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ジュリアス前第一王子の幽閉から一ヶ月。
王宮を包んでいたどんよりとした停滞感は姿を消し、まるで長かった冬が明けたかのような活気が全土に満ちあふれていた。
新国王の即位式、そして同時に執り行われる王妃の立后式――。
ルミナス王国の歴史において、これほど国民に心から祝福され、待ち望まれた式典はなかっただろう。
私は王宮の東翼にある王妃専用の執務室で、机の上に山高く積まれた書類と向き合っていた。
ジュリアスが残した杜撰な施策の撤回、見直し、そしてエドワード殿下が新たに打ち出した復興計画の予算配分……。やるべき仕事は星の数ほどあったが、私の心は驚くほど軽やかだった。自分のなす仕事が、正当に評価され、確実に国と国民の糧となっていく実感があったからだ。
「……ふう。これで、北方の関税改正案の最終確認は完了ですね」
羽ペンをインク瓶に戻し、軽く首を巡らせる。コリッと小さな音が鳴った。
「あまり無理をしてはいけないよ、オリヴィア。私の王妃が式の前に倒れてしまっては、国中の民に責められてしまう」
背後からそっと差し出されたのは、温かな紅茶の入ったカップだった。
振り返ると、いつの間に執務室に入ってきたのか、エドワード殿下が優しげな笑みを浮かべて立っていた。上質な漆黒の執務服を纏った彼の佇まいは、日々増していく王の威厳と、私に向けられる甘やかな情愛が同居していて、不覚にも胸が跳ねてしまう。
「エドワード様……お仕事はよろしいのですか? 枢密院との会議があったはずでは」
「先ほど終わったよ。長年、ジュリアスのイエスマンとして甘い汁を吸っていた老害どもを、全員まとめて引退へと追い込んできたところだ」
エドワード様はさらりと恐ろしいことを言いながら、私の隣に椅子を引き寄せ、自然な動作で私の腰に手を回した。そのまま肩に顎を乗せられ、耳元に温かな息が吹きかかる。
「あ……エドワード様、執務中ですよ。侍女たちが見ています……」
「誰もいないよ。退室させておいたからね」
低く愉しげな声に、私の頬がカッと熱くなる。
潜伏生活から戻って以降、エドワード様は私に対する情熱を隠そうともしなくなった。かつての少年らしい遠慮はどこへやら、二人きりになるとこうして素直に愛を囁き、肌を寄せてくるのだ。
「まったく……貴方様は本当に甘え上手になられましたね」
「五年分、君を愛する時間を奪われていたんだ。これでも抑えている方だよ?」
エドワード様は私の手に自分の手を重ね、指を絡め合わせた。彼の指輪と、私の指に嵌められた婚約指輪のダイヤモンドが、陽光を受けて美しく輝く。
「……だが、平和な時間ばかりでもないようだね」
ふと、エドワード様の瞳の奥に冷徹な光が宿った。彼は空いた手で、ポケットから一通の密書を取り出し、テーブルの上に置いた。
「これは……?」
「ジュリアス派だった旧貴族の残党――ガストン伯爵たちの動きだよ。彼らは私たちが進める改革によって不正な利権を奪われ、完全に追い詰められている。そして……どうやら一か八かの大打撃を狙っているようだ」
「大打撃……まさか、明後日の戴冠式ですか?」
「ああ。外国からの使節も大勢集まるあの場で、式典用の爆薬を仕掛け、私と君を一度に暗殺しようと企んでいる。私が死ねば、幽閉中のジュリアスを強引に引きずり出し、自分たちの思い通りになる『傀儡の王』として再擁立できると考えているらしい」
あまりの愚かさに、私は呆れてため息すら出なかった。
ジュリアスという人間がどれほど無能であったか、そして自分たちがどれほど国民から憎まれているか、まだ理解できていないのだ。
「ジュリアス殿下と同じですね……己の欲とプライドのために、国を泥沼に引きずり込もうとするなんて」
