215話
大嵐があった。
記録的、驚異的――当事者にとってみればそんな言葉では言い表せないほどの、またそんなことを言っている余裕もないほどの、大きく強い嵐だ。
その嵐は運悪く周辺を拠点としていた獣人族のとある小規模のキャラバンを直撃した。
山は崩れ、土砂が降り注ぎ、テントを押し流していく――食糧も人も同様に流された。
救助をしようという動きはもちろんあったけれど、雨は痛いほど降りそそいでいて、視界も音も、すべてをかき消していく。
市街であればこれほどの災害にはならなかったかもしれない。
しかし、大嵐に見舞われた彼らは、野生の山野にいた。
『獣人族のキャラバン』と言ったところで、色々な種類や規模がある。
『商売型』と呼ばれる行商を主に行うキャラバンであれば、都市部に拠点を置く場合も多い。
しかしこの時被害に遭ったのは、『狩猟型』と分類される獣人族のキャラバンだ。
彼らは山などにこもり野生動物や野草をとることを生業とし、季節ごとにキャンプ地を変える。その時たまたまキャンプ地としていた場所に嵐が直撃したことは、不幸と言うよりない。
そんな中、双子の赤ん坊が生まれた。
慶ばれるべきことである――ただし、いくつかの、慶べない事情があった。
一つはもちろん、その時に直撃していた嵐である。
音も視界も通らない、周辺では怒号や悲鳴が聞こえる嵐の中、その双子は、産声をあげた。助産師と母親にしかとどかない、産声。
さらに、その双子は獣人王家の血を引くとされる家系で生を受けた。
もっともこの話は眉唾だ――どのキャラバンにも一つぐらいは、『初代獣人女王カグヤの末裔』を名乗る、あるいは、そう目される家は存在する。
だいたいの慣習として、『王家の血を引く』とされる一家は、どのキャラバンでも祭事を担っていた。
冠婚葬祭――慶事も弔事もキャラバンごとの儀式を、定められた手順で取り仕切るのが、今の獣人王家の役割だ。
これのなにが『慶べない事情』なのか――そう問われて明確な答えを返すことのできる者は存在しないだろう。
ただ、不幸と幸運が重なってしまったのが、いけなかった。
前提として、自然災害が止めようのないことだというのは誰しもが理解している。
狩猟型キャラバンは山野を根城とし、王都などの市街で彼らを見かければすぐに『それ』とわかるぐらい非文明的ないでたちをしているが――
嵐を人為で止められないことぐらい、それでも、もちろん、言うまでもなく、知っている。
もっとも、だからなにもしていないというわけでもない。
狩猟型キャラバンはどこもキャンプ地を移す前に『祈祷をする』という習慣があった。
これは移動前にいた狩り場の恵みに感謝を捧げ、移動後に訪れる狩り場での安全を祈るという儀式である。
儀式――すなわち、王家の末裔を名乗る一家が取り仕切る、祭事。
その祭事を行ったにもかかわらず、キャラバンが壊滅するような嵐が訪れ、多くの者が亡くなり――
双子は、生まれた。
キャラバン全体に重くのしかかる不幸の中、祭事を司る一家だけに、慶びは訪れた。
……なにが悪いかと言えば、空気が悪かったというより他にない。
キャラバン全体が恨むべき相手を探していたというのもあったかもしれない。
『しょうがなかった』で済ませられない被害をもたらした大嵐と、その中生まれた王家の、しかも双子――初代女王カグヤが双子だった、とそのキャラバンには伝わっていたので、初代と同じく非常にめでたい双子の子供――これに不思議な符合を感じた者がいたのは、ありえないと言いきれはしないだろう。
我らのキャラバンにいる王家は、キャラバンから幸運を吸い上げているのではないか?
災害は、王家のせいではないのか?
あの王家と――これからも、ともにいて、いいのか?
……そう思う者がいたとして、仕方がないことではあった。
もちろんそれは、異常な考えである。
自然災害の責任を特定の一家にとらせようなどと、普段は誰も思わない――たとえそれが、都会で暮らす者からはしばしば非文明人的な扱いをされる狩猟キャラバンの者でもだ。
彼らには、常識がある。
愛もある。
彼らは都会の者がそうするように、あるいは都会の者以上に、隣人を愛し、家族を愛し、生まれたばかりの子を愛し、年寄りを愛した。
その中でも特に自分たちのキャラバンにいる王家を敬愛し、自分たちのキャラバンにいる王家こそが、本物にして正統な王家である――そんなふうに、他キャラバンと言い争いになることさえあった。
愛があって、加護を信じていた。
だからこそ未曾有の大災害を前にして――裏返る。
家族を奪った大災害。
自分たちを守護してくれているはずの王家だけが、子供をさずかるという慶事。
しかも、初代女王と同じとされる、双子の、女の子。
慶べるわけがなかった。
むしろ、その双子のせいでキャラバンは大嵐に見舞われたのだ――そう主張する者さえ出てくる始末だ。
とあるキャラバンは、こうして王家を排斥することに決める。
大嵐の責任を、生まれたばかりの双子の赤ん坊と、その母にとらせたのである。
それは第三者に聞かせれば誰一人納得する者がいないような、理不尽な思いこみだった。
……キャラバンメンバーだって、全員が心の底から信じていたかは疑わしい。
どうしようもない悲しみと、ぶつけようのない自然に対する怒りを向けるに適切だったのがたまたま王家だった――言ってしまえばその程度の理由だろう。
けれど決定は成された。
双子の母は、謹んでその処分を受けることにする――そこには『自分と生まれたばかりの双子は出て行くが、年老いた両親だけは残してほしい』という交換条件もあった。
キャラバンで生まれ育った者は、キャラバン以外の生き方を知らない。
だからキャラバンを出て行かせるというのは、実質的な死刑宣告であった。
まだ若い自分と子供が出て行ってでも、両親を守りたいと、女は思ったのだ。
しかし、産後の体、赤ん坊が双子であること、それから様々な不幸と、女にとっての幸運さえも原因となり――
女は、まもなく赤ん坊を手放した。
……様々な、そして細々とした理由があった。
経済状況、新しい暮らし、思い出したくもないキャラバンの人たちとの記憶――とうてい一言では言えない、『子供を売る』に不足しないだけの理由は、あった。
『母のくせに子を売るなど最低だ』と画一化された無味乾燥な侮蔑だけをするには、あまりに哀れな女の人生。
しかし、これもまた――理不尽には、変わりがない。
双子の赤ん坊にとっては、どうしようもない、不可抗力だ。
こうして言葉をしゃべる前に、双子の赤ん坊は、奴隷として売られた。
――これは理不尽に理不尽が重なった、ただの不幸なお話。
のちに『ブラン』『ノワ』という名を付けられる子供たちの、人生の始まり。




