最後の人形
「いない……」
草原に散らばった、砕かれた石。
ノアは匂いを嗅ぎ、私に見ろと言いたいのか、なにかを咥えた。
「これは……。角の欠片?」
戻れなかったのかな。まだ天にいるのだろうか。
なぜラウルまで階段を上ったのかは分からない。
絵の魔獣王は地上に残っていたのに。ラウルは何かしたかったのかな。
「ノア、石をぜんぶ拾い集めるよ」
きっと何かを伝えるために、角を石に隠して、ここへ寄越したんだと思った。
〈ここにはない場所〉の森の家までは、ノアが道案内してくれた。
「ここでエマと出会ったんだよね」
見慣れた我が家のはずなのに、妙に懐かしく感じる。
暖炉に薪をくべ、雨に濡れた砕けた石に、寒くないか聞いてしまう。
こうなったら、石の旦那様でいいかも。
「どんな形だったか分かるから、はめやすいね」
「ミャー」
砕けた石を元に戻すことにした。
不思議と隙間なく、ピタリとあの形になる。
瓢箪に似た、部屋がふたつあるような……。
「まさか、もう他の誰かは入っていないよね。入るなら私が入りたい」
コロンと指の先で石を揺らす。
そういえば、あれはいつ使うんだろうか。
「リシャール様からいただいたあの魔法陣は、自動発動なんだよね」
行き先はここ。
紙を広げ、中央に角の欠片を置いてみた。
――空気が震えた。
目の前の壁に、ゆらりと大きな影が映った。
影が私の影と重なる。
背に暖かな感触がした。
――たしかに、感じた。
頬に触れる柔らかな感触も。
幻じゃない。消えないで。もうどこにも行かないで。
最後の転移魔術が連れて来てくれた。
口から漏れた言葉は。
「お帰りなさい。ラウル……」
私はそれ以上、何も言えなかった。
ラウルは無言だった。でも返事は要らない。
唇が重なる。
どれくらい存在を確かめ合っただろう。
唇が離され、寂しくなった。
「ノエル、ありがとう」
今度は強く抱きしめられた。
暖炉の火がパチパチと楽しそうに弾ける。
ラウルの目には何も映らない。
「お役目も。すべて返して来たんだ」
ラウルの瞳は、自身の角をはめただけのもの。
「便利に使っていたけど、もう怪我も出来ないな」
少し寂しそうに笑うが、後悔はないと言ってくれた。
これからは人として生きる。
「ラウル、こっちを向いて」
古代文字を唱えても、光は射さなかった。
やがてここも完全に閉じられる。
まだここに魔力の残滓が残っているのなら。
暖炉の上に、見知らぬ古い人形が座っていた。
「この人形、どなたかしらね」
名も知らない金目の乙女。
他の人形は、すべて消えてしまったようなのに。
抱き上げると、吸い込まれそうなほどの、綺麗な金目だった。
その目をじっと見つめていると、周りから音が消えた――。
「……ノエル……ノエル」
いつの間にか、気を失っていたようだ。
「ラウル、わたし……いまね……」
あれはきっと、最初に現れた金目の乙女だ。腕には黒猫を抱いていた。
私に笑いかけてくれた。何か話してくれたようだけど、よく聞こえなかった。
そして、今は。
私に微笑んでくれているのは、琥珀色の瞳をしたラウル。
「ノエル、君が見えるよ……」
手にしていたはずの人形は消えていた。
そして、ラウルがそっとオルゴールを開く。
優しい旋律が流れる。
穏やかで優しい。
風と光。水が流れる。一斉に花開く。
――世界が歌っている。
一緒に歌った。
オルゴールが止まった。
私たちは、本当にこれが最後の、転移魔術に包まれた。




