと沸き上がる喜びに震える。
「おっしゃーーー!」
俄然、勢い込んで向かっていった。
青年は疲弊していた。
この世とは思えぬ異世界に連れてこられて何日が過ぎたのか。ここは日の出入りもなく夜も来ないので、時間の感覚はなくなってしまった。
なんとなく疲れては眠り、腹が減れば食料を探し、魔物と出逢えば戦う。それの繰り返しだ。
はじめの内は、数を数えるなどして日付感覚を維持しようとしていたが、それもやめてしまった。
今日は食料を探しに数人と隊を作って探索に出た。動けば必ず魔物と出逢ってしまう。最初は不運を呪ったが、ここまで生き残れたことを思えば幸運だったのだろう。
だが、繰り返される襲撃に日に日に心は折れていく。
もう、そろそろ楽になりたい。最近は、常にそう思っている。漫然と戦うので、振るう刃に鋭さが失われつつある。
今回出てきた魔物は、遠目には泥人形のように見えた。倒すために近づけば、その体躯に無数の顔が浮かぶ。その顔が、今まで彼の目の前で死んでいった者達の顔で、それが口々にしゃべるのだ。
「助けて、助けて……助けて欲しかっ……」
「もう楽にしてください楽に楽に」
「どうして私がこんな目に」
「死にたくない死にたくない死にたくない」
「許して……もう許して」
剣を持つ手が震える。早々に戦う気力は失せた。
「何をしている!?」
他の人間に責められるが、体が動かない。
ーーもう、食われるのを待つのみ
覚悟を決めた矢先、魔物の頭が吹っ飛んだ。同時に足も吹き飛ぶ。
レオが頭を攻撃し、クリフォードは足を攻撃する。吹き飛ばし、支えを無くして倒れかけたそれを真っ二つに切断する。二つになった泥人形の体躯から人間と同じ大きさの泥人形が複数生まれた。それが完全な人形になる前に、攻撃をして消していく。
とにかく素早さが肝心だ。相手に攻撃の隙など与えない。
泥人形はよく見れば完全な人の姿に擬態しようとしていたが、それも無視する。まともに見てしまえば、倒す気概が削がれる。殲滅することに集中した。
最後の一体を切り伏せてこれで終わりかと思ったが、しぶとくも半身だけで擬態をしようとあがいてくる。
それが擬態した姿はエレノアだった。
「あなたはいつだって死にたがっている」
エレノアになりかけているそれが、話しかけてくる。
「あなたもこちらに来ればいいのに。そうすれば未来永劫、二人は一緒にいられる。もう離ればなれになることも、悲しむこともなくなる」
クリフォードはため息を吐いて刀の束を握り直した。
「やめろ!」
目の前でエレノアの姿の魔物が切り伏せられた。エレノアの頭部は脆くも崩れ去る。
「やめろ……やめろ……」
涙ながらに剣を振るったのは、ガウェインで見たことのある青年だった。
「エレノア様を騙るな……」
彼は親の代からアンダーソン家に仕える私兵だった。あの日、いなくなった内の一人である。
「生きていたんだな」
「私一人、おめおめと生き残ってしまいました」
「いいんだ。生きててくれて本当に良かった」
「エレノア様を守ることもできずに……」
泣く彼の背中をクリフォードはさすって労う。彼は幼い頃からアンダーソン家に出入りしていたので、クリフォードは昔から彼のことを知っていた。
その彼が生きていてくれてクリフォードは本心から嬉しかった。
ふと、横で臣下の礼をとる男性の存在に気づく。
「あなたは、ギブソン侯爵……?」
「はい。このような姿でお目汚しすることをお許しください」
「ご無事でしたか」
「はい。私も一人で生き残ってしまいました……娘は今となっては修道院にいて本当に良かったと言えます」
ギブソン侯爵は身に付けている服は汚れているどころか、あちこちが破れてボロボロであった。頬はこけてしまい、白髪は増えてやつれて年齢以上に老けて見えた。
それでも、目つきは爛として鋭く、背筋はまっすぐに伸ばされている。
「クリフォード殿下、あなたもご無事でなにより」
「殿下!?」
レオが大声を出す。
「あんた、王子様なのか!」
「シー」
騒ぎ立てるレオに、静まるよう口前で人差し指を立てる。
「いや、なんだよしーって! 今さら!」
レオは自分にばれたのに口をつぐむよう言う理由がわからずになおのこと騒ぐ。
「殿下……?」
「あの方はクリフォード殿下なのか!?」
「クリフォード殿下!」
レオが騒いだことで気づいてなかった他のガウェインの人々が気づいて大騒ぎし始めた。
「あーあーあー」
「あっ、すまん……すいません」
押し寄せてくるガウェインの人々を見て、レオはようやく静まるように言われた意味を知った。




