219話
街外れには『学校』と呼ばれる施設があった。
でもそれは一般的によく知られる『学校』とはまったく違う施設だ。
普通の『学校』は『貴族が専門職に就くため通う、主に軍士官を育てるための教育施設』である。
対し、その『学校』は『奴隷、貧民、平民など立場を問わず生徒を招き、広く浅い一般教養を身につけさせるための施設』だった。
ブランとノワもすでに何年か通っている施設だ。
二階建ての立派な校舎に、広い運動場。
よく知られる『貴族の学校』みたいな花園も噴水もサロンもないけれど、のどかで居心地のいい場所だと、ブランは感じている。
ただし、今はまだまだ明朝と呼べる時間帯で、学校は静まり返っている。
朝靄の立ちこめる運動場を横断して、ブランとノワは校舎へ入る。
鍵はかかっていない。ということはもう誰かいるのだろう。
目的の場所は一階中央に存在した。
『校長室』。
その内部には、ブランとノワもよく知る老女がすでにいることだろう。
重厚な木製の扉をノックする。
「どうぞ」というしわがれた声がしたので、ブランはドアを開け、ノワを引きずり、中へと入った。
毛足の長い深紅の絨毯と、大小様々な書架が存在する空間。
入った瞬間にはいつだってなんとも言えない緊張感があって、ブランは尻尾を左右にぶらぶらと揺らす。
「……なんだい、生徒かね。こんな早い時間にまあ。ともかく――おはよう」
部屋の奥には大きくて重そうな机があって、そこには一人の女性がいる。
濃い緑色の動きやすそうな衣装に身を包んだ、大きな鷲鼻が特徴的な老女だ。
ブランとノワの通う学校における最高権力者……校長先生、と生徒や教職員からは呼ばれる存在で――
元は奴隷商人をやっていた人で――
ブランとノワを、アレクに売った人、らしい。
もちろん売られた当時の記憶をブランは持っていない。
教えてもらったのだ――アレクに。
ブランは校長に近付いていく。
そして、彼女のいるテーブルに身を乗り出さんばかりの勢いで、
「校長先生、私たちを――」
「朝のあいさつを、しな」
「……おはようございます。それで、私たちを売った人について教えてほしいんですけど」
「朝早くからなにかと思えば」
校長は椅子の背もたれに深く体をあずけた。
そして、天を仰いでから、再びブランへと視線を下げる。
「普通は、教えないもんだよ。奴隷商人――特に子供を扱うアタシみたいな奴隷商人は、子供の過去を詮索しないし、子供に過去を教えない」
「……」
「だが、アンタらになら、教えなきゃあならん」
「なんでですか?」
「アンタらの買い手から、聞きに来たら教えてやるよう頼まれている。……これも普通、買い手から『教えてやれ』って言われたところで教えないもんだが――アタシが『校長先生』なんてやれてるのは、あの男のお陰でね」
「パパ――アレクさんはこの学校の出資者なんですよね? お金を出してもらったから、特別扱いをするんですか?」
「間違っちゃいないが、正解でもない」
「……出資はしてるはずですけど」
「そうだ。そこは、間違っちゃいない。しかし、単なる出資者と同列に語るのは正解じゃないねえ。そもそもこの『貴族のものでもなく専門教育でもない形式の学校』というものは、あの男の――異世界的な、発想さ。ただ金を出しただけじゃあない」
「……」
「それに、今のアタシはこの学校で一番偉い校長先生であると同時に、アンタらのパパの部下でもある。あの男のクランに招かれて、その一部門として、学校経営を任されている――わかるかね? アンタの語る正解は、正解じゃない。間違ってもいないが、一面的でしかない」
「……」
「ただの子供には難しいが、アンタなら、理解できるはずだよ」
それでも、正解は正解じゃないか――ブランの中に不満がわだかまる。
校長は憂鬱そうに息をついて、
「いちおう、奴隷商人時代の通例として、過去を聞きに来た子に必ず言うことがある」
「……なんですか?」
「『アンタの過去は絶対にいいもんじゃないよ』」
「買い取った子供たちの過去を詮索したことはないんですよね? なんで『絶対』って……」
「一つは、絶対に教えるつもりがないからだ。奴隷商人時代、アタシのところに来た子に、その子の過去を教えたことはない。だからただの断り文句さ。それに――詮索はしないが、売り払われた子の過去がいいものだとアタシには思えないんだよ」
「やむにやまれぬ事情があったかもしれないじゃないですか」
「アンタは頭がいいねえ。でも、まだまだガキだ。人の心を知らない」
「……」
「今はまだ、どういう事情か知らないから、言える。でも、実際に自分たちを売り払った連中に会って、売り払った理由を聞かされて――それが本当に、人が人を売るほどの事情に思えるかねえ?」
「……お金がなくって死にそうだったとかなら、わかりますし、許します」
「自分が当事者になったとき、本当にそこまで理性的でいられるかが、疑問だね。第一――顔も知らない、名前も知らない、立場も知らない相手に対し『許す』っていうのはおかしな話だと思わないかい?」
「?」
「アンタは、自分を売った相手を悪者に見てるんじゃないかい? どんな相手かも知らないのに、いい感情は抱いていないんじゃあないかい? もう法律上アンタとまったく無縁の相手なのに、まったくの無関心ではいられない――それが、奴隷にとって自分を売り払った相手なのさ」
「…………でも、私は知りたいです」
「そうかい。じゃあ止めないよ。アンタらのパパのお願いだからね」
「それはやっぱり、お金を出してくれた人だから、ですよね?」
「違う。アタシは、あの男の人を見る目を信じたからさ」
「人を見る目?」
「あの男は人の能力を正確に見抜く力があるんだよ。本人はたしか――ステータスとか、スキルとかが見える、なんて言ってたかねえ。アタシの他にも『これだ』っていうやつには目をつけて、金だけ出して商売を丸投げしてるはずだよ。アンタらのパパはそうやって稼いでる。つまるところ、『人を見る目』において、ほぼ確実に正解を出してるわけさ」
「……」
「他にも色々異様な男さ。だからまあ、アタシとは違う意見だけれど、あの男の判断なら、アンタらに、アンタらの過去を教えよう。いくらアタシが教えるべきでないと思っても、アタシはアタシの判断より、あの男の判断を信じるからね」
校長は立ち上がる。
そして書架の一つに近寄って――いくつかの本を引き抜いたり、本棚の横を叩いたりした。
すると、本棚が動き出す。
奥には金庫があった――隠し金庫だ。
「アンタらのパパが考案した仕掛けだよ。この学校はいたるところにこういう仕掛けがある」
『匠の遊び心』とか言ってたかねえ――そう言って金庫を開き、校長は中から一冊の、古く分厚い本をを取りだした。
そして、最後のページを開き、言う。
「アンタらを売った女が所属していたのは、獣人族の、狩猟型キャラバン――『猫球旅団』」
校長は分厚い本をしばしながめ――
パタンと閉じて、ブランに視線を戻す。
「アタシが最後に取引をした相手で――今ごろはたぶん、王都近辺にいるんじゃないかい? 直接アタシと取引をした女の言葉が嘘じゃなく、今もキャラバンが存続してればね」




