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「さて……」
父は表情を引き締め、私をまっすぐに見つめた。
「問題は、これからのことだ。本日午後、エドワード殿下の正式な王位継承者としての披露と、ジュリアス殿下に対する判決が枢密院で下される。オリヴィア、お前も出席しなさい」
「はい、お父様」
「それと……エドワード殿下から、個人的にお前宛ての親書が届いている」
父が差し出したのは、王家の紋章が刻まれた美しい羊皮紙の封筒だった。
私は手袋を外し、恭しくそれを受け取ると、封を切った。
中には、流麗な筆跡でこう記されていた。
『親愛なるオリヴィアへ。
午後の審理が終わった後、地下牢への同行を頼みたい。
兄上に、最後の『挨拶』をしに行こう。
そして、その後で……私からの大切な提案を聞いてほしい』
私は手紙を胸に抱き締め、静かに頷いた。
◇
王宮の最下層。日の光すら届かない地下牢は、ひんやりとした湿気とカビの匂いに満ちていた。
松明の火が揺れる暗闇の中、重い鉄格子で隔てられた牢獄の隅に、一人の男が膝を抱えて丸まっていた。
豪華だった金糸の衣裳は泥と汗で汚れ、自慢の金髪は乱れきっている。
かつて誰もを見下していた第一王子、ジュリアスその人だった。
「おや、案外お元気そうで安心いたしました、ジュリアス殿下」
私が鉄格子の前から声をかけると、ジュリアスはビクッと身体を跳ね上げ、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は落ち窪み、血走り、正気を失いかけていた。
「オ……オリヴィア……!? オリヴィアか! 助けに来てくれたのか!?」
ジュリアスは狂ったように鉄格子に飛びつき、鉄格子の間から必死に手を伸ばしてきた。
「そうだろ!? お前は私の婚約者だ! あんな愚かな真似をしてすまなかった! あの男爵令嬢のことは忘れる! お前を王妃にしてやるから、今すぐここから出せ! エドワードの奴に騙されるな! あいつは化け物だ! 私を殺そうとしているんだ!」
ジュリアスの見苦しい懇願に、私はただ冷ややかな視線を送った。
「勘違いしないでください、ジュリアス殿下。私は貴方を助けに来たのではありません。ただの、最後のご挨拶です」
「な……なんだと!?」
「先ほど、枢密院において貴方の罪状が正式に確定いたしました。実弟であるエドワード殿下の暗殺未遂、国家予算の私的流用、関税法違反の商人との癒着、不当な権力乱用……そのすべてが認められました」
私が淡々と判決を読み上げると、ジュリアスは顔を青ざめさせた。
「死刑……死刑なのか!? 私は王子だぞ! 血統を途絶えさせる気か!」
「いいえ。エドワード殿下のお心遣いにより、死刑は免れました。貴方はこれから死ぬまで、北方の最果てにある修道院へ幽閉となります。そこでは一切の身分を剥奪され、一生を祈りと労働の中で過ごすことになります」
「ひ、北方……!? あんな極寒の不毛の地へ私を追いやるというのか! 冗談じゃない! 私は王だ! 私は誰よりも偉大なのだ!」
ジュリアスは鉄格子をガシャガシャと叩き、叫び散らした。
その姿には、かつての威厳など欠片もなかった。あるのは、己の無能さと向き合うことを拒み続けた、哀れな道化の末路だけだった。
「……兄上」
私の後ろから、足音が近づいてきた。
現れたエドワード殿下は、ジュリアスを見下ろし、静かに言った。
「君が私を憎んでいたことは知っている。自分より優秀と言われる弟が邪魔だったのだろう。だが、君が失ったのは私に対する嫉妬のせいだけではない。君自身が、誰一人として他者を愛さず、敬わず、ただ自尊心だけを肥大化させて周囲を踏みにじってきた結果だ」
「黙れ! 黙れエドワード! お前さえいなければ! お前さえ生まれてこなければ、私は幸せに王になれたんだ!」
「……最後まで、何も理解できないのだね」
エドワード殿下は失望に満ちたため息をついた。
