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昇龍、扶翼を喪ず――南朝宋武帝 劉裕伝  作者: ヘツポツ斎
6   五斗米道と桓玄
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06-09 山陰建義    

「この会稽かいけいでも、日夜劉裕(りゅうゆう)殿の武名がいや増しております。あなた様は一体、どこにまで昇られるのやら」

 孔季恭こうききょうからの盃を受けると、寄奴きどァそいつを一息に飲み干す。

 次いで、隣の何無忌かむき

劉牢之りゅうろうし将軍は、この会稽をお守りくださいました。その将軍を喪いましたること、悲嘆に堪えません」

 何無忌も、一息で飲み干す。

 外じゃフクロウの鳴き声が聞こえる。月やら星ァ見えねェ。じり、とろうそくの光が、三人をか細く照らす。

「会稽の五斗米道ごとべいどうどもあどうなった?」

「主力は船で南に逃走いたしました。おそらくは盧循ろじゅんらと同じく、番禺ばんうを目指したものかと」

「会稽にしちゃ願ったり叶ったりだな。腰を落ち着けて復興に当たれる」

「ただ、信徒には人夫も、職人も多く、そういった労働力もろとも逃げられた有様です。あちこちで人手不足の声が聞かれます」

 孔季恭ァ浮かねェツラでいた。

 今度ぁ、寄奴が孔季恭の盃に注いでやる。

「足りねえなりにやってくしかねえんだろうさ。どこもかしこもよ。己らにしたって、まるで矢銭の足りるめどがねえ」

 どっかと、寄奴ァ足を放り出す。

「り、劉裕! うかつにその話を持ち出すなと――」

「存じておりますよ。劉裕殿づてに劉穆之殿の紹介を頂戴しております。鎮北・・の無念につきましては、私も晴らさんと期す一人です」

「あ、――む。なん、だと?」

 何無忌が寄奴と孔季恭を代わる代わるに見る。

「あのなぁ……なんの為に孔さんちにつれてきたと思ってんだ。久々の兵卒働きで、どっかに将の頭置いてきちまったか?」

 いや、どう考えてもお前の説明が足りなさすぎだよ。遠く武昌からツッコむ己に、寄奴ァうるせえ黙れって不機嫌だ。全く、いいとばっちりだ。

 ふ、と孔季恭が微笑む。

「ともに練りましょう、天下を、かん氏から取り戻すための手立てを」

 何無忌ァ固まると、驚きを顔に浮かべ、けどすぐに渋面を示した。ころころ忙しいやつだ。

「うむ、……まぁ、了解した。申し訳ない、孔季恭殿。正直なところ、劉裕の速さにはなかなか慣れられんのだ。この男、気付けば十手先、二十手先の話をする。すぐに俺も追いつければよいのだが」

 そう言って、何無忌ァあっさり孔季恭に頭を下げた。

 何無忌の目線が切れたとこで、ちらりと孔季恭ァ寄奴を見、目を薄らがせる。

 寄奴の説明が足りねェことを差し引いたって、龍の目を抱えてる寄奴の振る舞いについてけんなァ、穆之ぼくしと孔季恭――あたァ崔宏さいこうくれェのモンだろう。

 見えてるもんが違いすぎる。昔に何があったかと、いま、何が起こってんのか。

 寄奴ァ手前ェでそいつをどうこうしようたァ思わねェ。そのほとんどを、穆之と孔季恭に投げてる。その上で、持ち前の肝っ玉で、行き先を決める。

 その速さに乗っかんのに、変に疑ってこられちまや台無しだ。よくわかんねェが、従う。どんだけそいつを実行できるか。その柔軟さが、何無忌にゃあ、あった。

「しかし、ならばなぜ俺はこの場に呼ばれたのだ? さては、この会稽で決起しよう、とでも?」

「いえ、私がお願いしたのです。いま、劉牢之将軍の名は地に落ちておられる。しかしながら、密かに将軍をお慕いしている者も少なくはありません。直系の劉毅りゅうき様が亡命なさっておられる中、何無忌様は彼らを取りまとめるに必須のお方。劉裕様も日増しに名を高めてはおられますが、武人層への訴えという意味では、どうしても弱い。何無忌様が旗頭、劉裕様が前鋒となって頂くのが、もっとも世論に大きく訴えかけましょう。故に、お話を伺いたく思いました」

