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初体験

 「やべえ、やり合ってる暇がねえ。警察だ。のしちまうのは訳ないが今はマズい。とりあえず逃げるぞ!」


 来夢は逃走を図る覆面男たちのバンを視界に捉えた。


「邪魔な奴らは構わねえ、 轢き殺せ!」


 男たちがアクセルを踏み込む。車は急加速し、絵音や野次馬たちもろとも粉砕せんとする勢いで突っ込んできた。悲鳴が上がる。


 だが、来夢は逃げなかった。無意識に足を踏ん張り、その黒光りの頭を真っ向から車へと向け、立ちはだかった。


 凄まじい衝撃音。しかし、吹き飛ばされたのは車の方だった。


 エンジンは爆音を上げ、タイヤは白煙を吐きながらアスファルトを削っている。アクセル全開、フルパワー。それなのに、来夢の肉体は、そしてその滑らかな頭部は、微塵も動かない。


「……な、なんだこいつ! びくともしねえぞ!」


「頭! あの頭、めちゃくちゃ震えてやがる!」


 来夢の頭部が、激突の衝撃を超高周波のバイブレーションへと変換し、車体のエネルギーをすべて無効化していたのだ。ボンネットが来夢の「頭」の形状に合わせて、ぐにゃりと凹んでいく。


(……動ける。これなら、勝てる!)


 来夢は、ひしゃげたボンネットに力強い拳を叩きつけた。


 頭部から伝わる超高周波の振動が腕を伝い、巨大なエネルギーとなって炸裂する。


 衝撃波が車体を突き抜け、バンは紙細工のように粉砕された。火花を散らして転がる鉄屑の中から、意識を失った男たちが放り出される。


 だが、一人。助手席側にいた男が這い出し、パニックで逃げ遅れた小学生の首を掴み上げた。


「……く、来るな! 近づけばコイツ殺すぞ!」


ナイフを突きつけられ、子供が泣き叫ぶ。野次馬たちが悲鳴を上げ、現場は混乱に包まれた。


(……助けなきゃ。でも、迂闊に動けば子供の命が……!)


 来夢は直感的に、自らの「力」の使い方を理解した。

 彼はその場に深く屈み込み、強靭な両手を地面に突き立てる。


(……振動は、空気よりも固体を伝わる方が速い!)


「頭部」から発せられる最大出力のバイブレーションが、腕を通じてアスファルトへ一気に叩き込まれた。


 来夢を中心に、地面が生き物のように波打つ。局所的な地震。その「波」はピンポイントで男の足元へ到達し、男は平衡感覚を失って無様に膝をついた。


「な、なんだぁぁっ!?」


男がバランスを崩し、子供の首からナイフが離れたコンマ一秒。


来夢の肉体は弾丸と化し、一歩で距離を詰めた。


「ブォォォォンッ!!(これでおしまいだ!)」


 渾身の力で振り抜いた右拳が、男の顔面に突き刺さる。超振動を帯びた一撃は、男の意識を瞬時に刈り取った。


 来夢は震える子供を抱き上げ、駆け寄ってきた母親にそっと返した。母親は「ありがとうございます!」と叫びかけたが、来夢の黒色に輝き、激しく震える頭部を見て、感謝と困惑が混じり合った複雑すぎる表情で硬直した。


「……ブゥン(あばよ)」


 来夢は群衆の視線を避けるように、ビルとビルの影へと驚異的な跳躍で姿を消した。


 廃工場の冷たいコンクリートの上で、来夢はガタガタと震えながら膝を抱えていた。


 つい数時間前まで、自分はただの「苦学生」だった。それが今や、家を焼かれ、人間離れした筋肉を纏い、そして何より――。


「ブォォォォン……(どうしよう……どうすんだよ、これ……)」


口がないため、漏れるのは情けない振動音だけだ。絶望のあまり、黒色の頭部からボタボタと涙が溢れ、床を濡らす。いつ死んでも構わない。そう厭世観に駆られていたはずなのに来夢は明日からの生活に絶望していた。


混乱の極致にいた来夢は、震える指でスマホを操作し、唯一の友人である宗田と、親戚の叔父さんに連絡を入れた。これまでの硬派で孤高な来夢はどこにもいない。ただの、パニックに陥った18歳の少年だった。



 一足先に駆けつけたのは、やはり宗田だった。


「おい来夢! 無事か!? 火事だって聞いて……っ!?」


 工場の入り口で、宗田が彫像のように固まった。


 視線の先には、スマホを握りしめ、筋骨隆々の身体を丸めて泣きじゃくる、巨大な黒色のバイブレーション・ヘッド。


「……お前、誰?」


「俺だよ。俺、来夢だ。見てわか……。しゃ、喋ることが」


 言葉を発することが出来て少し安堵する来夢。


「わからねえよ! わかる方がわからねえよ! 何がどうなったらそうなるんだよお前!!」


 宗田は絶叫した。昼休みに見せたエロ動画の「アレ」が、親友の首から上に生えている。この宇宙的恐怖とシュールさの混濁に、宗田の脳処理が追いつかない。


 来夢は泣きながら、事情を伝えた。


襲撃してきたサングラス男たちのこと。絵音が来て巻き込まれそれを救ったこと。


「……そうしたらこうなってたんだ」


「……いや、今の話でも全然わかんねえよ?どこがどう繋がって頭そうなったんだ。更に謎が深まったわ、どんな設定でそうなるんだよ!」


 宗田は頭を抱えたが、泣き続ける来夢の背中を、おそるおそる叩いた。叩くたびに、手のひらに心地よいマッサージ効果が伝わってくるのがまた、切なさを加速させた。


 その時、廃工場の重い扉が再び開き、親戚の叔父さんが姿を現した。


「来夢か。……ほう、ついにその姿になったか」


 叔父さんは、驚くどころか、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、納得したように頷いた。









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