「オリヴィアのような素晴らしい女性が隣にいながら、その価値に気づかず、踏みにじり続けたこと……それが君の最大の愚行であり、最大の敗因だよ」
「な……」
「行きなさい、兄上。北方の地で、自分の犯した罪と、自分が失ったものの大きさを噛み締めながら生きるといい」
エドワード殿下が合図を出すと、厳重に武装した衛兵たちが牢の鍵を開け、ジュリアスを引っ張り出した。
「放せ! 放せぇぇぇ! オリヴィア! エドワードぉぉぉ!」
絶叫しながら引きずられていくジュリアスの声が、暗い地下通路へと遠ざかっていく。
それが、ルミナス王国第一王子ジュリアスの、完璧な終わりの瞬間だった。
◇
地下牢を抜け出し、王宮の最上階にある庭園へと移動した。
ガラス張りの天井から暖かな陽光が差し込み、色鮮やかな花々が咲き誇るその場所は、地下の陰鬱さとは対照的な、光に満ちた世界だった。
「嫌なものを見せてしまったね、オリヴィア」
エドワード殿下は摘み取った白いバラを一輪、私に手渡しながら微笑んだ。
「いいえ。これで……ようやく私の長かった『務め』が終わったのだと、実感できました」
私は手渡されたバラの香りを愛おしそうに嗅いだ。
「そうか。……なら、ここからは新しい始まりの話をしよう」
エドワード殿下は真面目な表情になり、私の正面に立った。
その瞳には、かつて少年だった頃にはなかった、一国の王としての強い決意と、一人の男性としての情熱が宿っていた。
「オリヴィア。私はこれから、崩壊寸前だったこの国を再建しなければならない。腐敗した貴族層の粛清、隣国との外交のやり直し、傷ついた民の生活の支援……やるべきことは山積みだ。私の力だけでは、到底足りない」
「……はい。私もアトワール公爵家の人間として、全力で新国王となられる貴方様をお支えいたします」
私が深く一礼しようとすると、エドワード殿下は私の手を取り、それを制した。
「臣下として、ではないんだ、オリヴィア」
「え……?」
エドワード殿下は、私の目の前で静かに片膝をついた。
王族が、一人の女性に対して膝をつく。それは、貴族社会において最も格式高く、そして絶対的な意味を持つ求愛のポーズだった。
「私は、君に私の傍にいてほしい。『ルミナス王国の王妃』として。……いや、それ以上に、私エドワードの『生涯唯一の愛する妻』として」
私の胸が、ドクンと大きく跳ね上がった。
「五年前、私が命を落としかけたあの時、死の淵で思い浮かべたのは、君の笑顔だった。生きて戻り、君をあの愚兄の手から救い出し、今度こそ君を幸せにすること……それが、私が厳しい潜伏生活を耐え抜くための、唯一の希望だったんだ」
エドワード殿下は私の手を両手で優しく包み込み、見上げるように私を見つめた。
「オリヴィア・アトワール。かつて政略結婚として奪われかけた君の未来を、今度は私に預けてはくれないだろうか? 君を絶対に不幸にはしない。君が愛したこの国を、君と共に歩みながら、最高の王国にしてみせる。……私と、結婚してくれますか?」
太陽の光が、エドワード殿下の金髪をキラキラと黄金色に輝かせていた。
その瞳に映っているのは、完璧な公爵令嬢としての私ではなく、ただの一人の女性としての「オリヴィア」だった。
ジュリアスと過ごした五年間の暗闇が、跡形もなく消え去っていく。
私の胸に去来したのは、迷いなどではなく、溢れんばかりの歓喜と愛おしさだった。
「……喜んで、エドワード殿下」
私は頬を染めながら、溢れる笑顔を抑えきれずに答えた。
「貴方様の王妃として、そして貴方様の妻として……生涯、お隣でお支えいたします」
「オリヴィア……!」
エドワード殿下は立ち上がると、歓喜の表情で私を強く抱きしめ、くるりと一回転した。
彼の腕の中で、私は声を上げて笑った。こんなにも自由に、心から笑ったのは、一体何年ぶりのことだろう。
ガラス張りの天井越しに見える空は、どこまでも青く、澄み渡っていた。
高慢な王子への「復讐」は終わりを告げ、ここから、私たち二人による新しい物語――真実の愛と、王国の輝かしい復興の物語が、幕を開けるのだ。