「伺うも何も……」

 何無忌ァ腕組みし、考え込む。

桓玄かんげんを許すわけにはいかん。自明のことだ。だが、特に俺に対する監視の目は厳しくなるだろう。今はせいぜいが、兵卒ばたらきを黙々とこなす位しかできんぞ?」

「お忍びください。その先に、機があると考えます」

「機?」

 返事の代わりに、孔季恭ァ地図を引っ張り出す。江南こうなんだけじゃねェ、中原ちゅうげんまで含まれた、広れェ範囲のやつだ。

「現在、桓玄の主力は建康けんこうに駐屯しております。ですが、これもいつまでも留めてはおけません。長安ちょうあんのヤオ・チャンにつけ入る隙を与えてしまう。が、一方で、そう易々と北府ほくふへの警戒を緩めることもございますまい。ならば、今はいかに桓玄に心置きなく西を向かせるか、こそが肝要となります」

「つまり、我々がどれだけ走狗として振る舞えるかにかかる、と?」

 孔季恭ァうなずいた。

 そこに、寄奴が口を開く。

「桓玄んとこにゃ、もと苻堅の手下がこぞってやがる。中でも厄介なんが、馮該ふうがいだ。あいつを建康に残しちまうか、南郡なんぐんに引っ込ませられるかで、まるで話が変わってくる」

 そう、馮該。先生もご存知、もと苻堅の配下将だ。桓玄が荊州けいしゅうで頭張れたんなァ、ほぼあいつの武力があったからだよな。

 何無忌ァ、ふっと笑った。

「なんだ、劉裕。お前のことだから、馮該は自分が倒す、くらいのことは言ってのけると思ったが?」

「サシで行けんならな。違ぇだろ? 奴の軍とまともにぶつかりゃ、どんだけの人死にが出るかわかったもんじゃねえ。死なねえやつぁ、少ねえに限る」

 それから寄奴ァ、ちらっと孔季恭を見た。

 ガリガリと頭を搔く。

「――ま、孔さんからの受け売りだがよ。己りゃはじめ、ここで挙兵しちまおうかって考えたんだよ。そしたらきっぱり言われたさ。悪手だ、ってよ」

「ほう」

 何無忌が、孔季恭を見る。

 いちど、孔季恭ァ拱手した。

「理由は、先程申し伝えたことに通じます。駆使できる兵力の差が甚だしいのです。ここを突き崩すためには、いかに我々が桓玄の懐に飛び込めるか、が求められます。そのためには、会稽では遠すぎる。むざむざ桓玄に準備する猶予を与えてしまうようなものです」

 そこまでを一気に言い切ると、孔季恭ァ、いちど酒喉を濡らした。

「彼の者は父、桓温かんおんの悲願をなんとしてでも成し遂げようとするでしょう」

「――皇位簒奪か」

 簒奪。

 そいつァ口にするだけでもひりついちまう言葉。

 いちど国内にその人ありって名を轟かせた桓温が簒奪の意図を明らかにしたが、その死によって、一族郎党ァ反逆者、くれェにゃ後ろ指さされかけた。そいつを桓温の弟、桓沖かんちゅうが手柄ではねのけて、桓玄に勢力を引き渡して。ついにゃァ親父すら成し遂げられなかった中央の実権すら手に入れた。

 己や寄奴ァ、王莽おうもうを知ってる。曹丕そうひも、司馬懿しばいも。だが何無忌と孔季恭にとっちゃ、生まれる前から当たり前にあった、司馬氏の天下が間もなくぶち抜かれようとしてんだ。

「桓玄は、禅譲ぜんじょうと言い張りましょう。しかしながら、これだけ強引に兵力を振るったものに、誰が徳望を見ましょうか? ならば、こう言ってしまえるでしょう。彼の者が簒奪を成し遂げた、まさに、そのときこそが決起の機。あとは、来たるべき日までに、いかほど彼の者の懐に潜り込んでおれているか」

 言いながら、孔季恭ァ口端を歪める。

「――無体な求めだとは思っております。目的のために、逆賊に尻尾を触れ、と申しておるのですから」

 盃に酒を注ぎ、あおる。

 もう一度、もう一度。

 更に一杯をあおろうとした手を、寄奴と何無忌が止める。

「構わねえよ、孔さん。その絵図が、いっちゃん流す血も少ねえだろう。より、やつを惨めな思いにも晒してやれる」

 孔季恭の持ってた盃を奪うと、寄奴が半分。何無忌に回すと、何無忌が残りを飲み干した。


 そっから寄奴と何無忌ァ、粛々と京口周りで桓玄の走狗として働いた。

 孔季恭ァ会稽まわりで、南の人士を内々に集める。

 そして桓玄の手が回るより早く長江を渡り、北に抜けた司馬休之しばきゅうしどのと、劉毅りゅうき。ふたりゃあ各地を回り、義勇兵を募ってった。

 そうして寄奴たちゃ、簒奪の日が来るのを待った。

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