「そうだね。だが、安心していい。彼らの企みは、すべて把握している。……オリヴィア、君の手を少し借りてもいいかい?」
エドワード様は悪戯っぽい笑みを浮かべた。その顔は、かつて二人でジュリアスの鼻を明かす作戦を立てていた頃と同じ、少年のような生き生きとした輝きを放っていた。
「もちろんです、私の王。……どのような『おもてなし』をご所望ですか?」
「ふふ、さすが私の愛しい王妃だ。敵を完膚なきまでに叩き潰す準備を始めよう」
◇
戴冠式前夜。
王宮の大広間では、諸外国の使節団や国内の有力貴族を招いた、前夜祭の晩餐会が開かれていた。
絢爛豪華な料理が並び、美しい管弦楽の調べが会場を満たしている。
その華やかな宴の陰で、ガストン伯爵は取り巻きの数人の貴族とともに、会場の隅で不敵な笑みを浮かべていた。
「くくく……エドワードめ、まんまと浮かれおって。明日、お前とあの生意気なアトワール家の女が吹っ飛ぶとも知らずにな」
ガストン伯爵はワイングラスを傾けながら、低く囁いた。
彼らが雇った大陸屈指の暗殺組織は、すでに王宮の地下大聖堂――明日の戴冠式が行われる聖域の床下に、大量の魔導爆薬を設置し終えているはずだった。
式が最高潮に達し、エドワードが冠を戴いたその瞬間、聖堂は炎に包まれる。
混乱に乗じてジュリアス前第一王子を救出し、自分たちが「正統な王権の守護者」として実権を握る……それが彼らの思い描く完璧なシナリオだった。
「伯爵、本当によろしいのですか? もし失敗すれば、我々の首が飛びますぞ……」
気弱な子爵が震え声で尋ねるが、ガストン伯爵は吐き捨てるように言った。
「愚か者め! 新王の改革が進めば、どのみち我々の領地は没収され、不正を暴かれて死罪だ! ならば賭けに出るしかないのだよ! 幸い、地下へ続く隠し通路の鍵はジュリアス殿下から事前に預かっていた。警備の甘い今夜のうちに爆発のタイマーはセット完了している!」
その時だった。
「――ほう。その『隠し通路の鍵』とは、これのことかい?」
静かだが、骨の髄まで冷ややすような声が、ガストン伯爵たちの背後から響いた。
ガストン伯爵たちが悲鳴を上げて振り返ると、そこには漆黒の夜会服を着たエドワード殿下が立っていた。その手に、黄金で作られた古風な鍵を弄びながら。
「な……!? エ、エドワード殿下……!? なぜここに……!?」
「なぜ、か。君たちが大聖堂の地下でコソコソと爆薬を運び込んでいたのを見届けていたからだよ。……ああ、心配しなくてもいい。君たちが設置した魔導爆薬は、先ほど私の直属の部下たちがすべて回収し、綺麗に解体させておいたよ」
「な……なんだと……!?」
ガストン伯爵の顔から、一瞬にして血の気が引いていく。
「そんな……バカな! 隠し通路の存在は、王家の一握りの人間しか知らぬはず……!」
「ええ、その通りですわ。ガストン伯爵」
エドワード殿下の脇から、ゆっくりと前に出たのは私だった。
群青色のシルクドレスを纏い、扇子を優雅に揺らしながら、私は絶望に目を見開く伯爵たちを見下ろした。
「ですが、王宮の建築構造図および過去三百年分の改築記録は、すべて王妃執務室の書庫に保管されております。ジュリアス殿下が貴方方に鍵を渡した日付も、王室財産の持ち出し記録からすでに特定しておりました」
「オ、オリヴィア・アトワール……! お前、最初から知っていたのか!?」
「当たり前でしょう」
私は冷ややかに微笑んだ。
「貴方方が密かに購入した魔導爆薬の購入資金……あれは、貴方が管理する領地の孤児院への助成金を横領したものでしょう? 台帳の数字が不自然に浮いていたので、追跡させていただきました。まさか、自分の罪の証拠を自ら残しながら陰謀を企てていたとは……おめでたいことですね」
「くっ……おのれぇぇぇ! 殺せ! 今すぐこいつらを殺せ!」




